そもそも総研「日本国憲法はすでに”死んでいる”!?」(1)

今年最初のモーニングバード「そもそも総研玉ペディア」が取り上げたのは、憲法と矢部宏治氏です。矢部宏治氏と言えば、昨年、その著作「日本はなぜ、『基地』と『原発』を止められないのか」が出版され、私も「青空学園だより」さんで知ってすぐ読みました。

本は話題にもなり、よく売れているそうです。ここに書かれている内容が広く知られ、日本の常識になれば良いと私も思っています。いつものように書き起こしてみます。あわてて録画しましたのでトップ部分少し欠けています。
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戦後70年、日本国憲法はすでに”死んでいる”!?

途中から・・・
上記「日本はなぜ…」の著者・矢部宏治:それ以前に、(日本国憲法は)機能していないんじゃないかと私は今一番感じています。
玉川徹キャスター日本国憲法が機能してない?
矢部:はい、一番わかりやすいのは、やっぱり沖縄なんです。(と沖縄防衛局調査の2014年3月、「普天間飛行場における軍用ヘリとオスプレイの飛行状況」の図を掲げながら)アメリカ人の家の上は飛ばないんです。なぜか。(米軍住宅に)落ちたら危ないからです。

玉川:日本人の家の上に落ちても危ないのは一緒なんですよ。
矢部:一緒なんだけれども沖縄に住むアメリカ人はアメリカ合衆国憲法によって人権が守られている訳です。ところが沖縄に住む日本人は日本国憲法によってその人権は守られていない。それは全く沖縄以外の場所も同じだということ。
玉川:別に沖縄だけの問題じゃないんだということ。憲法が私たちの生活を守る”最後の防波堤”のはずですよね。
矢部:本当は国が横暴なことをしたときに”市民を守るのが憲法”ですよね。それが完全に機能していない。それが一番表れているのが沖縄と福島だと思います。
ナレーション日本国憲法は私たちの”指導者の勝手”から私たちを守る最後の防波堤です。そんな憲法が機能していないと指摘する矢部氏。では、”憲法が機能しなくなった”のはいつからなのか?

矢部:最初に言いたいのが日本国憲法に関しては、それは誰が書いたんだと、”日本人が書いたのか”、”占領軍が書いたのか”という議論があります。これはもう終わらせないといけない。なぜなら、占領軍自身がですよ、憲法を書いて3年後に自分たちで本を書いて「自分たちが書きました」と書いているんです。

玉川:それはGHQが出した本?
矢部:そうです。「日本の政治的再編(Political Reorientation of Japan)1945年9月〜1948年9月」 民政局編1949年刊という紺色の表紙の分厚い本。
ナレーション最高司令官(マッカーサー)が新しい日本の憲法の基本を考える詳細な”声明”を用意させたこと。その声明は憲法草案の形で日本政府に手渡されること。そして日本政府はその内容に最大限の考慮を払い、憲法改定の指針として用いるよう勧告されることを述べた。
 つまり、憲法草案を日本政府に手渡し、この内容に沿って憲法を改定するようGHQが求めた”と書かれています。
 ”GHQが書いた日本国憲法、この事実が憲法を取り巻く状況に”ねじれ”を生んだと矢部氏は指摘する。

矢部:そこで二つ重要なポイントがあって(1)占領軍が密室で書き、受け入れを強要した(2)しかし、その内容は当時の日本人には絶対書けない良いものだった=人権を非常に保護する内容だったということです。
この二つが非常にねじれている訳です。
右派の方はGHQが書いた悪いものだから変えようと、その時は人権を少なくする方で変えようとするわけです。リベラル派の方は内容はいいと、内容が良いから歴史的事実は議論しないで、このまま行こう。こういう対立の形が続いてきて、かみ合った議論が一切なされてこなかった。
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スタジオの玉川:僕もこの本を読んだんですが、一番膝を叩いたのがこの点です。
戦後の改憲派VS護憲派、闘いの背景には:
(1) 日本国憲法は事実としてGHQが書いた
(2)当時の日本人には書けないような素晴らしい内容だった。
選択肢は2つだけではない、良く変えようというのもあったはずです。人権をもっと確実にしようとか、戦争を日本から絶対に起こさないようにもっと解釈の余地のないくらいに憲法を変えましょうというような選択肢もあったはずだけど、両者の対立で来た、と矢部さんは分析した。
また、矢部さんは、9条が書かれた当時お花畑のような理想論じゃなくて、当時の連合国が軍隊を出して国連軍を作る構想があった。日本に軍隊が無くても国連軍が代わりをする、しかし、現実には冷戦があって、当時の日本の指導者は、共産化するのは嫌だ(ソ連がやってきて殺されたり追放される)、それよりは米軍にいてもらわないといけないと考えた。米軍の駐留が続き、憲法では軍隊を持たないと書かれているのに、米軍がいる、という矛盾。そこで砂川裁判。

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矢部氏が指摘する日本国憲法が死んだ日、それは昭和34年(1959年)12月16日です。その日、いったい何が?
矢部:結局それ(米軍)は世界最大の攻撃力を持つ軍隊ですから普通に考えると憲法9条2項違反なんです。
玉川:”戦力の不保持”ということに。
矢部:完全に違反している。
玉川:日本の中に戦力がいるじゃないかと。
矢部:結局それが1959年の「砂川裁判」でその矛盾を覆い隠すために「日米安保条約」のような高度の政治判断を要する問題については憲法判断をしないという最高裁判決が生まれてしまった。
ナレーション砂川事件(1957年7月)
米軍旧立川基地の拡張工事に反対するデモ隊の一部が敷地内に侵入し7人が起訴される。
一審の東京地裁{1959年3月}判決米軍の駐留は違憲。7人は無罪の判決
しかし最高裁{1959年12月}判決日米安保条約のような高度に政治的な問題は司法の判決になじまない」と憲法判断を回避。結局、7人は有罪
ナレーション:この最高裁判決を下された日を”日本国憲法が死んだ瞬間”だと矢部氏は指摘します。
(つづく)
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◎矢部氏著書「日本はなぜ、基地と原発を止められないのか」からこの部分(41頁)を引用すると:

何しろ、占領中の1950年から第二代の最高裁判所長官をつとめた田中耕太郎という人物が、独立から7年後の1959年、駐日アメリカ大使から指示と誘導をうけながら在日米軍の権利を全面的に肯定する判決を書いた。その判決の影響で、在日米軍治外法権状態が確定してしまった。またそれだけでなく、我々日本人はその後、政府から重大な人権侵害を受けたときに、それに抵抗する手段がなくなってしまった

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◎「みんな楽しくHappy♡がいい♪」さんでは10月にこの矢部氏と「戦後史の正体」の著者孫崎享氏の対談を載せておられます。コチラで:

日本は戦後処理がまだきちんと終わっていない」10/08 『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』 矢部宏治・孫崎享対談(文字起こし)>(http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3944.html