ニューヨークタイムズと白井聡氏の「永続敗戦論」

◎1週間ほど前から「永続敗戦論」を取り上げようと思っていたのですが、とうとうニューヨークタイムズが安倍首相の歴史認識の危うさに警告を発するような記事(社説)を出しました。
読んでみると、これはいヒドイ! ここまで日本の首相が理解不能で、アメリカの国益に配慮しないで、東アジア地域で中国を挑発して、日米関係の深刻な脅威になりつつあるとまで書かれる国になろうとは! あわてて、河野談話の継承(菅官房長官)や村山談話の踏襲(安倍首相)を明言しなければならないはずです。
◎このNYT(電子版)社説について、「在ニューヨーク日本総領事館は3日、「著しい事実誤認がある」と同紙に反論し、訂正を申し入れた」また、菅官房長官は4日の記者会見で「政府の見解と全く違う、総理が言っていないことが掲載された」と批判。「日本政府の基本的立場は1937年、旧日本軍の南京入城後、非戦闘員の殺害または略奪行為などがあったことは否定できないというもので、安倍政権も全く同じだ」と述べた。これに対しては4日の蛙ブログのコメント欄でもhatehei666さんが原文の主語からNYTの社説の記事は間違っていないと書いておられました。6日の「日本がアブナイ!」さんでも克明に発言を追って反論されています。こちらで:「2014年 03月 06日菅の反論に反論〜安倍は歴史に逆行してる!&安倍仲間は南京大虐殺河野談話も否定」( http://mewrun7.exblog.jp/21754419/

鈴木 耕 @kou_1970
今度は、桜田義孝文科省副大臣が「河野官房長官談話の見直しを求める国民大集会」なる催しに出席して「皆さんと心は同じ。考え方も同じ」とアピール。慌てた菅官房長官が「誤解を招くことがないようくれぐれも言動に留意を」と桜田氏に注意。タガが外れた内閣。失言・妄言・暴言が続く。
11:46 AM - 5 Mar 2014 (引用元:http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-5341.html

◎「内田樹の研究室」で内田氏が翻訳された記事を発表されていますのでそれを全文コピーしてみます:

安倍氏の危険な歴史修正主義


安倍晋三首相のナショナリズムの旗印は今や日米関係に対するかつてなく深刻な脅威となりつつある。彼の拠る歴史修正主義的立場は、東シナ海南シナ海における中国の攻撃的な態度によって混迷を深めているこの地域で、危険な挑発と見なされている

しかし、安倍氏はこの現実を一向に気にとめる様子がなく、条約上の責務によって日本防衛を約束しつつ、日中間のトラブルに巻き込まれることを望んでいないアメリカの国益に対しても配慮する様子が見られない。


安倍氏ナショナリズムは理解が困難である。というのは、それはどの国に対して向けられたものでもなく、彼自身恥ずべきものとみなしている日本そのものの戦後史に向けらたナショナリズムだからである。「戦後レジーム」と彼が呼ぶところの体制の廃棄と、新たな愛国主義の創出を安倍氏はめざしている

問題は彼が日本の戦後文化に手を着けるより先に、戦争の歴史を改竄している点にある彼とナショナリストたちはいまだに1937年の日本軍による南京虐殺はなかったと主張している。彼の政府は金曜日に、日本軍によって性的奴隷労働を強制された韓国女性たちに対する謝罪を再検討し、場合によっては廃棄すると述べた。


そして、安倍氏戦争犯罪人を含む戦死者を慰霊する靖国神社参拝の意図を祖国のため命を犠牲にした人々に対する敬意を表するためだけのものであると説明している。ワシントンからの参拝を自制して欲しいという明瞭なシグナルにもかかわらず、安倍氏は12月に神社を参拝した。


中国との対立的な関係が生じたため、平和主義的な日本国民の間でも国防力強化の必要性を説く安倍氏の主張は説得力を持ちつつある。軍事力の強化を求める人々がしばしば歴史修正主義と重複するのが日本の特徴である。しかし、安倍氏ナショナリズムは別にして、今のところは彼も他の日本のメインストリームの指導者の誰も日本の軍事力をアメリカの同意抜きに増強しようとする動きは示していない。彼ら自身が日米の安全保障同盟に深くコミットしているためである。


アメリカだけではないですね、安倍首相と同じ日本人の私でも、上の記事と同じ疑問を持ってしまいます。安倍さんや、田母神、籾井、百田氏たちの恐ろしいほどの「戦後体制否定」「戦前回帰の発言」。そして、それらが「そんなバカな〜」と眉をひそめて一顧だにされない・・・ではなくて、一理あるんじゃないのと思う人たちが少なからずいるという日本の今が怖い。いつからこんな世の中になってしまったの・・・という疑問について、「永続敗戦論」の白井聡氏が答えています。

丁度、最近よく訪れることになった「もうすぐ北風が強くなる」さんのブログで白井聡氏の敗戦後論関係の記事をいくつか見つけてまとめて読んだところでした。ダイジェスト版のような記事を2つ、先に:
●永続敗戦論、白井氏インタビュー(1):朝日 (02/26)
「敗けた」ということ  「永続敗戦」を提起している、白井聡さん  2013/7/3  朝日>全文はコチラで:http://bator.blog14.fc2.com/blog-entry-2160.html
適当にピックアップして並べてみます:

