「東北の鬼の怒りは一層深く、静かに」(武藤類子さん)

御嶽山が噴火、秋の快晴の土曜日のお昼頃、という”最悪”の時間でした。
今回は、10,11日に火山活動が頻繁に起こっていました。その後、お天気が良いし登山客が多いので、前もっての注意は空振りの際の非難を恐れて出し渋るか、そういう時だからこそ万一の時は犠牲者が増えるので注意を公表すべき、と二通りの考え方があります。自然に関しては、予測できないと思い知って、空振りの際の非難を恐れず・・・というのが、当たり前になればいいと思いますね。
ところで、火山の噴火は、噴煙がどの方角に向かっているのかが見えます。これが原発の場合は、同じ水蒸気爆発でも、爆発時の水蒸気は見えても放射能は見えません。後は人間の想像力に任されます。見えないから余計に想像したくなければ、『無い』ことになってしまいます。


◎今朝の「shuueiのメモ」さんが紹介されている記事に、<川内原発再稼働へ向けて地元同意をめぐって推進・反対両派の動きが活発になるなか、京都大学原子炉実験所の小出裕章助教の講演会が9月26日、福岡市内で開かれた。「原発とめよう!九電本店前ひろば」が主催したもので、約300人が参加した。 小出氏は、原発を推進してきた歴代政権、電力会社、原子力産業、ゼネコン・土建集団、学会、裁判所、マスコミを「原子力マフィア」と呼び、福島第一原発事故で誰一人責任を取っていないと批判した。「無傷のまま生き残り、福島の事故を忘れさせようと策謀している」と警告し、原発の再稼働、新設、輸出を批判した>とあります。
★詳しくはコチラで:http://d.hatena.ne.jp/shuuei/20140930/1412023123

この講演会の中で、小出先生かねてから話しておられることですが、「普通に生活する地域が、放射線管理区域以上に汚れた」として、次のように話しておられます:

福島第一原発事故で大気中に放出された放射性物質セシウム137だけで、広島原爆の168発分だとして、福島県の東半分を中心にして宮城県南部、茨城県北部・南部、栃木県の北半分、群馬県の北半分、埼玉県と東京都の一部が放射線管理区域にしなければいけない汚染を受けたと、政府の公表数字をもとにして報告。 


 「放射線管理区域の外側には1平方メートルあたり4万ベクレルを超えて放射性物質を存在させてはいけなかったのに、今や大地が汚れている。放射性管理区域では水を飲むことも食べることも寝ることも許されていなかったが、普通に生活する場所が放射線管理区域以上に汚れてしまった。私が仕事している管理区域の方がはるかにきれいだ。放射線管理区域以上に汚れた地域で生活するしかなくなった

小出裕章氏の仕事場である放射線管理区域と同じ20ミリシーベルト(年間許容被ばく線量)のところで、無防備なまま普通に生活を送らなければならない福島から武藤類子さんのお話です。昨年の3・11の大阪の集会に招かれて福島から参加された武藤類子さんは福島原発告訴団の団長でもあります。


論説委員が聞く 福島と「つながる」とは  脱原発福島ネットワーク 武藤類子さん


◆女の闘い、日常の中から


佐藤 3年前の「さようなら原発5万人集会」で語られた「私たちは静かに怒りを燃やす、東北の鬼です」という言葉は衝撃的でした。事故当時、福島県三春町で喫茶店「燦(きらら)」を営んでいた武藤さんはあのスピーチの後、福島原発告訴団の団長となって東京電力の当時の会長、社長ら33人の刑事責任を問う運動を始めます。東北の鬼の静かな怒りは、どう変わっていきましたか。


武藤 東北には鬼の踊りがたくさんあって、私は岩手の「鬼剣舞」が好きなんですね。勇壮というより、どこか悲しい感じで。鬼の面には角がなくて、「仏の化身」という解釈なんです。鬼は「悪者として迫害されながらも、大きな力にあらがおうとしている人」であり、福島の人たちの姿に重なったんですね。すべてを奪っていった原発事故への怒りそのものは消えません。この国のあり方がよく見えてきましたし。怒りは一層深く、静かになっています。


佐藤 福島は今、どのような状況にあるのですか。


武藤 原発事故の直後から家族や職場、地域で、残るか、逃げるか、考え方の違いで無数の分断が生まれました。根っこにあるのはもちろん、放射能の問題です。でも、分断はつくられたものもあるんですね。通り一本隔てただけで、賠償を受けられたり受けられなかったり。

いつまでも被害者でいるのはやめて、復興していこう」という帰還・復興政策が、「気を付けていれば放射能も大丈夫」という安全キャンペーン一つになり、人びとを切り裂いています被害者であり続けるのはつらいから、「大丈夫」と言われれば、忘れたい気持ちとも結び付く。亀裂は深刻になっています。


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佐藤 対立する必要のない被害者同士が対立するのは、沖縄の普天間飛行場を名護市辺野古に移設しようとすることで、県民が分断させられているのと同じですね。移設に反対する人も、反対派の警戒につく人も、同じ県民、地元の人です。

 除染とワンセットになった住民の帰還政策は、福島の問題を複雑にさせています。住民の年間被ばく線量の基準を、事故前の1ミリシーベルトから20ミリシーベルトまで大幅に緩め、避難指示を解除し、補償を打ち切っていく。放射能の不安の残る所に帰還を促すことが、どんなに混乱させるか。避難先での生活費が続かず地元に戻った人は大勢います。「古里に帰りたい」という素朴な思いが政府に都合よく利用されているようで、報道の仕方も悩ましく思っています。


