「七度目の三月に考える・・・」(福島の子どもたちを招いて)


豊能障害者労働センターの機関紙「積(つみき)木)」の4月号が届きました。
福島県の障害のある子どもの保養プロジェクト「ゆっくりすっぺin関西」の代表を務めておられる宇野田陽子さんの記事を書き移してみます。
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七度目の三月に考える・・・
   懸命に想像すること、手を取り合うこと
          「ゆっくりすっぺin関西」代表 宇野田 陽子



 東日本大震災から丸七年がたちます。東日本大震災の年に0歳だった子どもたちがすでに小学生になっています。私と福島のかかわりも、この一年で大きく変化しました。<中略>
 こうしたいくつもの個人的な出来事から改めて考えさせられたのは、長い人生をかけて積み上げてきたすべてのを原発事故によって理不尽に奪われて故郷を離れざるを得なかった高齢者の方々の心身の苦しみや絶望の深さでした。
 三月三日付けの福島民報によると、県内の市町村が震災(原発事故)関連死と認定した死者数は、今年の二月二十日時点で2211人。昨年の同時期より82人増加しており、そのうち2003人が原発事故に伴う避難区域が設定された12市町村の方々なのだそうです。

 今年の数少ない福島訪問のうちの一回は、昨年秋の保養相談会で出会ったご家族を訪ねる旅でした。震災からずっと保養を切望しながらも、震災当時十二歳だった重い障害のあるお姉ちゃんは、発作やパニックなどのため、これまでどこのプログラムにも参加が叶わなかったとのことです。相談会でお母さんが保養参加を希望されたことから、お姉ちゃん本人に会いに行ったのです。


 大阪でやってみたいことを聞いてみると、お姉ちゃんはニコニコしながら紙に「塗り絵、パズル、ビンゴ、折り紙」とやりたいことをびっしり書いていきます。たべたいものは「たこ焼き」と満面の笑みでこたえてくれました。ご家族そろってきてもらえる日が楽しみです。

 お母さんによると、年子の弟さんは震災直後にいくつかの保養に参加しましたが、送り出すお母さんも送り出される弟さんも不安で涙ながらの出発だったそうです。しかし、弟さんはプログラムを満喫して帰ってきて、「お母さん、世の中にはいろんな大人がいるんだね」と言ったというのです。彼自身も周囲の大人から守られていると実感しにくい状況だったそうです。それが、保養に参加することで視野を広げ、世界は広くていろいろな人がいるというとても大切なことを学んだのでした。彼はこの春、家を離れて第一志望だった専門学校に進学します。

 とても偶然なのですが、中学二年生の時にゆっくりスッペin関西に参加してくれた女の子も同じような思いを経験していたようです。彼女は、重い障害のある弟さんの存在をとても苦しく思い、常に周りから白い目で見られていると感じ続けてきたそうです。しかし大阪で過ごし二泊三日を通して、「世の中は、弟を白い目で見る人ばかりじゃないんだ」と知って自分が少し楽になった、同じように苦しんでいる人の力になりたい、という思いを作文に綴ってくれました。彼女のお父さんからその作文を見せていただき、思わず涙が出ました。あまりにもささやかな私たちの活動ですが、ふと振り返ってみたら、そこに若者たちがキラキラ光る小さな希望の灯をともしてくれているのだと思います。


 この七年間で、日本社会もさらに変化しました。真実を軽んじ、「弱者」を見つけて一斉にバッシングし、被害者となった人を攻め立てて自己責任を問い、歪んだ正義感で互いを監視しあうような雰囲気が、じわじわと広がっているように思えてなりません。

 こうした状況のもと、無知や偏見から福島県民や原発事故の被害者に対する卑劣なあ中傷が行われる事態も起きているようです。多様な差別問題を重層的かつ多角的に見つつ、この問題を読み解こうとする姿勢がこれまで以上に求められていると思います。

 二月十一日、南相馬市小高地区にウクライナからチェルノブイリ原発事故で被災した二人の女性が来られました。小高区はが2016年七月に避難指示が解除されましたが、居住率は約二十八%です。交流会の会場となった公民館には、小高区の住民たちもたくさん集まり、チェルノブイリ原発事故と避難生活を実際に生き抜いてきたお二人の言葉にじっと耳を傾けておられました。「ウクライナの人々はいつもみなさんと連帯しています。どうか、自分たちは孤立しているなんて思わないで。一人でいてはだめ。みんなで集まって力を合わせてください」これが、別れ際に小高の人々に送ったメッセージです。

 東日本大震災から八年目に入ろうとする今、この時代状況の中で「震災を風化させない」「原発事故をなかったことにさせない」とはどのようなことなのかを、懸命に想像力を働かせながら考え続けています。ひとの数だけ願いや思いや選択があり、問題の複雑さゆえに齟齬や軋轢が起きることもあります。でも、「分断」の二文字がちらつくときにこそ、あの若者たちのように、さらに前へ踏み出して仲間と手を取り合える大人でありたいと思います。

宇野田 陽子(うのだ ようこ)プロフィール
1968年鳥取県生まれ。大阪府豊中市在住。言語聴覚士として兵庫県宝塚市内のクリニックに勤務。1996年ヨリノーニュークス・アジアフォーラムのメンバーとして核も原発もない未来を目指すアジア地域の仲間づくりに関わる。2011年5月より、福島を中心に毎月東北を訪問し、子どもの遊び場活動、言語聴覚士としての医療支援などにも取り組む。保養をすすめる関西ネットワーク運営委員。2013年より豊能障害者労働センターと共に福島県の障害のある子どもの保養プロジェクト「ゆっくりすっぺin関西」を立ち上げ、現在代表を務める。