「そやろがいおじさんの辺野古問題」と「沖縄の若い力」(三上智恵の沖縄撮影日記)

3月10日だったか、テレビ大阪テレビ東京)で池上彰氏の沖縄の番組がありました。1972年の沖縄返還前後の政治状況が詳しく取り上げられていました。佐藤栄作首相の沖縄返還と沖縄密約。沖縄側の屋良朝苗さんについても。ビデオで録画して見ましたので、またいつか触れることがあるかも。今回は沖縄についてツィッターからです。

ホワイトハウス辺野古署名のロブ・カジワラさんの沖縄の実家を警察が訪ねて何か探っていたとか・・・ 何か悪いことでもしましたか?ですね。

◆ネットで話題の「そやろがいおじさん」。YouTubeで見ることができますが、赤いTシャツ姿で沖縄の美しい海をバックに正論を叫ぶ動画が話題ですが、意外と若いのに驚きます。その榎森耕助さんが、辺野古問題をなかなか上手なたとえ話にしながら、県民投票反対7割の結果を見て即埋め立て工事を再開した政府を批判しています・・・

「かなりの博奕」お笑い芸人語る辺野古問題
3/7(木) 14:50配信

Nippon News Network(NNN)

 みなさん、ちょっと想像してもらいたいんですけど、例えばレストランに行って、シェフの方が「うちのメニューはこれしかありません、唯一の選択肢です。ただ、この料理いつできるかわかりません、いくら料金かかるかもわかりません、本当にできるかもわかりません」と言われたら注文しますか?これがちょっと僕にはできないと思うんですよ。

だから今こうやって県民投票で、明確なくっきりとした反対が出たので、安倍さんも真摯に受け止めるというようなお言葉を言っていらっしゃいます。ではもう一度、沖縄県とかアメリカとか話し合って、辺野古以外の選択肢はないかと探るような姿勢だけでも見せてくれないと、真摯に受け止めてもらっているとは感じられません。反対の民意が出た翌日に、もう土砂を入れていると。これは真摯という言葉とは裏腹ではないかと僕は思っています。引き返すなら今だぞと思っています。

◆防衛相の次の言葉も、よく平気で・・・と腹立たしい思いで聞きました。

山崎 雅弘さんがリツイート
異邦人
@Beriozka1917 3月5日
なるほど後どれほどの工費と工期を要するか分からない辺野古新基地建設だが、取り敢えず沖縄県民の意思表示を無視するという一点だけは決まっていたと。民主主義を馬鹿にするのも大概にせよ。
「県民投票にかかわらず工事継続 決めていた」防衛相 | NHKニュース 

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◆これは私もピンときました。確か90mと言っていたのに、国会では70mに。

これは機械が到達できる深さに合わせて数字を胡麻化したなと思いました。

内田樹さんがリツイート
インドア派キャンパー
ⒻⒸⓀⓁⒹⓅ
@I_hate_camp 3月5日

参院予算委。

小池晃(共産)が驚愕の暴露

報告書に"工事船の施行深度限界が70mであることから軟弱地盤への工事は70mまでとする"と書いてある。このために実際には90mある軟弱地盤を70mへ数値を変えて公表したんじゃないですか?

……やはり、そうだったかここでも忖度と捏造だ

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立川談四楼

@Dgoutokuji 3月7日

辺野古軟弱地盤を最深70mに修正」とは怪しいニュースだ。これまで90mとしてきたが「70mを超えた部分には固い粘土層があることが確認された」からなんだってさ公文書を改竄し、統計を捏造してきた安倍政権なんだぜ、怪しいだろ?70mを超えた部分に固い粘土層があったことにしよう」ってことだね。

 ◆先日「shuueiのメモ」さんが、マガジン9の三上智恵さんの沖縄だよりを紹介しておられました。引用文を読んで、数日してからサイトの全文を読んでみました。これはうれしい記事でした。

