◎「あきつ・あんてな」さんの6月17日のブログのタイトルは「狂った政治は次の選挙で正すべき。・・・安保法制案関連」です。これは、小林節氏の6月15日の記者会見での言葉です。あきつさんはこれを動画でご覧になって「壮烈で、聞き応え、見応えあり、胸のすくものでした」と書いておられます。私は丁度ウィンザー通信さんで全文を読んで同じようなことを感じブログで取り上げようと準備していました。下書きしていた記事を貼り付けます。
◎その前に、同じブログであきつさんが取り上げている自民党の村上誠一郎衆院議員のインタビューの動画について。これは元NHKアナウンサーだった堀潤さんがインタビューしています。
自民党・村上誠一郎議員が涙を流して独白 安倍政権の安保法制を批判(http://bylines.news.yahoo.co.jp/horijun/20150617-00046726/)
堀潤 | ジャーナリスト/NPO法人8bitNews代表
2015年6月17日 6時48分
*そもそもは先週10日、衆議院議員会館で安保関連法案に関する勉強会が開かれ、自民党の衆議院議員、村上誠一郎氏がマイクを握り、「学者が揃って違憲といっているのに、それを無視するのは傲慢だ」と自信が所属する自民党執行部を公然と批判する場面があった。
*その後、村上氏に同調する同僚議員は現れず、与党内で文字通り「孤軍奮闘」している。村上議員はどのような想い、どのような経緯があって「安保法制反対」を発言するに至ったのかインタビューした。
*村上氏は地元愛媛を地盤に10回の当選を経験しているベテラン議員。その村上氏が安倍政権に対して「自由と民主を守る自民党であるべきだ」と真っ向から批判の声を強めている。35分あまりのインタビューをほぼノーカットでお伝えする。
★憲法学者二人の会見と村上氏のインタビューを動画でご覧になりたい方はコチラ:http://d.hatena.ne.jp/amadamu/20150617/1434562849
<写真は一週間ほど前、晴天の日のツルハナナス(ヤマホロシ)の白花とフランネル草>
◎久しぶりに「ウィンザー通信」さんからです。お二人の会見の全文を載せておられますが、ここでは一部を。
憲法とは・・・から始まって、戦争法と呼ばれる安全保障法案のどこがどう憲法違反なのか、とても分かり易いお話になっています。
すぐハフィントンポストに入って全文を読んでも、また、ダイジェストを読んで、ウィンザーさんで全文を読まれても・・・ともかく、全文がおススメです。昨日の「モーニングバード」の「そもそも総研」でも小林節氏へのインタビューがありましたが、砂川判決のことや統治行為論についてもお二人がコチラで詳しく語られています。
安保法制に「違憲訴訟を準備」 小林節氏・長谷部恭男氏が安倍政権を批判(会見詳報)
【THE HUFFINGTON POST】2015年06月15日
http://www.huffingtonpost.jp/2015/06/15/national-security-law-unconstitutional_n_7584650.html?ncid=tweetlnkjphpmg00000001
安倍政権が、今国会で成立を目指す安全保障関連法案について、6月4日の衆院憲法審査会で、憲法違反との認識を示した長谷部恭男・早稲田大学教授と、小林節・慶應義塾大学名誉教授が、15日に、東京の日本外国特派員協会と日本記者クラブで会見し、集団的自衛権は明白な憲法違反であるとして、安倍政権の姿勢を強く批判した。
弁護士でもある小林氏は、法案が成立して施行された場合、他の弁護士らと弁護団を結成し、ただちに違憲性を問う訴訟を起こすために準備していることを明らかにした。 長谷部氏も、憲法上「重大な欠陥を含む」として、与党に法案の撤回を求めた。
小林氏と長谷部氏の日本記者クラブでの講演内容は以下の通り。
小林:巨視的に見た場合、今の安倍内閣は憲法を無視した政治を行おうとする以上、これは独裁の始まりなんです。本当に心配しています。自民党の方たちと不毛な議論を30年近く続けておりますが、いまだに「憲法って何?」ということについて、自民党の方々が納得して下さらない。世界の非常識のような議論が続いております。
憲法とは権力を持たない主権者、国民が権力担当者、すなわち政治家や公務員という、本来的に不完全な人間に課した制約です。しかし自民の勉強会に行くと毎回「どうして憲法は我々政治家だけを対象にしているのか」と非常に不愉快そうに言われる。「じゃあ一般国民は憲法守らなくていいのかよ」「やっぱりみんな守るんだ」と、自分たちが守らないといけないというところが抜けちゃう。そこで彼らの好きな権力者への「協力」という言葉が入ってくるわけです。権力者は「俺は真面目にやってるよ。おい、そこの非国民、協力が足りないな」となる。
憲法ってそういうものじゃない。ジョージ・ワシントンが王様を倒して、初めて民主国家をつくった時、それまで神の秩序を詐称していた王様と違い、初めて一般人が権力を持った以上、権力者特有の法規が必要だと憲法を作った。それから時間がたっているじゃないかとよく言われます。時間が経っても刑法、民法はなくならない。人間の本質は変わらないんです。こういうレベルの議論に付き合わされて、本当にイライラしておりました。
