茨城のスズキとセミの抜け殻と私のルノワール

放射性セシウム:スズキから基準10倍 震災以降最高値 /茨城


毎日新聞 2013年07月12日 地方版


 県は11日、今月4日に日立市沖で水揚げされたスズキから1キロ当たり1000ベクレルの放射性セシウムが検出されたと発表した。県産スズキは昨年4月の検査で国の基準値(1キロ当たり100ベクレル)を上回ったことから、国が出荷を制限している。

 県漁政課によると、県産スズキの同1000ベクレルの汚染は東日本大震災以降、最高値だという。これまでは鉾田市沖で水揚げされた同600ベクレルが最も高かった。【岩嶋悟】
(引用元:「shuueiのメモ」http://d.hatena.ne.jp/shuuei/20130715/1373829702

市役所の人が来て道路に残っていた桜の古木が切り倒されて6,7年になるでしょうか。
自転車置き場には、夫が自分の自転車を買った時、土の跳ね返りを防ぐため薄いレンガを敷きました。
先日水やりにエアコンの室外機の陰になっている水道栓の所へ行こうとしたら、水引草の葉にセミの抜け殻を見つけました。
桜の木を切った年か前年に産み落としたセミがあがってきたんですね〜。これが最後のセミか、あるいは来年もあるか…。
さて、クラークコレクションで22点のルノワールを観て、ブログを書いて、これで終わるかと思いましたが、引きずっています。
二冊の図録を書棚に片付けてから、そういえばルノワールの複製画を飾っていたはず。そうだ、あれは、結婚して沼津で新生活を始めた頃、大きな書店で見つけて、何回か通ってから思い切って買った少女の絵だった。
2階の4畳半に箪笥類を全部入れて納戸にしているのですが、ここに複製画を掛けています。そして階段の上にバーンズコレクションで見た少年像のポスター。そして、玄関脇の洋間を夫の仕事場にするときにバーンズの大きなポスター一枚は処分。額装にしたボストン美術館のポスターだけはそのまま部屋に置いておくことに。
少女の複製画を買ったのは1969年のこと。そしてまたまた思い出しました。そうだルノワールの画集があったはず。ありました! 夫が仕事の関係でオランダのお客さんから貰った数枚のゴッホの複製画の画集と一緒に、書棚に収まり切らない大きさなので直置きしていました。夫は山泊まりなので、ジックリひとりの時間を画集を見て過ごしました。
集英社の現代世界美術全集の18冊の中の1冊です。確かめると1969年。その年の3月末に結婚して、1カ月後、夫の知り合いのお世話で仕事も見つかって共働きを始めていました。ダブルインカムのお蔭で、当時4000円もするのを買ったようです。他にも買いたい画家に丸印をつけたりしていますが、70年の秋には子どもが生まれてそれどころではなくなったので、このルノワール1冊を、沼津から加賀市、神戸市、箕面市と持ち歩いて、ここに落ち着いてからはテレビの横のガラス扉の戸棚の前に置きっ放して忘れ去っていました。4年前の南仏旅行でルノワール記念美術館のあるカーニュのコレットの丘を訪ねた時もこの画集のことは忘れていました。
昨夜、開けてビックリ! 中に入っている解説のリーフレットのタイトルが「ルノワール記念美術館をたずねて」となっています。1960年にコレットの丘のアトリエがカーニュ町に買い取られて美術館になっています。富永惣一氏の懇切丁寧な解説と収められた油彩70枚ほどのなかにクラークコレクションから6点入っていました。
参考図版の白黒写真のなかに沼津で買った複製画の「草花の束を持った少女」があり、1888年の作品でサンパウロ美術館にあることが判りました。
(↓)「ブージヴァルのダンス」は2度見たことがあります。一度はボストン美術館展で、その後何年かしてもう一度見たことがあります。
2度目は足元のスミレの小さな花束とタバコの吸い殻が目の高さでした。輪郭がハッキリと描かれているわけでもないのに離れてみるとまさに写実に見えて、何度も近づいたり離れたりして見ました。この「ブージヴァルの踊り」は、「都会の踊り」「田舎の踊り」と合わせて3点セットだと言われています。


(↑)アトリエの南面が見えます。ルノワールの横に立っているのは奥さん。
最後に私が4年前に訪ねた時、売店で買い求めた日本語版の絵本から。

絵本の上に置いた写真のマグネットはこの絵本を求めた売店の建物の写真です。アトリエと同じ敷地内にあります。この頁の上に、お城の絵があります。敷地内のオリーブの古木越し、はるか向こうの丘の上に、13世紀の古城、グリマルディ城が見えます。モナコのレーニエ大公はここの一族だとか。屋上に上がると地中海まで見渡せますし、振り返ると、雪を頂く山並みも見えます。

◎画集の図版の扉に書いてあるルノワールの言葉。
これが、晩年の丸く豊かな赤い裸婦の謎(私にとっての)を解く鍵かも知れません。


豊かなもの・・・
苔むしたブルゴーニュやローマ風の瓦、健康な女や元気な子供の肌
金でできた品物、黒パン、薪や木炭で焼いた肉、新鮮なイワシ・・・


その中を散歩して見たくなるような風景画、
その背中を撫ぜてみたくなるような女の絵
こんな絵が、私は好きだ.


もっとも単純な主題こそ、永遠のものである.
裸婦は、にがい波の間から生まれても来れば
寝床から生まれても来る.
時によってそれは、ヴィーナスと呼ばれ、またニニと呼ばれる.
いずれにせよ、これ以上素晴らしいものを、誰も生み出しはしなかった.


画家のパレットなぞ、
何の意味もない.
すべては眼できまる.


     
               ルノワール