沖縄「今も爆弾の山の上に住む(山本章子)」(朝日新聞)

◎今はツツジが終わってサツキが咲き出しています。これは少し前の白いツツジの花。

◎5月15日は沖縄が本土復帰して51年目でした。次男はこの沖縄復帰の年生まれ、その次男が沖縄で働いています。昨年の復帰50周年に、次男が「そうやんな~復帰の年に生まれてるんやな~」と感慨深気に電話で言っておりました。この年は、冬には浅間山荘事件があった年で戦後の一つの節目ではありました。ところが、それから50年経った昨年の5月15日は沖縄本土復帰の年、今年は51年目です・・・朝日新聞の5月11日の11頁「オピニオン&フォーラム 耕論」はテーマが「平和教育のあり方」でしたが、その頁の一番下の沖縄季評」という山本章子さんの記事を移してみます。

書き出しの手塚治虫さんの「ブラック・ジャック」の不発弾のエピソードが、戦後約30年後の1976年の作品で、戦時体験の風化を怖れて記録にとどめ置くために描かれたということは知らなかった。そして、幼児の時の不発弾の爆発で死にかけたブラック・ジャックは『長じて復讐のため、不発弾処理を怠った元自衛隊員を事故現場の島に置き去りにする。島に555個の地雷が埋まっていると告げられた元隊員は、腹ばいになって海岸を目指すが、投げた水筒が地雷にあたり爆発する』、これを受けて山本さんは書いています:

沖縄にとってこれはフィクションではない。私たちは腹ばいになって生活しているようなものだ。戦闘が終わっても戦争は終わらない。戦場となった場所には100年経っても完全な平和は訪れない。

◎それでは、出だしと真ん中、ブラックジャック部分を抜いて写真で:

ブラック・ジャック部分を飛ばします:

◎今朝の「shuueiのメモ」さんは三上智恵さんによる与那国島の『不沈空母計画』の警告記事でした。コチラで:与那国島の軍港計画         三上 智恵 - shuueiのメモ (hatenablog.com)

沙羅の花は5弁の1つだけが色づきます。そして散るときは椿と同じく花びらが散るのではなく、花ごと下に落ちています。夏ツバキと言う名の由来でしょうね。