「トモダチ作戦2名死亡」と「大丈夫?あんぽ柿」、そして「先片づけ」


◎まずおすすめ記事を二つ、「みんな楽しくHappy♡がいい♪2011年3月11日。その後私は変わりました」さんからです。どちらも福島の原発事故のその後を示すものです。
◇福島の原発事故直後三陸海岸沖に米軍原子力空母〈ドナルド・レーガン〉が停泊。トモダチ作戦と称する救援活動が展開されましたが、その時の被ばくによる健康被害とすでに犠牲者がでてるとして東電を訴えています。その件について。
◆「トモダチ作戦米兵2名が骨膜肉腫と白血病で死亡〜3月13日に三陸沖に到着〜OPTV(文字起こし)」(http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-4009.html
今年も「あんぽ柿」が首都圏へ!〜孫や子供に食べさせないようご注意ください〜http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-4004.html

◇<県北地方の特産品「あんぽ柿」が、首都圏に向けて出荷された。今シーズンは、生産できる農家も増え、出荷量も増える見込み。オレンジに輝く「あんぽ柿」> 放射線量測定方法に問題アリやなしや・・・・ゼロではないし、基準値は?
◎「Happy」さんを訪ねて是非読んでみてください。
◎先々週、街を歩いていて、久しぶりに隠れ家みたいな小物店へ寄ってみようと、駅の近くのお屋敷裏のお店に寄ってみました。
変わったアクセサリーが置いてありました。色がとても美しいのですが、よく見ると気味の悪い模様や、少しグロテスクな飾りのついたブローチになっています。作家さんのですか?ときいたら、最近海外でも注目されている方ですとのこと。一番普通っぽいのを選んでみました。片隅に書いてある「Kiiman」で検索してみたら女性作家の名前が出てきました。右の写真のブローチ。皮の上に直接ペイントされています。「悪セサリー」シリーズの一つです。
◎いつもSさんが持ってきてくださる「いきいき」の12月号に面白い記事が載っていましたので文字に移してみます。
竹田真砂子さんという作家の方の「『先片づけ』のすすめ」という記事です。昭和13年生まれで、40代で母を送り、ひとり暮らし歴は30年近くと紹介されています。


 「死」というものは、老若男女、どなたの隣にも平等にあるもの。小学生で戦争を経験し、20代で父を亡くしたこともあってか、幼い頃から私は、特別に「死」をタブー視したことも、忌み嫌ったこともありません。還暦を迎え、さらにそれを真近に感じるようになりました。
 どんな最期を迎えたいか。孤独死も大歓迎。とにかく最後の最後まで命を使い切って、元気に生きて元気に死にたいのです。そして、出来るだけ人さまに迷惑をかけないで死にたい。というと立派に聞こえますけれど、まあ自分のために、恰好つけて死にたいんですね(笑)。できれば風呂敷包み1個にして死ぬのが理想。無理だとは思いますけれど、せめて心意気だけでも「立つ鳥跡を濁さず」でいきたい。そのために始めた身辺整理を、私は”先片づけ”と呼んでいます。


年は重ねるのでなく”取る”もの


 私が本格的に先片づけを始めた”還暦”は、自分にとってひとつの節目でした。というのも、60を過ぎると、山頂に登ったかのように、ぱーと視界が開けたんです。これまでの人生で蓄積されてきたデータがつながって、今までわからなかったことも「そうだったのか」と思えるようになった。さらに、70歳を超えると、もっとその実感が確かなものになっていきました。これは不思議でした。だから、年を取ることは本当におすすめ。年寄りはもっといばっていいと思うのですけれど(笑)。
 そもそも、年は重ねるものではなく、取るものだと思います。還暦とはよく言ったものですが、人はこの世に誕生したときから、素の自分、言い換えれば生まれ持った”核”に、さまざまなものを取り込んでいく。そうして60歳を過ぎたら、それらを一つひとつはがしていって、再び自分の核に迫っていくんですね。
 84歳で亡くなった母は死が近づくにつれ、どんどん赤ちゃんのように穏やかで可愛らしい表情になっていきました。年を取ることは、本当の自分へと戻っていくことになるのだと、母の死で実感したんです。
 先片づけをすることも同じ。これまでの人生で取り込んできた物を手放すことで、自分の核に迫っていくのではないでしょうか。望むように生きて、望むように死にたいから、私は最期までおもしろがって先片づけをし続けたいと思っています。


◎60歳、70歳を迎えた時の境地について書いておられますが、私は、これほどスケールの大きなものではありませんが、40代、50代を迎えた時に感じたことがあります。40代になって、初めて自分の人生を振り返って見ることが出来る。50代になって初めて時代が見えてくる…という体験を長電話友達と語り合ったことがあり、年を重ねることは意味があると実感しました。
ところが、年は、「重ねる」のではなく「取る」のだそうです。
”おくて”の私は、これから、そういうことがわかってくるのかな〜と楽しみにしています。
(ところで”片づけ”の対象になりそうな我が家の手作り小物類を写真で。作り人知らずの作品が集まっています。)