今問題になっているのは、権力者が従わざるを得ない憲法です。9条の1項は「国際紛争を解決する手段として」の戦争、すなわち1928年のパリ不戦条約以来の国際法上の慣用句として、侵略戦争のみ放棄していて、自衛戦争は放棄していない。もう一つの根拠は、自民党の大好きな砂川判決にも出てくるように、独立主権国家としてある以上、自然権(条文の不要な固有の権利)としての自衛権がある。これは9条があったって誰も否定はしない。しかし9条の2項で「交戦権を行使できない」と言われている。
軍隊というのは戦争に勝つことが最優先ですから、大量破壊、大量殺人など、普通に考えたら犯罪です。例外的に戦場でどさくさ紛れに強盗、強姦すると軍法で裁かれる。だから軍法会議という、大量殺人と大量破壊を問題にしない法廷が特別につくられる。だけど日本国憲法は76条2項で軍法会議も禁止している。つまり軍隊を持つことは許されていないんですよ。だから我が国の領域、領海の中で、警察や海保で担えないほどの力が襲ってきた場合、自衛隊が対応する。自衛隊は警察予備隊として発足しましたから、法的には第2警察なんです。ということは「専守防衛」と自然に出てくるじゃないですか。
我が国は憲法上、軍隊と称するものを出すことができない。海上自衛隊を外に出したら、交戦権はないし軍法会議はない。国際法的にはただの海賊です。捕まったら刑事処分を受けてしまう。当然の帰結として、我が国は海外へ兵隊を出せない。集団的自衛権というのは要するに、ヤクザ映画で見る、組同士の出入りで、傘下の組が四の五の言わずに馳せ参じる関係です。その瞬間から我が国の軍事組織が海の外に出て行くと憲法違反になる。だから専守防衛というがんじがらめの中で、我が国は他国防衛のために海外派兵を本質とする集団的自衛権はそもそも行使できない。
自民党の方々はよく「持っていて行使できないのはおかしい」と言いますね。全然おかしくない。国際法上、集団的自衛権があることは私も否定しません。だけど日本が行使しようとすると、日本の公務員、今は自衛隊が担当するしかない。任官の際に「日本国憲法以下の法令を遵守」と宣誓しているんですよ。だから憲法上行使できない。自民党の政治家とか、あとから賛成と表明した3人の有名な憲法学者もいましたが、論争が1年前に始まった時に超えている議論ですよね。バカの壁ってやつです。人間同士の論争は発展性があるが、壁との論争は発展性がない。辛いですよね。壁を蹴飛ばすか、こちらが狂うしかない。
<後略>
「自民党の議論は国民を愚弄している」
長谷部:まず集団的自衛権行使の違憲性の問題ですが、2014年7月1日の閣議決定は、合憲性を基礎づけようとする論理が破綻しているし、自衛隊の活動範囲についての法的安定性を大きく揺るがすものです。日本の安全保障に貢献するかも極めて疑わしい。
9条で武力行使が認められるのは個別的自衛権の行使のみです。これは政府の憲法解釈です。1954年の自衛隊創設以来変わることなく維持されてきました。集団的自衛権行使は典型的な違憲行為であり、憲法9条を改正する以外ありえない。これも政府によって繰り返し表明されてきた立場です。
政府の憲法解釈には「論理的整合性を保つには従来の論理の基本的枠内にあることが求められる」としております。「我が国に対する武力攻撃が発生したこと、又は我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があること」という要件は、個別的自衛権の行使のみが認められるという従来の論拠に基づき、集団的自衛権も限定的に認められるかのようにみせかけるものであります。
しかし自国を防衛するための個別的自衛権と、他国を防衛するための集団的自衛権は本質を異にする。前者のみが許されるとする論拠が、後者も許されるという論拠になるはずがない。
また法的安定性については、この閣議決定は何ら語ることはない。ホルムズ海峡の機雷掃海が許されるかどうかで、連立与党の間で見解が分かれている。集団的自衛権の行使について明確な見解が存在しないことは明らかです。「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由、及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険」。この文言はいかにも限定的に見えますが、地球の裏側まで自衛隊を派遣して武力行使をさせようという政府の意図の間には、常人の理解を変えた異様な乖離があり、この文言が持つはずの限定的な役割は否定されていると考えざるを得ません。
機雷掃海活動を超える武力の行使についても、時の政権で必要と判断されるのであれば、行使されないという法的論拠はありません。安倍首相は「あれはしない」「これもしない」と言っていますが、それは彼が現在そのつもりであるというだけで、明日になって、来年になって考えを変えればそれまでの話、歯止めは存在しない。いかにも限定的な先ほどの文言も、武力行使を限定する役割は果たさない。とすると、従前の基本的枠内に入っているはずもない。
<後略>
◎長いですが、解り易いお話ですので是非コチラで全文を:「ウインザー通信」:http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/e1edc3268bdde3273e5b95d36afde38c
<写真は4,5日前の鉢植えのホリホック(立葵・タチアオイ)>