少し歩こうということになり
生野の街歩きをすることに。
最初に入ったお屋敷にはイチョウが。
古民家を今風に利用して
手作り品などが置いてありました。
出たり入ったりしながら最後に
昭和9年に建てられたという
洋館付きの邸宅に入りました。
洋間は、今は喫茶室になっていて、
お茶を飲んでいるお客さんがいました。
ガラスが豊富に使われていて、どれも昔のガラスで、いい具合にビヨンビヨンしています。
外に出て、雨も上がったことだし、志村喬記念館へ行ってみようかということになりました。
黒澤映画「生きる」や「七人の侍」のあの志村喬が生野銀山の鉱山職員宿舎に12歳まで住んでいたとは。
少し歩いて大きな通りを横切ると幟が立っていて入口が分りました。入るとすぐ板塀の下に三菱マーク入りの瓦が置いてあります。
立札を読むと、「明治29年、生野鉱山は宮内省から三菱合資会社に払い下げ、それ以後、「官舎」も「社宅」として使われた。三菱マークの入った生野瓦は、赤瓦とも言われ、寒冷地の気候を考慮して高温で焼かれた丈夫な瓦。」
管理棟と呼ばれる建物から人が出て来られてパンフレットをもらいました。「志村喬さんはここで生まれ、12歳までいて、その後神戸一中へ」と。
塀にはデカデカと岡田准一の名前が。誰かが「どうして岡田准一?」と訊くと、俳優の岡田准一が志村喬を慕っていて、軍師官兵衛の時には何度も姫路からレンタカーで来たとか。
へぇ〜岡田くんがねぇ〜。私たち世代だと、志村喬を通して岡田准一を改めて見直すという感じですが、若い岡田ファンたちは、逆に、岡田准一を通して、彼が尊敬する志村喬を知り、黒澤明監督や映画を見直すという人たちが増えているようです。
志村喬の生家は今はなく、松の木が目印とか。写真を撮り忘れたので、管理棟で説明して下さった方が管理人をしている(らしい)ブログの写真を撮ってみました。ブログ<「甲社宅」「志村喬記念館」>(http://kousyataku.bbs.fc2.com/)より:
岡田准一氏三度目のご来館 - 管理人
2015/02/21 (Sat) 16:13:06
昨日、大河ドラマ「軍師官兵衛」の放送無事終了のお礼と日本アカデミー賞2015「永遠の0」で優秀主演男優賞、「蜩ノ記」で優秀助演男優賞のダブル受賞の報告を兼ねて行きますとのことでお出でいただきました。
3月から次の主演映画「エヴェレスト 神々の山嶺」撮影でエベレスト行きが決まっている大変厳しい日程の中遠路はるばるお越しいただき多次朝来市長はじめスタッフ一同感謝感激のひと時でありましたし岡田准一氏にとって大先輩であります志村喬への思い入れの深さを改めて感じさせられた一日でもありました。
平成22年に復元された官舎・社宅群の一番手前、甲7号棟の大正期の住宅、これが「志村喬記念館」になっています。続いて甲8号棟は明治初期の住宅、甲9号は昭和中期。これは私が箕面へ引っ越す前の岡町の借家の造りに似ています。端っこの甲19号棟は明治後期。
7,8,9までが明治政府直轄であった生野鉱山の上級管理用官舎。19号棟と管理棟は明治29年に三菱に払い下げられてから建てられた社宅。ぐるっと裏に回ると、雨戸があって、縁側があり懐かしい大正・昭和の住宅の原型のおもむきです。ポスターが貼ってある管理棟と呼ばれる建物(20号棟)に入ることに。
真っ先に目に飛び込むのは黒々とした汽車(機関車)?みたいな映写機です。
「これ1台で300キロあります」と言われました。
筒の胴体を開けて、「カーボンをこの二つの大釘みたいな間に挟んで圧力をかけてスパークさせて光源にしてフィルムをここに掛けて映します」という説明に、突然、M子さんが、「あ〜燃えるの〜!ニュー・シネマ・パラダイスのあれ〜!」と大声。
説明の方が、「よぉ〜燃えましてなぁ〜。ここから炎と煙を逃がすんです」と胴体の上の煙突みたいな部分を指しながら。
この映写機は鉱山の福利厚生施設「協和会館」で、昭和29年から多くの名画を映し出したそうです。保健制度のある病院があったり、社宅の先駆けだったり、ここ生野銀山は日本の近代化の最先端をいっていたのだとか。
志村喬さんのお兄さんは横浜ゴムの社長・会長だった方で、昭和48年には兄弟で帰郷し生野小学校を訪れています。その時はまだ生家も残っていたとか。
パンフレットから、「志村喬(1905-1982)プロフィール:明治38年、兵庫県朝来(あさご)市生野町生まれ。本名は島崎捷爾(しょうじ)。父は生野鉱山の冶金技師。幼少時代を生野鉱山の社宅で過ごした。大学生のころに役者を志し、舞台演劇等を経て、昭和9年に銀幕デビュー。昭和18年に黒澤明監督と出会い、後に『生きる』『七人の侍』などの名作に出演、いぶし銀と称された存在感のある演技は海外でも高い評価を受けた。昭和57年、永眠。享年76歳。」
街も小奇麗で街歩きに便利なようになっていますし、親切なスタッフさんもおられて街を挙げて観光に努力しておられる様子がうかがえます。丸椅子に座って、お茶をよばれ、お茶うけにラスクの袋を破いて出して下さいました。このラスクの美味しかったこと。お土産に、1つは山の行動食に良いからと、2袋買い求めました。
管理人さんのブログを読んで知ったことですが、岡田准一という若い俳優さんが新しい志村喬ファンや映画ファンを開拓しているというお話はステキだなと思います。シールズの大学生や高校生が、第9条を見直したり憲法を見直したりするのと同じで、こうやって良いものは引き継がれていくのだと思います。(憲法については本当は教えられるべきものですが…)
雨も上がり、湯村温泉翌日も大満足の生野銀山と志村喬記念館の街歩きでした。駐車場に戻って、さて、出発です。
出口の桜の木が葉を全部落として、木の下の植え込みと一緒になって美しい赤に染まっています。(終り)