空地に茂るエノコロ草(ストロンチウムと放影研)

ご近所で鉄筋コンクリートの家を取り壊して半年以上空地になった一角があります。
昨日、自転車で通りかかったら、立派なエノコロ草が茂って、南の角には最近では珍しいセイタカアワダチソウも。背はまだ低かったですが。
先日のクローズアップ現代で金曜デモに福島から参加した子ども連れのお母さんが手にしていたので気が付きました。
ここの空き地のは、街路樹の根方や敷石の間から顔を出しているド根性エノコロよりもスクスクと大きく育っています。あんまり立派なので自転車を止めて写真に撮りました。
オリンピックは悲喜こもごも。メダルを取るということがどんなに大変なことか・・・高校生の萩野選手(水泳個人メドレー)の銅は素晴らしい!し、三宅宏美さんの重量挙げの銀も凄い!! 柔道の平岡さんの銀もすごい!!し、女子柔道の48キロ級の福見さんは胸が痛みます。体操の内村君たちの落下にもハラハラして見ていられないし、北島さんの平泳ぎ、決勝、どうなるかしら?とか。なでしこの2戦目も苦しかった〜〜結局、楽しませていただいています。

●先週、民放のニュースでメモ代わりに撮った写真、捨てきれずに残していたのをメモってみます。
ストロンチウムの分析結果が(福島・宮城以外では)25日、1年4か月も経って初めて公表されました。
274kmも離れた神奈川・茅ケ崎でもストロンチウムが検出されています。
ストロンチウムは、日本放射能技師会の諸澄邦彦さんのお話では、カルシウムに似ていて吸収されやすく骨や血液のがんになりやすいそうです。文科省は「飛び散った量はごく微量で人体・環境への影響はほとんどない」。東電・原子力立地本部長代理の松本純一氏は「飛距離といたしましては数メートルというような程度でございまして・・」と説明。
調査方法が「公定法」と「簡易法」の2種類あって、公定法では、専門的で複雑で結果は1か月以上かかるが数値は正確。簡易法では測定器を使い4,5日で結果が出るがある程度の数値で正確とは言えないとのことです。それにしても1年4か月もたって・・・?!
●昨日の「報道特集」は金平キャスターが広島の比治(ひじ)山にある日米共同研究機関の放射線影響研究所放影研)を訪ねての特集でした。
ここには原爆被爆者の血清と尿が大型冷蔵庫に保存されていて、肉片は乾燥させブロック状にして保存されています。ここのデータが国際的な放射線量基準を決める元になっています。
今も定期的にここを訪れて追跡調査に応じている被爆者がいます。彼女は爆心地から1.7kmで被曝、最初はモルモットになるのは嫌だし、治療してくれるわけではないしと思っていたが、悪いところを見つけてくれるだけでもいいかと思って通っていると取材に答えていました。

放影研の前身はかの悪名高いABCCです。原爆を落としたアメリカが原爆症の治療ではなく、原爆の影響を調べるために遺体を買いあさって、骨片、肉片を保存、徹底的に調査・研究。その成果?は直接アメリカに持って行き、後々の核兵器開発に大いに貢献したといわれているあのABCCです。広島のタクシー業界では今も隠語で「山」と言っています。
はだしのゲン」の作者である中沢啓二(73)さんには忘れられない思い出が。母親のキミヨさんが被曝して21年後に亡くなりました。ABCCは「お袋の内臓をくれ」と言いました。アメリカは知っていたのです、原子爆弾放射能原爆症になることがわかっていた、だから、比治山にすぐABCCを建てたのです。
アメリ国立公文書館に調査報告書が残っている。1946年、海軍省トルーマン大統領の命を受けてABCC(原爆傷害調査委員会)を広島の日赤の中に設立。調査は「軍の範囲を超え戦時だけでなく平時の産業、農業など人類全体に関わる」とされている。1951年1月に比治山にかまぼこ型の異様な建物(ABCC)が出現。1948年日本側は厚労省の国立予防衛生研究所がこのプログラムに正式に参加。1975年4月、日米共同研究機関 放射線影響研究所としてスタート、現在に至る。

番組では、放影研の大久保理事長が福島県郡山市で講演する姿を取材しています。

(夕飯の支度が・・・・)*********つづく