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本土出身で沖縄に住み情報発信の活動をされている三上智恵さん。大阪で放送局のアナウンサーをしておられました。本土の沖縄を見る目には、差別意識で見る目と、もう一つ、逆に、贖罪意識が働いて悲壮感が漂う場合があります。三上さんの報告にも時々後者の感じがありました。ところが、今回は、沖縄の若い力に三上さん自身が励まされておられるような内容です。ぜひ全文を:(ブログの最後をクリック)

沖縄戦を体験した文子おばあや基地闘争の経験者のツワモノ博治さんたちも、最初は県民投票反対だったそうです。辺野古県民投票の代表・元山仁士郎さんを元SEALDsの奥田愛基さんが語るところから引用です:

第89回:まだ黙殺を続けますか?~沖縄県民投票で示された民意~(三上智恵

By 三上 智恵 2019年2月27日

 

<前略>

 

結局、投票した人の7割強、43万の沖縄県民が「埋め立て始まっているし、もう決まったんだからあきらめろと言われても、あきらめられませんよ。反対しますよ」という意思を表明したわけだ。ここまで工事が進んだ状況でも、なおかつ反対の票を投じに出向いて行くのだから、20年前の反対とは意味がだいぶ違うのだ。

<中略>

 今回、私は18歳と19歳の沖縄の子どもたちの圧倒的多数が反対に票を投じたことに驚いた。そして動画に上げている通り、若い子たちがめきめきと力をつけて行動し始めていることに目をぱちぱちさせている。感動とか勇気とか、そんな言葉で装飾するのが申し訳ないから目をぱちぱち、なのだが、信じられなくて、眩しくて、こんな日が来るなんて、とおろおろするような感覚で見ていた。スマホフェイクニュースにどっぷり浸かった世代である20代、30代の若者には基地容認が多いのに比べ選挙権を手にしたばかりの10代の感性は明確に「なんかおかしい!」に振り切っているのだ。この現象はなんなのだろうか。

 

 少年時代を沖縄で過ごし、SASPL、SEALDsと若者の政治行動の中心メンバーだった奥田愛基くんが、開票の夜辺野古まで来ていた投票率を上げるため、県民投票連絡会の青年部が、沖縄戦の激戦地だった糸満の魂魄の塔から辺野古までの80キロを歩くという意欲的な行動に出たのだが、その一員として歩いてきたのだ。

 

 今、国会の前ではあの頃のような若者たちの姿を見ることはできないが、当時私は東京で、大阪で、政治的なイシューに真っ向から声を上げるかっこいいお兄さんお姉さんを見つめている中学生・高校生の姿を見た。イベントにセーラー服で来ていた女の子たち。彼女たちのあこがれは、年が離れすぎた博治さんには向けられないだろうが(失礼)、マイクをもって訴えるお兄さんたちは強い印象を残したと思う。そしてSEALDsは解散したけれど、今回の住民投票をけん引した27歳の宜野湾出身の青年、元山仁士郎くんはSASPLからの奥田くんの仲間である。だから私は奥田くんにこう言った。「奥田君たちが生み出したものの一つだよね、これは」と。すると、就職してすっかり大人になった感じの奥田君はいった

 

 「いや、なにいってんすか。僕たちは辺野古や高江で頑張る人たちに触発されて、民主主義どうなってるんだって行動を始めた。ここからエネルギーもらったんですよ」

 

 私が「今回、仁士郎くんがハンストに入ったときには、さすがに勝算もなく丸裸でやってる感じがして心配だった」と言うと奥田君は「今回の住民投票をぶち上げた時からあいつ丸裸でしたよ」と言ったもし失敗したら逆に辺野古で積み上げてきた運動を台無しにしかねないと、現場からは突っぱねられ、保守からは叩かれ、ネットでは連日バッシングを受けた元山くんを、奥田君としては見ていられなかったのだと思う。

 

 「あの純粋さと鈍感さと、図太さと……。はらはらしますよね。それでもあいつがいなかったら今日はなかった

 

 職場への影響もあるから、と動画撮影はごめんなさいと言った奥田くん。でも沖縄に飛んでくる熱い思いが健在であることがうれしかったし、沖縄の若い子たちにとって県内外の「かっこいいお兄さんお姉さん」をたくさん間近に見る機会が確実にあったことがありがたかった。県民投票に動き出した若者たちについて、おばあはこの夜、改めて私に言った。

 

 「元山仁士郎? あれはね、1年前私に怒鳴られたんだよ。今現場がこんなに大変な時に住民投票なんて、失敗したらどうするの? たった4人で始めた? 逆に大変なことになったら責任とれるの? って。そうしたら、おばあが怒ってるから話は終わります、とやめたんだよ」

 

 このテントで住民投票の話はするな! とまで言われ、1年前は針の筵だった元山くんたち。相当悩みながら進めてきたのだろう。現職知事の病気と、埋め立て容認撤回と、逝去、知事選……。この激動の1年で、住民投票の意味はどんどん変化していった。賛同しない市町村が次々に出てきて、投票できない地域があちこちに出てきて県民も揺さぶられた。でも結局は、県民が県民の手で自らの意思を示す機会を守り切った。それこそ民主主義を強固にするために乗り越えるべき壁、となった。そしてそれらの動きを、10代の若者たちは注視してくれていたのだ。ちょっと上の兄さんたちが大人たちを説得したり、また距離を置いたりしながら頑張ってることも。古臭い感じがするけど地道に粘り強く住民運動をして来てくれた大先輩たちの存在も。そしてこの日のゲート前のように、前から頑張ってる大人たちと若者たちの行動が呼応し、手を取り合う瞬間の希望も。

 

 博治さんも、おばあも、県民投票の話が持ち上がった時には大反対だったわけだが、紆余曲折を経て、今日この勝利の夜の二人の表情を見てほしい。誰がこの笑顔を引き寄せてきたのか。この1年で多くの人が新たに気づいた「動き出すこと」の力。この1年で築いた民主主義の基礎。60万人が投票所に行き、参加して考えた熱量や、交わされたであろう会話の数々。県民投票が失敗だったか、成功だったか。それは獲得した票の数や投票率などの数字だけで測れるものではないのだ。

 

 「なんで大人たちは辺野古反対というくせに住民投票に反対するば?

 「県議会が県民投票するって決めたのに、俺たちの地域が投票できないって意味わかる?

 硬直化した大人の社会に「おかしくない?」と素朴な疑問をぶつけてくる世代に元気があればあるほど、その地域には潜在能力がある。私は沖縄に暮らして25年。報道しても伝わらないだの、若い人の関心が薄いだの、危機感ばかり叫んできたけれども、辺野古の問題が持ち上がって20年余りのこの日々の中で、頑張ってるおじい、おばあたちの姿は着実にこの島の子どもたちの目に焼き付けられていたのだなと初めて実感し、安堵した。動かない大人たちしか見ていなければ、その地域の子どもは傍観者になるだろう。でも沖縄は違う。胸を張ってそう言えることはものすごく幸せなことだ。ありがとう、先輩たち。ありがとう、若者たち。

 

 さて、政府は県民投票の結果いかんにかかわらず移設工事は進めるの一点張りで、最初から「黙殺します」というポーズを崩していない。防衛省は予想外の数字だったと本音を漏らし、動揺は見てとれるけれども、早速翌朝から埋め立て工事はフル回転で、土砂の投入は止まらない。しかし今回は主要メディアもトップニュースで報じ、海外の報道機関も活発に動いており、このまま投票結果を無視し続けることは民主主義国家としてあり得ないという状況まで来てしまった。

 

 ここまで来て、問われているのは政府の態度だけではない。沖縄の埋め立て反対の民意が確固たるものであるという今現在の県民の声を、民主主義に則った手続において沖縄県民は政権に伝えるだけではなく、国民にも知ってもらったわけであるから、これを聴いてしまった日本国民個々人も、民主主義社会の一員であるならばもはや傍観は許されない

<後略>

 ◎8キロ歩いた青年たちの中には、今は亡き翁長知事の息子で那覇市議の姿もありました。確実に若い世代にも受け継がれていますね。受け継ぐほどの長い闘いを強いられているということです。

 ●全文はこちら↓で:県民投票の結果をみんなで見ている動画もあります。