◎「マガジン9条」の「伊藤真のリターンズけんぽう手習い塾」より。(昨日水草牧師さんを訪ねたら、この記事が紹介されていました)
参院選の結果、「改憲勢力寄せ集めて3分の2超」にがっくり来られた方には、そんなにがっくりしくても、すぐ改憲ができるわけではないと説き、一方、「選挙の争点から隠していたのに、終わったらすぐ改憲」という批判は当たらない、2012年に自民党が改憲草案を公表してから、改憲案を実現する方向で着々と進めているのだから、堂々と彼らなりの「誠意」をもってやっているだけのことで、「国民やメディアがそれに対して鈍感」なだけと辛口だったり。この、「3分の2超」をどう考えるべきかという記事は、冷静に安倍政権の「改憲の道筋」をたどりながら、予想される憲法問題を説いている有り難い内容だと思います。少し楽観的かな、とも思いますが・・・・・・(引用元:http://www.magazine9.jp/article/juku/29330/)
「改憲勢力衆参で3分の2超」をどう考えるべきか。
〜2016年参院選の結果を受けて〜
先日7月10日に参院選の投開票が行われました。自民党は56議席、公明党は14議席を獲得し、安倍首相が勝敗ラインに設定した与党の改選過半数を大きく上回る結果となりました。憲法改正に前向きなおおさか維新の会は7議席を獲得し、同党などを加えた改憲勢力で参院の3分の2を上回ることになったと報道されています。これをどのように評価すべきでしょうか。
憲法改正は争点となっていなかったのか
従来、憲法改正について、安倍首相は年明けから「参院選でしっかり訴えていく」(1月の年頭会見)、「在任中に成し遂げたい」(3月の参院予算委員会)などと強い意欲を示してきました。しかし、参院選が近づくにつれて発言を控えはじめ、6月末には参院選での争点化はしないと明言しています。実際に、選挙演説でも、公約にもはっきりとは明示されませんでした。民進党、共産党などの野党は、正面から議論すべきだと批判していましたが、果たして今回の参院選で憲法改正は争点として位置づけられていなかったのでしょうか。
自民党は、2013年に特定秘密保護法、2015年に安全保障関連法を公約に掲げず十分な議論を経ずに成立させたとこれまでも批判されてきました。しかし、2012年に公表された自民党憲法改正草案をみると、9条の2第4項「機密保持に関する法律」、9条の2第3項「国防軍は、……法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に協調して行われる活動」と規定されています。つまり、既に4年前からこういう法律を作りますよと堂々と掲げており、改憲草案を自らのゴールとして、その中の法律を先取りして着実に立法化を進めてきただけといえます。ある意味、自民党は国民に示したとおりのことを「誠実」に進めているだけで、国民やメディアがそれに対して鈍感なだけだったといってよいのではないでしょうか。
自民党改憲草案の前文をみると、「日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する」と憲法制定の目的が書かれており、13条では「個人の尊重」を否定しています。つまり、一人ひとりを個人として尊重するよりも、国家を尊重することを明確にしています。そして、改憲草案前文の第3項をみると「我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、……活力ある経済活動を通じて国を成長させる」としており、国民の行うべきことは、国を成長させることだとはっきり書いてあります。GDP(国内総生産)600兆円を掲げるアベノミクスもその延長線上にあるといえます。要するに、一人ひとりの個人よりも、国家を尊重する国を造りたいと考えているのは明確です。
このように、自民党は、既に国民に示した自らの目指す国づくりに向けて一歩一歩着実に進めているだけなのであって、今回明確に争点化されていたかどうかは、余り関係がありません。選挙は、結局、このような自民党の方向性に賛成か、反対かの意思表示であって、今回の結果を受けて、安倍首相が「国民が支持してくれた」として政策を進めていくのは当然でしょう。
今回の参院選でいわゆる改憲勢力が3分の2を上回ったことから、憲法改正への動きがすぐさま現実のものとなるのではないかと不安を感じている方がいるかもしれません。しかし、改憲勢力が3分の2というだけではほとんど意味がありません。具体的にどの条文をどう変えるのかという案が出たとき、衆参で3分の2の賛成を得られるかどうかにこそポイントがあります。
例えば、9条改正によって国防軍を創設することに対して、連立与党である公明党や、「命や平和」を是とする学会員がすんなり賛成するとはとても思えません。また、おおさか維新の会は、教育の無償化、憲法裁判所などを提唱しますが、自民党内でもその実現には大きく意見が分かれることになるでしょう。憲法改悪に反対する人たちは、改憲勢力が3分の2を超えたからといって落胆する必要はまったくありません。
