「米軍本島上陸の日に・もう捨て石にはならぬ」(沖縄タイムス)


今日から4月。今年ももう4分の1が終わってしまいました。近くの桜のトンネルは昨日で満開、一夜明けると、雨の日の花のトンネルになりました。ヨーガは、今日は、たったの4人。最近では稀な少人数。体調不良の方やご主人の手術、雨の日のお花見の方も。
出がけに夫が”今日は、いいよ”と言ってくれたので、中華ランチを御一緒に。今日からご主人が定年で在宅の方も。お二人は一人暮らし。私は「地球交響曲」の映画を一緒に行く予定だったOさんにチラシを渡して、もう一枚は、やはり「二番」の初女さんのおにぎりの映画を京都まで見に行ったというYさんに渡しました。Oさんが、「結局、自然よね、あんまり自然を壊したらアカンということよね」と。チラシを見たYさんが、「結局、どういう映画なの?」と。「3つのお話が、”樹”で繋がってるの。クスノキの大樹から能面を、津波の木から楽器を、そして、漁師が山に木を植える、と”樹”つながりの… このチラシ、よく出来てるから、ジックリ読んだらどんな映画か解るよ」と私。

NHKの大越さんは辞めて何してるの?とか、身近な話から健康、政治まで…色々、一人暮らしの高齢者問題から、中国のこの10年の変化、娘さんが中国人と結婚して上海で暮らしているOさんのお話では、「凄まじい変化だけど、怖い・・・」とか。
「沖縄,可哀想に、どうなるの?」とSさんが言うと、Oさんが、「『戦後史の正体』で読んだ通り、日本はアメリカとの関係がどうしようもないよね〜」と、数年前に回し読みした孫崎さんの本が話題になったりでした。
さて、帰って、春の高校野球は、先ほど、敦賀気比が初優勝! 北海道の東海第四との決勝戦、9回までどっちが優勝するかわからない良い試合でした。昨日、満塁ホームラン2本の松本君、今日もホームラン一本で決めました。快音が気持ちよかったです。
昨日のサッカー、遠藤が消えたのは残念ですが、若い者に譲らなきゃですね。明らかにスピード感が今までとは違って高速サッカーになっています。名前を知らない若い選手たちの活躍で大量得点で勝ちました。監督の名前、ハリルホリッジ、やっと覚えました。
◎ところで、今日、4月1日は米軍の沖縄本島上陸から70年!
沖縄タイムス」の社説は、この70年を振り返っています。
まさに日本とアメリカの関係が沖縄に凝縮されています。沖縄を日本と捉えられるか・・・あるいは、本土の基地問題を全部沖縄に押し付けて知らん顔をするのか、原発事故の今を、福島に押し付けて見て見ぬふりをするのか・・・と同じです。本当に日本人ひとりひとりの想像力と意思が問われる問題だと思います。
◎「沖縄タイムス」社説(http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=109744


社説[米軍本島上陸の日に]もう捨て石にはならぬ
2015年4月1日 05:30


 1945年3月下旬、慶良間諸島を攻略した米機動部隊は4月1日朝、沖縄本島中部の読谷・嘉手納・北谷に至る西海岸に上陸した。

 
物量の面で圧倒的に劣勢の日本軍は、首里中南部の自然洞窟を利用した地下陣地などに主力部隊を配置し、水際作戦を避けた。本土決戦を想定した時間稼ぎの持久戦法を採用したためだ。激しい反撃を予想した米上陸部隊は「まるでピクニックのよう」に、大きな抵抗を受けることもなくやすやすと上陸した。


 米軍の沖縄本島上陸からきょうでちょうど70年になる


 沖縄戦は「捨て石」作戦だったといわれる。日本政府は戦後、サンフランシスコ講和条約に基づき、自らの主権回復と引き換えに沖縄を米軍に委ねることを、敗戦国として了承した。沖縄の人々はまたしても「捨て石」になったのである。


 そして今、政府は名護市辺野古の沿岸部を埋め立て、米軍の意向に沿って新基地を建設することによって沖縄を米国に差し出そうとしている選挙で示された民意を無視しているという意味で、これもまた、「捨て石」の論理というほかない。



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 住民の根こそぎ動員、老幼婦女子の戦場彷徨(ほうこう)、日本兵による食糧強奪、スパイ容疑による住民殺害、壕からの住民追い出し、集団自決(強制集団死)、餓死…。沖縄戦に従軍したニューヨーク・タイムズボールドウィン記者が表現したように「沖縄戦は戦争の醜さの極致」だった


 戦争末期、国体護持のため早期和平を模索していた日本政府は、近衛文麿を特使に選任し、すべての海外領土や琉球諸島などを放棄する和平案を用意していた。


 やむを得ない場合には、沖縄を切り捨てるという考え方は、1880年、日清間で締結され、効力発生寸前までいった「分島・改約案」の論理を思い出させる。中国での通商権獲得と引き換えに宮古八重山諸島を中国領土とする案のことである

 
 戦後、日本の民主化、非軍事化を進めた連合国軍総司令部(GHQ)のマッカーサー最高司令官は、沖縄を基地化することによって憲法9条による「軍事的空白」を穴埋めすることができると考えていた


 米国による沖縄の軍事占領継続を希望し、沖縄を基地化することによって日本の戦後の安全保障を確保する、という考え方は天皇メッセージにも貫かれている発想だ


 1950年代、本土に駐留していた米海兵隊が沖縄に移駐したとき、地元沖縄が強い懸念を示していたにもかかわらず、政府の中からは、これを歓迎する声が出た。日本本土から米地上部隊を撤退させ、沖縄に配備するという考え方である



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 都市部から人口の少ない過疎・辺地への米軍基地の再配置−これが戦後一貫して続く日米の論理である


 米国防総省の上級担当官として返還交渉にかかわったモートン・ハルペリン氏は、基地使用の自由度が損なわれないこと、米軍基地をより恒久的なものにすることが、沖縄の施政権返還と引き換えに米国が優先的に求めたものだった、とNHKのインタビューに答えている。

 
 この発言は極めて示唆的だ。実は辺野古への新基地建設も、普天間返還と引き換えに沖縄において使い勝手のある恒久的な基地を建設する試みなのである。


 辺野古沿岸部に揚陸艦の接岸できる新基地が建設されると、新基地とキヤンプ・シュワブ、キャンプ・ハンセンは陸でつながり、北部訓練場や伊江島補助飛行場などとあわせ国内法(例えば航空法)の適用を受けない、制約のない一大演習地域として使われることになる。

 
 こうして戦後史をたどっていくと、沖縄戦と新基地建設がつながってることがよく分かる。


 軍事的なニーズはあらかじめ決まっているというものではなく、「本来、どんな国であっても政治的な実情の中で決められるものです」というハルペリン氏の指摘は、「辺野古が唯一の選択肢」という言い方がいかに政治不在の脅し文句であるかを示している

◎「琉球新報」社説「本島上陸70年 軍は住民を守らない この教訓を忘れまい」(http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-241233-storytopic-11.html