6日の土曜日に少し雨があったくらいで日曜日はまたお天気。それに湿度が異常に?下がっていて、鉢植えの草花はぐったりしています。福島の山火事は収まったのでしょうか。日本にいて黄砂が心配されるくらいですから除染されていない山林の火事では放射能が降り注ぐような気がして心配ですね。大阪にいて心配しても仕方がないのですが、福島ではちゃんと情報を得ることができているんでしょうか。昨日のコメント欄でブログ仲間さんから朝日新聞の福島版の記事を紹介していただきましたが、今日あたり、完全に鎮火していればいいのですが。
ところで、昨日の朝のコーヒータイムで母に買い物を頼まれ、自転車で出かけることに。そうだ、我が家のもう一つのバラ、ピエールドロンサールはまだ蕾だけど、スゥエーデンハウスのバラの生け垣を見てこようと寄り道することに。息子たちが小学生のころ、団地の「20棟裏の公園」を「20裏」と呼んでいた公園の西南の角にある青い家を目指しました。
遠目に見ても花が咲いているようには見えず、あれ、やはり、早かったかなと自転車を止めると、東の玄関の扉が開く音がしました。毎年、黙って写真を撮らせていただいているので、ご挨拶しないといけないかな…と思い切って玄関の方へ。ご夫婦で外出されるところでした。「毎年、垣根のバラを楽しみに見させていただいています。写真を撮らせていただいていいでしょうか」とお願いしました。
もちろん「どうぞ、どうぞ」と言ってくださったのですが、奥様の方が南の垣根のところまで来て、「今年はバラの新しい枝を間違って切ってしまって失敗したんですよ〜」と。
毎年丁寧に大きな枝を垣根にそって這わせておられますが、今年は垣根から大きな窓の上の方まで変わった金属のネットのようなもの(←)を取り付けて本格的に枝を誘引されていて、垣根も窓辺も数えきれないほどの蕾を付けています。
「いつも連休明けに花が咲くので、今日は少し早いかなと思って寄ってみたんですけ」と二人で少しバラ談義。開いた花を探すと一つだけでしたが、一週間ほどしたらまた寄せていただこうと思っています。
◎さて、アエラに森友問題の記事です。籠池氏と東京の自宅で直接インタビューした「日本会議の研究」の著者・菅野完氏の記事が出ています。「左派は結果がすぐ出ないと拗ねてやめるが、日本会議の人たちはそうではない」とか、森友問題の「本質は、やはり教育勅語です」とか、菅野氏ならではの内容をコピーです。
(引用元:https://dot.asahi.com/aera/2017050100063.html?page=1)
菅野完「籠池氏は『安倍首相がんばれ』を『ウケると思って』やった」
(更新 2017/5/6 07:00)
「安倍首相ガンバレ」を叫ぶ子どもたち、教育勅語を朗唱させる幼稚園……。森友学園問題に端を発して「右翼」という人たちが、にわかにクローズアップされている。AERA 2017年5月1−8日号では「右傾化する日本」を大特集。「右翼」って何?「保守」とどう違う? 素朴な疑問に答える。
森友学園問題で一躍時の人となった著述家の菅野完氏。著書『日本会議の研究』が18万部を超えるベストセラーとなった氏に、右派市民運動について聞いた。
菅野完(すがの・たもつ)/1974年奈良県生まれ。著述家。著書に『保守の本分』(noiehoie名義)『日本会議の研究』(ともに扶桑社新書)ほか(撮影/編集部・小柳暁子)
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私が籠池泰典氏から聞いた証言で最も衝撃的だったのが、日本教育再生機構を知らなかったということ。「教育再生」と言っているが、それは流行言葉だと思っていたと。「安倍首相がんばれ」も「ウケると思ってやった」と。要するにファッションとしての愛国。経済的な利益を得るためというより、そのほうが他人ともめないという、一種のプロトコルになっている。
日本会議を考える時に忘れてはいけないのは、集票力は少ないという冷徹な現実。創価学会800万票に比べて、50万票。労働組合より少ない。しかし影響力はある。それは組織の力ではなく、言論の力なんです。
もうひとつは、草の根や地域を大切にする点。国政選挙だと歯が立たないが、地方議会であれば、やる気のある活動家が一人いれば十分当選できる。そうすると、地方議員が日本会議化していく。その上にいる県会議員も国会議員も徐々になびいていくという構図です。
私が一番感じたこの組織の本質は、嫉妬のコントロールがうまいという点。高度なガバナンスです。崇教真光や佛所護念会といった多少創価学会的に動ける協力団体があるので、運動論からいうとそっちを大事にすればいいが、こういう人たちが前面に出てくると一般の人は入りづらい。そこで神社を前に出す。神社は歴史もありプライドが高いので、新興宗教とは扱いをきっちり分ける。日本青年協議会の人が神主さんを扱うときの丁寧さといったらないですよ。
●左派はすぐ拗ねる
左派の人たちは、運動にすぐ答えが出ると思っている。出ないと拗ねてやめる。でも日本会議の人たちは、早く答えを出そうとは微塵も思っていない。それは学生運動の頃に自分たちの運動がマイノリティーだったという、強烈な原初体験があるからでしょうね。
今回、マスコミの報道で明らかになったのは、言論として政権に対峙するスキルを日本のメディアは失ってしまったということ。問題の本質は、やはり教育勅語なんです。そういう教育方針の学校が私学といえども設立されようとし、公金を受けながら運営されようとしていた。一時は内閣総理大臣がそれを是とした。それは「忖度(そんたく)」とか8億円のお金よりも、とても大きな問題です。本来なら野党もメディアも真正面からそれを言わないといけなかった。しかし、それを正面からできなかった理由こそが、日本会議が拡大してきた理由でもあります。言論の自由の範囲内での意見だとして見過ごし、言論として対峙してこなかったことの問題はとても大きいです。
ロッキード事件以来、日本のメディアは政治家と対峙する際、金とセックススキャンダルだけになってしまったのではないか。それでは「清廉潔白な危険思想の持ち主」が出てきたときに、対抗する軸を持ちえないんです。(談)
(構成/編集部・小柳暁子)
※AERA 2017年5月1−8日合併号