・ ――歴史認識をめぐって、みんなが言いたいことを言うようになっています。「タガが外れた」感がありますが、これまで何が、日本社会のタガとなっていたのでしょう。
 「それは、戦後日本を象徴する物語たる『平和と繁栄』です
 『中国や韓国にいつまで謝り続けなきゃならないのか』という不満に対して、『これは遺産相続なんだ』という説明がされてきました。 遺産には資産と負債がある。 戦争に直接責任がない世代も戦後の平和と繁栄を享受しているんだから、負の遺産も引き受けなさいと」「しかしいま、繁栄は刻一刻と失われ、早晩、遺産は借金だけになるだろう。 だったら相続放棄だ、という声が高まっています」


・「そもそも多くの日本人の主観において、日本は戦争に『敗(ま)けた』のではない。戦争は『終わった』のです。1945年8月15日は『終戦の日』であって、天皇終戦詔書にも降伏や敗戦という言葉は見当たりません。このすり替えから日本の戦後は始まっています


・戦後とは、戦前の権力構造をかなりの程度温存したまま、自らを容認し支えてくれるアメリカに対しては臣従し、侵略した近隣諸国との友好関係はカネで買うことによって、平和と繁栄を享受してきた時代です。敗戦を『なかったこと』にしていることが、今もなお日本政治や社会のありようを規定している。私はこれを、『永続敗戦』と呼んでいます」
 


・「昨今の領土問題では、『我が国の主権に対する侵害』という観念が日本社会に異常な興奮を呼び起こしています。中国や韓国に対する挑発的なポーズは、対米従属状態にあることによって生じている『主権の欲求不満』状態を埋め合わせるための代償行為です。それがひいては在特会在日特権を許さない市民の会)に代表される、排外主義として表れています。

 


・ ――左派リベラルは、なぜタガになり得なかったのでしょうか。
 「左派の最大のスローガンは『平和憲法を守れ』でした。・・・「繁栄が昔日のものとなる中で急激に平和も脅かされつつあるという事実は、戦後社会に根付いたと言われてきた平和の理念が、実は戦後日本の経済的勝利に裏付けられていたに過ぎなかったことを露呈させています。左派はこのことに薄々気づいていながら、真正面から向き合おうとはしてこなかったと思います」


 

・安倍政権は対米従属の性格が強いにもかかわらず、オバマ政権から極めて冷淡な対応を受けています。非常に新しい事態です。これはなんと言っても歴史認識問題が大きい。 当然です。アメリカにしてみれば、俺たちが主導した対日戦後処理にケチをつけるのか、お前らは敗戦国だろうと。『価値を共有する対等な同盟関係』は、日本側の勝手な思い込みに過ぎなかった。 対米従属が危うくなっているということは、端的に『戦後の終わり』を意味します


・「英語が下手なのは、言うべき事柄がないからですよ。 独立して在るとは『言うべき言葉』を持つことにほかならない。 しかし敗戦をなかったことにし、アメリカの言うなりに動いていればいいというレジームで生きている限り、自分の言葉など必要ありません。 グローバル化の時代だと言われれば、国家にとって言語とは何かについて深く考察するでもなく、英語だ、グローバル人材だと飛びつく。 敗戦の事実すらなかったことにしているこの国には、思考の基盤がありません」


・「ただし、仮に言うべきことを見つけても、それを発するには資格が必要です。ドイツだって『俺たちだけが悪いのか』とそりゃあ内心言いたいでしょう。でもそれをぐっとこらえてきたからこそ、彼らは発言できるし、聞いてもらえるのです」


・「言うべきことがないことと、『仕方ない』で何事もやり過ごす日本人の精神風土は関係しているのでしょう。焦土から奇跡の復興を遂げて経済大国になったという国民的物語においては、戦争が天災のようなものとして捉えられています。 福島第一原発事故についても、いっときは社会が脱原発の方向へと動いたように見えましたが、2年が経ち、またぞろ『仕方ない』という気分が広がっている。


 
・「その代表が原爆投下でしょう。日本の自称愛国者たちは、広島と長崎に原爆を落とされたことを『恥ずかしい』と感じている節はない。被爆の経験は、そのような最悪の事態を招来するような『恥ずかしい』政府しか我々が持ち得なかったことを端的に示しているはずなのに、です。原発事故も、政官財学が一体となって築き上げた安全神話が崩壊したのですからまさに恥辱の経験です。『仕方ない』で万事をやり過ごそうとする、私たちの知的・倫理的怠惰が、こういう恥ずかしい状況を生んでいる。 恥の中に生き続けることを拒否すべきです。 それが、自分の言葉をもつということでもあります」

●●永続敗戦論、白井氏インタビュー(2):カナロコ(神奈川新聞)、毎日 (02/26)
時代を読む〜若手論客に聞く(1)社会思想・政治学者=白井聡さん平和と繁栄の終わり」>
全文はコチラで: http://bator.blog14.fc2.com/blog-entry-2161.html