「日本初のカジノ計画、課題抱え始動」と「元ラグビー日本代表・平尾剛さん(スポーツ教育学)が語る」

◎暖かい春の日が続くかと思うと、ちょっと寒い雨の日もと3,4日おきに入れ替わるようなこの頃です。緑色だったスノーボールは少し白くなり始めています。

我が家も北側のツル薔薇にはたくさんの蕾がついていますし、南の大きな赤いバラの蕾はほころび出して、まだまだしっかり閉じられてはいますが、赤い花びらが見え始めています。

スノーボールによく似たオオデマリの花も白くなっています

🔲ご本人の奈良さんがツィッターで「酷似したデザインが使用されている」と指摘:

文化とかそういうんじゃなくて金儲けなので、と早速宣言しているみたいだ。
 
 カジノを含む統合型リゾート(IR)をめぐり、大阪府・市が提供するIRのイメージ図や動画に、世界的美術家の奈良美智さんや村上隆さんの作品と酷似した
デザインが使用されていると14日、奈良さんがツイートで指摘した。奈良さんは「大きな犬の自作イメージが出てくるのだが、使用を許可したこともない、というか許可自体を求められたこともない」と投稿している。

🔲維新勝利の選挙結果を受けて即、政府が認可したカジノ計画ですが:

大丈夫じゃないでしょうね温暖化による海面上昇、南海トラフによる津波の可能性。とんでもない負債になりかねないのでは? nikkei.com/article/DGXZQO
引用ツイート
 
 
たつみコータロー元参議院議員
 
@kotarotatsumi
カジノ整備計画の審査結果。
「長期的な地盤沈下が見込まれる」
「建物と地表面での沈下差の発生が確実視」
「IR区域は十分な高さを維持することが一応検証されているが(中略)沈下の実測データ等が限られる中で、沈下量予測の閾値に余裕があるかは不明瞭」。
 
ようこんなんで認定できたな。
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🔲”博打”に集客と雇用が増えて『経済効果、大』と喜ぶ関西経済界ですが:

政府は最初のIR計画を大阪に認定した。「ハマのドン」が博打は許さぬと、横浜では上陸できなかったカジノが遂に大阪に上陸する対米従属の政府がアメリカのカジノを導入することになる。何でもアメリカの言いなりだ。岸田首相はカジノが成長戦略、情けない。維新の身を切る改革とはカジノだったのか。

🔲平尾剛さん、元ラグビー日本代表で数少ない”モノ言うアスリート”の一人。

秩父宮は75年続くラグビーのな聖地なのに、沢山の樹木を伐採してまで移設・新設する必要が、どこにあるのでしょうか。これは元ラグビー選手だからというだけでなく、一市民として看過しがたい。そう思って署名を立ち上げました」(元日本代表平尾剛さんが危惧「“ラグビーの聖地”の消失で文化の継承が止まってしまう」 | 女性自身 (jisin.jp)

ここに紹介されている「小説丸」の記事はとても面白い読み物ですし、読み応えがあります:

内田樹さんがリツイートしました

この記事ひょんな事から読んだけどとても良かった。
剣道にも当てはまるとこいっぱいあるし日本の体育教育に感じてたことをずばり。 こんな人が小学校の体育の先生だったら運動を楽しむ発見が40超えって事にならなかったのに。(運動大嫌いだった) 平尾 剛 (スポーツ教育学者)
 
数字や勝利至上主義から脱却し楽しめるスポーツを希求していく アスリートや指導者を支えながら身体と心の声に、耳を傾け続ける 

きっかけは哲学者たちの言葉だった。研究者へとシフトチェンジしたラグビー元日本代表は、ノーサイド精神のもと後進を育てていく。

きっ

◎例えば、筋トレについては:

「『反・筋トレ』ではないんです。ただ単にトレーニングを何分やりました、何回やりました、食事も睡眠時間もこれだけとりました、っていう、システムに丸投げすることには弊害がありますよ、ということです」

 わたしたちの身体は、さまざまな感覚を働かせている。たとえば重いものを持つ時、身体の使い方をちょっと工夫するように、自分で感覚をつかみ、確かめ、効果的な方法で動いている。そんな感覚を、すっかり棚上げし、いたずらに筋肉を痛めつけ、大きくし、いわゆる運動生理学的な手法だけで「筋トレ」を続けることは、自分の身体との対話を放棄することに繋がりかねない、そう彼は主張する。

◎変わるきっかけは:

神戸製鋼に所属していたある年の春、筋力測定をしたんです。ベンチプレス、スクワットで、その数値を全部記録する。秋のシーズンに入る一か月前の夏休みまでに、『ベンチプレスはプラス十キロ、スクワットはプラス二十キロ』と、目標値を設定されました。それを達成しない限りレギュラー争いの場には立てないよ、って言われたんです」

 もちろん、チームが決めたことだから、達成すべく平尾は奮起し筋力アップに励んだ。でも、疑念が脳裏に浮かぶ。

ラグビーが上手くなるためにやっているのに、筋肉量で『ふるい』にかけられるの?

◎変えてくれた恩人:

そんな平尾の背中を押した名将がいる。平尾誠二十九歳四か月、史上最年少(当時)で日本代表となった後、神戸製鋼に入社。日本代表監督としてラグビー界を牽引した。

平尾誠二さんは、僕の人生も考えてくれていた。選手としてだけじゃなくて、プライベートも合わせて、きちっと人を見る方だった。僕の性格を見越した上で、仕事の面についてのアドバイスもくれた。ときに言葉がきつかったりすることもありましたが、あたたかな人でした」

 師匠・平尾誠二と過ごした日々を振り返って現在、平尾剛は、「彼はラグビーを通じて哲学をしていた」と評す。

◎そして今は:

「人生のピークが過去にある、って、ほんまに苦しい。僕の場合、(ラグビーW杯のように)七万人の観客から喝采と罵声を浴びる刺激的な瞬間は、もう二度と経験できません。そんなこと、頭ではよくわかっている。でも、経験してしまっている以上、その時感じたよろこびは拭い難く身体的な記憶として残っているんですよ。そういう部分をうまく物語として自分の中に落とし込むにはどうすればいいか。僕は考え続けています」

 ピーク後の人生を息苦しさは、アスリートにしかわからない。「スポーツって罪だなと思うし、しんどい営みだと思います」。そう笑って評しながらも、平尾は人間の身体の可能性を信じ続けている。スポーツと教育の接点を探り、その未来を照らしていく。