先週、買い物途中で寄った民家の枝垂れ梅。見事でした。
🔲弥生三月一日は「3・1ビキニデー」です。
1954(昭和29)年、太平洋ビキニ環礁でマグロ漁船「第五福竜丸」が米の水爆実験により乗組員全員が被爆しました。
広島、長崎に続き3度目の被爆です。この第五福竜丸の被爆を契機に、日本中で原水爆実験反対運動が巻き起こりました。日本の反核運動の始まりとなった記念の日でもあるのです。
この3・1ビキニ事件は、日本国民に大きな衝撃を与え、広島・長崎をくりかえさせるなと、全国に原水爆禁止の声がまきおこりました。
3千数百万の原水爆禁止署名が集められ、翌55年8月に第1回原水爆禁止世界大会が開催されました。
原水爆禁止日本協議会(日本原水協)はその年の9月に結成されました。
それ以来、日本の原水爆禁止運動は、核戦争阻止、核兵器廃絶、被爆者援護・連帯を一貫してかかげ、世界諸国民や非核国政府と連帯して、世論と運動を広げてきました。
いまや核兵器廃絶は世界の大きな流れに発展しています。
🔲先月のことですが、2月24日は沖縄の米軍普天間飛行場の移設計画に伴う名護市辺野古の海の埋め立てについて、7割が反対票を投じた県民投票から2年経ちました。
朝日の記事によると、24日、防衛省沖縄防衛局が県に通知した内容では、「面積全体の4分の1に当たる南側区域(約39ヘクタール)への土砂投入が、早ければ4月下旬にも完了。残り4分の3の区域は、軟弱地盤の判明により、県の新たな承認が必要となっている。」
投票2年に合わせて沖縄では、当時署名活動に関わった若者たちがオンラインイベントを開いた。「『辺野古』県民投票の会」元代表で大学院生の元山仁士郎さんは「なぜ声は顧みられないのか、どうすれば届くのか。向き合う一日をつくっていきたい」とあいさつした。メッセージを寄せた玉城知事は「辺野古に反対する民意が、初めて明確な形で示されたことは県民投票の重要な意義」と改めて強調。「国が民意を軽んじていることを国民が許してしまったら、今度は別の地方の民意が軽んじられるかもしれない。我が国の地方自治が脅かされている」と指摘した。
🔲この日は社説も沖縄についてでした。政府が埋め立てに使う土を現地調達することにしたということですが、その計画の中に沖縄本島南部が含まれている。南部と言えば・・・土には遺骨も:
・本土防衛の「捨て石」とされた76年前の沖縄戦で県民の4人に1人、約12万人が命を落とした。県は今も約2800柱が地中に眠っていると推計するが、なかでも南部は最大の激戦地だった。そうした遺骨もろとも土砂が掘り起こされ、基地の造成に使われる恐れが出てきた。
・ 菅首相は国会で「配慮するよう業者に求める」と述べた。これに対し県選出の赤嶺政賢衆院議員は、遺骨と土は同じ色になっていて、手にとって重さを比べないと区別できないと説明。小渕恵三元首相が遺骨収集に参加してきたことにも触れ、「かつての自民党政権は沖縄の歴史への最低限の認識があり、沖縄で絶対やってはいけないことの認識をもっていた。しかし安倍・菅政権には(それが)全く感じられない」と批判した。
(社説)辺野古の工事 県民の心踏みにじるな:朝日新聞デジタル (asahi.com)
🔲最近では国内で歴史上の事実を認めないという人が現れていますが 、アメリカの名門と言われるハーバード大学の教授でもネトウヨのような考えで論文を書く人がいるのですね。アメリカと言えども、トランプ氏のような人が大統領になって、まだ敗北を認めず復活を企んでいてそれを支持する人たちがいる国です: