「辺境の地になった日本 生き残る道は世界の“古都” (高野秀行)」と「鶴橋のチマ・チョゴリ(朝日新聞)」

◎比較できるほどの年齢だから変化が分かる、でも、それしか知らない人たちも増えていますね:
 
 
 
 
 
 
 
Recoco
 
@serenechild430
ジャーナリズムとは報じられたくないことを報じることだ。それ以外のものは広報にすぎない」 作家のジョージ・オーウェルの定義では、NHKはすでにジャーナリズムではなく、広報ですね大本営発表。もちろん、政府の。

◎「タモリ」と「STATION」?何?と思って番組は見なかったのですが、タモリさんなら分かります。無責任におしゃべりする人ではないですよね:

 
 
 
 
 
 
 
@levinassien
昨日の「タモリSTATION」は面白かったですね。うちに帰ったら奥さんが観てて、タモリさんのあまりの存在感に魅了されてそのまま観続けました。「知らないことについては沈黙を守る」という知的節度をこれほど誇示的に表現するとは。タモリ恐るべし。😵‍💫
 
 
 
 
 
 
 
社畜のよーだ
 
@no_shachiku_no
自分の名前の番組で真ん中に座りながらも総括以外は喋らず視聴者だけが見える妖精のような存在だったタモリさん
手元に資料はないし、アナウンサーも全く話を振らないので予定通りだと思うけど、芸人が政治報道番組で適当な発言しまくる事へのアンチテーゼになってて笑った
伝説
 
 
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◎日本は今や「世界の辺境」となった。生き残る道は「世界の”古都”」。何年か前、スペインへ旅行に行った時、ガウディの建築やアルハンブラ宮殿、料理や音楽や舞踊など、楽しみました。その時、私も日本も同じかな~世界の人が楽しめる昔が保存されている国としてやっていけるのではと思ったり。先進国についていけなくなったら別の道を探すしかないという…ちょっと寂しいお話ではありますが:
 
 
 
 
 
 
 
江 弘毅
 
@kohirok
ノンフィクション作家の高野秀行氏は「日本は世界の辺境になった」と指摘する。高野氏はグローバリゼーションの潮流の及ばない地を求めて

🔲コリアンタウン鶴橋のチマチョゴリ。関西では17日の夕刊に掲載されていました:

 
 
 
 
 
 
 
伊地知紀子
 
@chejusaran
3月16日朝日新聞夕刊に掲載されました。机記者の丁寧な取材。韓流ブームに沸く鶴橋の今昔、李信恵さん、森村泰昌さんも登場。「ハレの日をハデに彩る メイド・イン鶴橋のチマ・チョゴリ」有料記事ですがお近くで手に取れればぜひ😊私のコメントは続きの投稿でご紹介。
【写真・図版】古いチマ・チョゴリを手にする伊地知紀子・大阪市立大教授。1920年生まれの在日1世・金順準(キム・スンジュン)さんから譲り受けた婚礼衣装だという=大阪市住吉区の同大
【画像8/9枚】ハレの日をハデに彩る メイド・イン鶴橋のチマ・チョゴリ朝日新聞デジタル

◎3月17日(木)の朝日新聞夕刊の関西版「おおきに!関西」は

『鶴橋のチマ・チョゴリ店』  華やぐハレの日 ド派手に進化」という記事でした。

◎20年ほど前、ヨーガの仲間で小学校の同級生のMさんが結婚してすぐの頃、桃谷に住んでいて、鶴橋の商店街が近くにあったのでヨーガの仲間を案内してあげるといって、5,6人で鶴橋見学に出かけたことがあります。

大阪の北、滝と猿の箕面に小学校の頃から住んでいて山や谷遊びはお得意でしたが都会が怖い。梅田(阪急電車京都線宝塚線神戸線の起点の駅周辺の古くからの地名)以南は怖くて一人では行けないという山育ち。環状線の鶴橋は乗換駅で降りたことはあっても地面を歩いたことはなく、噂で聞くだけ。興味津々の見学会でした。

まず生野区の桃谷や東成区の辺りは、昔、猪飼野と呼ばれていました。Wikipediaでは

古代・仁徳天皇の時代に、多くの「渡来人」が当地にやってきた。その渡来人たちがブタ(猪)を飼う風習があったので、この地域を「猪飼野(いかいの)」と呼ぶようになる。また、文献上の日本最古の橋がここを流れる「百済川」(現在の平野川)に猪甘津橋が架けられ、時代が下って江戸時代になると「つるのはし」と呼ばれたことから現在の「鶴橋」の地名の元となる」。

「みんなが知っていて地図にない」猪飼野ー日本の中の小さな済州 : 文化 : hankyoreh japan (hani.co.kr)

有名な在日朝鮮人の詩人の金時鐘が「猪飼野詩集」の巻頭に掲載した詩『見えない町』は、曺智鉉の作品に対する最も的確な説明と言える。

「なくても ある町/そのままのままで/なくなっている町/…みんなが知っていて/地図になく/…日本でないから/消えててもよく/どうでもいいから/気ままなものよ

◎さて、その時、案内してもらった鶴橋商店街はとても活気のある商店街でした。キムチの匂いとありとあらゆる食材と刃物とそして色鮮やかなチマチョゴリ.それが数軒おきにあって、必ず布団屋さんのショーウィンドウに派手で華やかな原色のウェディングドレスが飾ってありました。日本に在る異国を強烈に感じました。朝日のこの記事にそっくり私が見たあの商店街のお話と布団屋さんのドレスの話が書かれていました。

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肖像画の人物に自分が扮装して写真に撮った作品で有名な現代美術家の森村保昌70)さんは天王寺区出身です:

 天王寺区出身、最寄り駅は鶴橋です。子どもの頃、商店街は親から「行っちゃだめ」と言われました。教師がホルモン屋で食事をしただけで問題視される時代でした。垣間見たチョゴリ屋さんは、ビビッドな色の生地がずらーっと並び、鮮烈に異国を感じました。商店街に気軽に立ち入るようになったのは1988年のソウル五輪以降かな。民族衣装のお店を続けるのは大変だろうけど、なくなったらぐっと寂しくなる。残り続けて欲しいですね。

  MMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMMM