「モリカケ桜」がこのままでは「正義も公正もない日本」に(古賀茂明さん)

 
 
 
 
 
 
 
m TAKANO
 
@mt3678mt
「いつまでモリカケ桜だ」というネトウヨたちからの誹謗中傷はあれど、真相が解明されるまで「モリカケ桜」なのだ。それなくして、この国に正義と公正は取り戻せないからだ。
 森友学園に関する公文書の改ざんを強要され、後に自殺に追い込まれた近畿財務局の職員赤木俊夫さんの妻、雅子さんが、改ざんを指示した佐川宣寿理財
局長(当時)を訴えた裁判で、11月25日、大阪地裁は訴えを退けた。

今年1月13日からNetflixで、映画「新聞記者」と同じ藤井道人監督のドラマ版「新聞記者」の放送がスタート。6話完結のドラマになっていて映画版より、森友問題により踏み込んだ内容になっていました。オープニングは空港シーンで、逮捕寸前の女性ジャーナリストレイプ事件の加害ジャーナリストが何者かの「鶴の一声」で逮捕中止になる場面。そして最終場面は、森友問題で改ざんを命じた担当官僚が裁判に応じて真実を語るため、裁判所の階段を登るシーンでした。命令や忖度で『不正』を働いた人物の心の葛藤が丁寧に描かれて更生?する描かれ方や、新聞記者はじめ関係者が皆葛藤を抱え悩み泣いている姿が世界から見るとメロドラマに見えたり、甘さも目立つドラマではありますが。

因みに「ウェブアンケートにて総勢2,156名(全年代男女)に調査した<NETFLIXオリジナル「国内ドラマ」おすすめランキング(調査日2022年11月13日)で「新聞記者」は3位>」だそうです。

しかし、ドラマと違って、現実には、丁度一月ほど前の2021年12月15日に、国が1億円以上の賠償金を税金で払って裁判を買い取るような形で終わらせてしまいました。何とも皮肉というか、ドラマより現実の国のやり方の方が何倍もアクロバティックに過酷であると思いました。

◎これは「認諾(にんだく)」という手法だそうですが、真実を知りたいという訴えに対して税金で裁判を中止して闇に葬る卑怯なやり方だと思います。

国が一転、元財務局職員遺族の賠償請求認める…森友文書改ざん巡る訴訟 : 読売新聞オンライン (yomiuri.co.jp)

残っていた裁判、赤木雅子さんが改ざんを命じた佐川氏を訴えていた裁判では、先月、11月25日、大阪地方裁判所は、佐川元理財局長の個人の賠償責任を否定したうえで「説明や謝罪をする法的義務もない」として訴えを退けました詳しくはコチラで:

財務省公文書改ざん 妻 “夫は法律に守ってもらえなかった” | NHK | 森友学園問題

◎官僚が誰かのために公文書を書き換えさせたという犯罪が司法によって裁かれない国というのを放置したままでは日本という国は成り立ちませんね。古賀茂明氏のアエラの記事を全文コピーです(太字by蛙):

 

正義も公正もない日本という国 古賀茂明〈週刊朝日

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まず、本件で起きたことを復習してみよう。

 財務省の幹部である佐川氏は、明らかな犯罪行為である公文書改ざんを主導したのに刑事責任を免れた。安倍晋三元総理の事実上の支配下にあった検察当局が佐川氏を擁護したからだ。その一方で、うつ状態にあった赤木俊夫さんは検察の無理な取り調べを受け、自殺へと追い込まれた。検察は、加害者を守り被害者を攻撃したのだ。

 次に、財務省は、第三者による調査を拒否し、内輪の調査で逃げようとした。事件の詳細は明らかにされず、後に公表された赤木さんが書き残した経緯に関する詳細なメモについても隠したまま、佐川氏らに形だけの懲戒処分を行ってお茶を濁した。本件に関与した数十人の職員も組織ぐるみの隠ぺいに加担した。安倍政権はもちろん、菅義偉政権も岸田文雄政権も赤木ファイルに書かれた内容を含む新たな事実関係について調査することを拒み、雅子さんが面会を求めた岸田総理は、頑なにこれを拒否している。つまり、行政府全体が、佐川氏やその背後にある何かを守り、赤木夫妻を切り捨てているのだ。

 国会で野党はこれを厳しく追及したが、圧倒的多数を握る与党の壁は厚く、国会が真相究明に乗り出すことはあり得ない

 こうした状況を打開するため、雅子さんは、佐川氏と国に対し約1億1000万円の損害賠償を求める裁判を起こした。賠償金目当てではない。裁判を通じて佐川氏ら関係者から真実を引き出すのが目的だ。しかし、昨年12月、争う姿勢を見せていた国が、佐川氏らの証人尋問直前の段階で、雅子さん側の請求をすべて認める「認諾」手続きを取った。裁判所がこの卑怯なやり方を認めたため、国に対する裁判は、佐川氏らが登場することなく終結した。もちろん、真実は闇のままだ。

 雅子さんは、佐川氏個人を相手取った裁判を継続し、佐川氏ら関係者を裁判所で尋問することで真相に一歩でも近づこうとした。しかし、冒頭で紹介したとおり、大阪地裁は、実質的な審理を全く行わないまま、訴えを棄却してしまった。司法にも見捨てられた形だ。

 一連の経緯が示すのは、行政府はもちろん、国権の最高機関である国会も、そして民主主義の最後の砦である裁判所までもが揃って、犯罪者を守り被害者を切り捨てるのがこの国の民主主義だということだ。「正義」や「公正」はどこに行ってしまったのか。そう考えると、虚無感に襲われる。

 そして、これほどの民主主義の危機に対して新聞やテレビの扱いがあまりに通り一遍なのを見て、さらに絶望感に苛まれる。  雅子さんはいつも、忘れ去られてしまうことを一番恐れて来た。真実が永遠に闇に葬られることになってしまうからだ。だから私たちは、声を上げ続けなければならない。将来、上告審で本件を審理するであろう最高裁の判事たちも人の子だ。国民の声が日本中に鳴り響けば、下級審に対し、最初から実質的審理をやり直すよう命じると信じたい。それまで、希望を捨てず、雅子さんを支え続けようではないか。

 

週刊朝日  2022年12月16日号