◎あれから3年、あの日を起点にカウントされているブログ仲間のkeniti3545(http://d.hatena.ne.jp/keniti3545/)さんによりますと今日は1097日目です。
3年後もまだ政府が脱原発を明確にせず再稼働をめざし、海外に原発を輸出する国になっていようとは想像もしなかったし、避難している人たちが26万人以上もいて、福島の事故現場が汚染水のタンクであふれ、そのタンクから高濃度汚染水が漏れ出し、辺り一帯泥の海、地中の様子は誰にもわからず、メルトダウンした原子炉も誰も近づけず、それなのに6年後には東京でオリンピックが開かれ世界を「おもてなし」し、被災地の子供たちを招待すると約束する首相が政治のトップです。
オリンピックのために上辺の復興が今以上に進められ、宣伝されるようになるでしょう。政府の方針通りの「復興」と「安心神話」に乗っかって協力するかつての国防婦人会みたいな人たちと、放射能汚染を正しく怖がり、放射能汚染から子どもの安全と健康と命を守るために声を挙げようとする親たちとの亀裂が大きくなるでしょう。否応なく私たちはよく考えてどちらの道を選ぶのか選択を迫られていると思います。脱原発か原発推進か・・・3度目の3・11に私は一歩踏み出してみようかと思っています。地域の同じ考えの方に連絡を取ってみようかと思っています。これが私の3・11になりそうです。
◎上の写真は先日カナダのSさんからのお便りの中に入っていた絵葉書です。わざわざ冬のカナダを日本の私たちにと選んでくださったものです。2月末で―10℃〜-15℃で「厳寒注意報」というのが出ているそうです。五大湖の90%近くが凍結。例年は35%くらいなので、特別なんですね。子どもたちには「自然のスケートリンク」となって絵葉書みたいにアイスホッケーを楽しんだりってことになるんでしょうね。
写真の「跳ねこ馬」のような赤い馬の切手が貼ってありました。午年に合わせて?と思いましたがカナダだし…よく見ると漢字が印刷されています。
付記で説明がついていました。「カナダ郵政局は赤字の為、5年後には各戸への郵便配達は全廃。今、反対運動が起こっていますが、市外地では、すでに廃止地区が。その分こちらではEメールが普及しています。そんな中、ここ数年、多民族国家のカナダなので中国のお正月(今年は1月31日)を祝う記念切手が発行されています」。なるほど、中国人向けの切手だったんですね。
●「日本がアブナイ!」さん、本日ののブログ「2014年 03月 11日 数字で見る東日本大震災の復興状況〜遅れる復興に被災者の不安募る」(http://mewrun7.exblog.jp/21771120/)
〇以下「みんな楽しくHappy♡がいい♪2011年3月11日。その後私は変わりました。」さんからです。
●<原発事故3年>放射能は今も出てる?どれ位の量?どの地域に?黒い物質って?アルプスは?汚染水は?炉心は?小出裕章氏3/7報道するラジオ(文字起こし)(http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3598.html)
●【福島原発告訴団】「沢山の被害者がいるのに加害者がいないのはおかしなことです」武藤類子さん3/1(文字起こし)(http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3592.html)
●【焼却:下水汚泥・除染廃棄物・放射能汚染物】 「放射性汚染物を市民の生活圏で焼却処理をするという、世界でも例のない試み」福島原発告訴団3/1(文字起こし)(http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3595.html)
〇以下「カレイドスコープ」さんより。
●内部被曝の第二ステージ、「ストロンチウム90汚染」(http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-2668.html)
●欧州:日本の国土の約15%が「徹底的な放射能監視地域」に(http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-2659.html)
●放射線被曝の誤解−国民は健康と命、政治家は金勘定(http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-2667.html)
◎昨日は夫と二人で大津の夫の姉の家を訪ねました。昨年の秋、義兄の傘寿(80歳)、義姉の喜寿(77)のお祝いを兼ねて実家の義弟夫婦も呼んで箕面の「風の杜」で一泊しました。夫は、大学進学の時入学金や当座の生活費や授業料をお姉さんに出してもらって大学へ行くことが出来ましたので、いつかその恩返しがしたいと思っていました。去年の秋やっと恩返しの真似事が出来て良かったと思っていたら、その1か月後義兄が階段から落ち頸椎を手術。手術は成功しましたがその後リハビリ病院に移り闘病生活。義姉と二人の娘たちとで3交代の病院通いをしています。
二人でお見舞いに行くのは初めてで、大津の家によって義姉から様子を聞き、3人で琵琶湖沿いにあるリハビリ病院の義兄を訪ねました。私たち二人の顔を見て解ってくださいました。私たちには聞き取れませんが、盛んにお義姉さんに何かを訴えておられました。右手は何とかリハビリの成果で力が入りもう少しで口のところまで持って行けるようになっています。妄想が出て、認知症が出かかっているとのこと。
帰り車の中で、「お姉さんは気丈ね〜。私は多分あんなにシッカリしてないから、あんな風にならんといてね〜」「一緒や〜。2階はアブナイな〜」とか二人でいろいろ考えながら帰途に就きました。お雛飾りは、お義姉さんが、「戻ってきたお飾り可哀想だから飾ってあるの、見てやって」というので、写真に撮らせてもらいました。長女が子どもたちも巻き込んである宗教を信じているので、仏壇もお雛飾りもダメなんだそうです。「お雛様も〜?」と私。