私たちは、改憲に賛成か反対かを対立軸としてとらえるのでなく、自民党のめざす国づくりに賛成か反対かが対立軸の本質であることをしっかりと意識しなければなりません。自民党改憲草案のように軍事的に強く豊かな国づくりを目指すのか、一人ひとりが個人として尊重される現行憲法の国づくりを目指すのかという対立軸を明確にすることが重要です。
憲法改正における限界
憲法改正といっても、憲法に規定されている改正手続きによってどのようにでも変えられるわけではないことは知っておいた方がよいでしょう。まず、改正が許されるところとそうでないところがあります。例えば、日本国憲法の国民主権を明治憲法の天皇主権にするような憲法の本質的な価値を変えることは、改正の限界を超え、許されません。それはもはや革命といえます。同じく、先の大戦の反省のもとに規定された現憲法の平和主義も改正手続きによってその本質を変えることはできません。
次に、仮に発議された改正案については国民投票が必要になりますが、そもそも国民投票にふさわしくない事柄があると考えるべきだと思います。イギリスがEUから離脱するかを問うような国の政策に関するものであれば、国民投票によって国民の意思を問うてもよいでしょう。なぜなら、たとえ自分の意思に反した政策でも、予想に反して豊かになり、少数派の人が後で逆によかったと思えることは十分考えられるからです。
しかし、個人の思想良心、宗教といった人間の内面にかかわる問題は、多数意思に基づいた結果を押し付けられて、その人が幸せになることはありえません。そのような領域の問題を国民投票にかけるべきではないのです。
例えば、自民党改憲草案に規定されているような日の丸や君が代の尊重、天皇をいただく国家というものが国民投票にかけられたとして、それを多数から強制されて少数の人が幸せになるということはありえません。こういった価値観の根本にかかわることは、多数決によって押し付けることができない私的領域にかかわる部分なのであり、国家は立ち入れないものとして守ることが立憲主義の本質といえます。
また、民主主義には、多数派による政策でも、うまくいかなかった場合少数派が選挙によって入れ替わるプロセスを経ることで是正されていくという重要な機能があります。しかし、改憲草案21条2項に規定されているような表現の自由の規制にかかわることを、多数意思で決定してしまうと少数派は反対の声も上げられなくなり、民主主義はもはや自己回復が困難となり崩壊します。
このように、一度決めてしまうと取り返しがつかないことは、多数決による国民投票にはなじまないことを知っておくべきでしょう。
正統性がない国会
この改憲論議を進めるにあたっては、国政選挙におけるいわゆる「一票の格差」問題は避けられません。今回の選挙区では、福井県を1票とすると、埼玉県、新潟県は0.33票しかありません。有権者のたった4割が選挙区選出議員の過半数を選んだ計算になり、主権者の多数が国会議員の多数を選出していないのです。このような国会にはそもそも民主的な正統性があるとはいえません。最高裁が衆議院、参議院ともに違憲の状態の選挙だと断じた国会で選出された議員を含めて、改憲勢力が3分の2だといってみても、こうした国会議員による発議にはなんの正統性も認められないのです。
まずは人口比例選挙にして1人1票を実現しない限り、国会は発議すらできないはずです。この状態を放置しながら、憲法改正の議論をするのは本末転倒でしかありません。
我々は、参院選翌日に全国すべての45選挙区で選挙無効訴訟を提訴しました。こうした違憲訴訟自体を封じ込めるために自民党は「1人1票の人口比例選挙でなくてもよい」とする趣旨の改憲を今回の参院選の公約に掲げていました。しかし、まず現行憲法が要請する人口比例選挙を実現し、その上であらためて参議院の役割をしっかりと国会で議論をするべきです。現実の違憲状態をなくすために憲法を変えてしまえというのは、あまりにも非立憲的な考えです。しかし、このように違憲の規制事実を積み上げて、あとでそれを改憲によって追認するという手法は,安保法制や秘密保護法による情報統制も含めて非立憲的な現在の自民党の体質なのかもしれません。
今の憲法の理念に基づき一人ひとりの個人を尊重する国づくりと、自民党が提唱する強く豊かな国づくりでは、方向が全く異なります。市民の一人ひとりにとって、今回の選挙の結果は、自民党改憲案の目指す方向性が、自分の幸せにつながるのかどうか、我が事として考えるよい機会となるはずです。そこで培った市民の力を次の総選挙で生かし、憲法を意識した投票行動に出るためには大きなチャンスといえます。そういう意味では、この選挙は終わりではなく、始まりだといってよいでしょう。
日本は1874年の台湾出兵から、1945年まで71年間「戦争をし続けた国」でした。今年は、戦後「戦争をしない国」として71年にあたります。やっとタイまで持ち込めました。「戦争しない国」というこの国のかたちをどこまで続けることができるでしょうか。私たち市民は重要な岐路に立っています。