武藤 理不尽なことがたくさん起きています。被害者への賠償の範囲や金額を、加害者の東電が審査するのも、被害者があまりにもバカにされている。事故のことが何も解決されていないのに原発再稼働の話が出てきて、元通りの社会がつくられようとして。

加害者の責任が問われていないのも原因だと思います。事故から1年たった12年3月に「福島原発告訴団」を立ち上げたのは、被害者が再び一つにつながり、声をあげ、力を取り戻したかったからです。人を罪に問うのは、とても怖い。私に資格があるのかも悩みました。でも事故の真実を、責任を誰が取るべきかを明らかにさせるのは、被害に遭った者の責任ではないかと思いました。




佐藤 業務上過失致死傷容疑などでその年の6月に第1次告訴をしました。対象は東電の旧経営陣から政府関係者、学者まで33人。その異例の規模から、福島第一原発の事故をこの国の社会構造の問題として問うのだという覚悟を感じました。でも、事件は翌年9月9日に突然、合同捜査をしていた東京地検に移され、不起訴になる。東京五輪の招致が決まった翌日でした。


武藤 不起訴になったら福島の検察審査会に申し立てると決めていたので、東京でしかできないと分かったときは、がっかりしました。福島の検審だからこそ希望も持てると思ってましたから。それでも東京の人に訴えるリーフレットを作り、月に1回ほど東京の検審前で起訴を求めて訴え、東電前で自首してほしいと訴えました。


佐藤 東京第五検察審査会は今年7月末、勝俣恒久元会長ら東電旧経営陣3人について「危機管理が不十分だった」と判断し、「起訴すべきだ(起訴相当)」の議決をしましたね。


武藤 本当にうれしかったですね。希望になりました。11人いる審査員のうち8人以上の意見が一致しないと「起訴相当」にはならない。そういう感覚を都民の大多数が持っていてくれたということは、日本の市民の大多数が同じ感覚を持っているということですから。


佐藤 原発事故の後、東京の繁華街から消えたネオンはいつの間にか戻りました。原発を立地する自治体が過疎地にあり、そこで作られた電力を都会が消費するという構図は全国どこも同じです。3年前の集会で武藤さんは「私たちとつながってください。福島を忘れないでください」と呼び掛けました。私たちは本当の意味で福島とつながることができるのでしょうか。


武藤 東京という都会のありようにがっかりすることは、もちろんあります。あるけれど、その分断もまた、つくられてきたものだと思うんですね。原発はつながりを断ち切る最大のものです。私たちが分断される必要は全くないわけですね。事故後の福島第一原発では毎日6000人が働いていて、7割が福島県人。事故で仕事をなくした人もいます。被ばく労働がどんなに大変かということが、今になって分かってくる。




佐藤 その「分かる」とか「知る」ということが、つながりを考え直す一歩かもしれません。「コンセントの向こう側」を想像することが必要ですね。原発が誰かの命の犠牲の上にあるシステムだと知ることで、社会を変えるのかどうかを考えていく。


武藤 システムの中で生かされているという状況は都会の方だって同じですから、一緒に考えていきたい。えらそうに言えないけれど、自分の頭で考えようって。都会の消費者も、福島の犠牲者も、一人一人が自分で立ってつながろうとしなければ共倒れになります。  
よく観察してほしいのです。福島で何が起きているのか、人々はどんな状況にあるのか。国は何をしているか。人権侵害とか、人の尊厳が失われていくさまとか、それは日本中どこでも起こりうる。観察すればわがことだと分かると思うんですね。


佐藤 原発再稼動には今も大勢が反対しています。都会の人が原発問題に関心がないわけじゃない。イメージを固定化させないことですね。運動の中で大切にしていることは何ですか。


武藤 英国で1981年に起きた「グリーナムの女たち」の闘いに影響を受けました。核ミサイル配備に反対し、米軍基地の周りで18年間、平和キャンプを続けて、ついに基地を撤去させたのです。
 女たちの闘いは、特別なことではなく、ユーモラスで、日常感覚を大切にしてるんですね。歌ったり、ご飯を作ったり。 
運動は、ややもすれば相手をたたき伏せるまでやってしまいがちですが、女たちの目的は考え直してもらうことで、たたき伏せることではないんですね。



 私も、告訴団の団長になったときはこの役目は重いなって思ったのですが、私以上の私は生きられないですよね。 
原発事故があって、一人の人間としての殻をほんの少し破ったというか、一段上がったというか。私のささやかな夢も原発事故のせいでだめになってしまって。でも、神様がいるとしたら、「もっと前に進みなさい」と言われたのかなと、そう思ったのですね。


【むとう・るいこ】

1953年、福島県生まれ。養護教員だった80年代、チェルノブイリ原発事故に衝撃を受けて脱原発福島ネットワーク設立に参加。廃炉を訴える「ハイロアクション福島」の準備中に3・11震災に遭う。著書に『どんぐりの森から』。


福島原発告訴団】

福島原発事故の被害住民で構成し、2012年6月、福島県民1324人が福島地検に第1次告訴。被告訴人は東京電力幹部や国の関係者ら33人。同11月、全国・海外から1万3262人が第2次告訴を行う。検察の不起訴処分を不服として検審に申し立て、今年7月、「起訴相当」を含む議決が出た。現在、検察による再捜査中。


2014年9月27日 東京新聞朝刊4面 「考える広場」より

★引用元は「俺的メモあれこれ」さんの9月28日:http://magicmemo.cocolog-nifty.com/blog/2014/09/683-ebe1.html