政治と私

今朝は一転暖かい雨の朝でした。庭に出ると植木鉢の隅にこぼれ種の小さなスミレが咲いていました。
 「政治」と私というタイトルで書いてみようかと思っています。
私が本当の意味で政治に関心を持ち出したのは小泉元首相の出現がキッカケでした。
それまではある意味で無関心、と言うより、政治に期待していなかったと言った方が当たっているかも。
関心のある今は、じゃ、期待しているのか?というと、それも疑問ですが、市民としての最低限の政治的義務は果たしたい(権利の行使でもありますが)という思いはあります。
小泉時代に経済も日米関係もそれまで何とか「保守的」にやってきたことが悪い意味で先鋭化(悪いほうへ一歩踏み出)し、その時、国家のあり方も歪められたのではないかと思います。その一例が検察の横暴という形で現れ、その一端を見える形で解説してくれたのが、当時言われた「外務省のラスプーチン」こと佐藤優氏です。自らの体験から書かれた「国家の罠」ほか一連の著作を読んで、外務省がこの有能な外務官僚を失ったのは国家の損失、国益を損なったのではないかという感想を持ちました。
当時国会で追及されたいわゆる「ムネオハウス」問題を私は鵜呑みにして、鈴木宗男氏はとんでもない政治家で、それにつながる官僚の佐藤優氏も悪。当時のマスコミの報道をそのまま信じて「悪の権化」と思っていましたので、自分自身を反省しました。政治は判らない。マスコミの報道は信じられない。
私自身は自分が戦争中に生きていれば、学校や政府や新聞、雑誌の「大本営発表」を信じ切って、きっと「優秀な=信じて疑わない軍国少女」になっていただろうという変な自信?があります。そして、やっぱり、という思いでした。それで今は逆に、その「軍国少女(おばさん)」になってはならないと強く思うようになりました。
それで、マスコミが一斉に方向を決めて煽り出したら、強烈にブレーキが働いて、待てよ、という天邪鬼な発想になります。
つくづく人が悪くなっていくような気がします。でも、もう、騙されたくないのです。
坂本龍馬を想う加尾さんが「これから女一人生きていくのに世の中の動きを知りたいのです」と言って学問を始めたあの気持ちがわかります。私も、本当の意味で、世の中の動きが知りたいと思っています。

人気政治ブログランキングというのがあります。こういうのも怖いもの見たさ?で覗きだすと本当に怖い!!
ところで10位以内のところで、佐藤優氏の発言について書いてあるのを見つけましたのでコピーしてみます。
佐藤氏の今回の「小沢事件」の見立ては「政治権力対検察権力との権力闘争」と聞いていましたが、これによりますと「国家の主人は誰か?」という新しい問題提起と「官僚は新しい支配階級で、日本は今、官僚主権国家だ」ということです。そうすると、脱官僚を唱える政党、政治家はこれからもずっと検察権力からは排除の力が働くということでしょうか。佐藤氏本人の言葉ではなくて、このブログの主からの引用になりますが、こういう分析の仕方もあるというので読んでみてください。

僕は、佐藤氏自身が巻き込まれた逮捕事件を、「国策捜査」論として分析・命名したことから始まり、昨年3月の「第一次小沢事件」に対しては「検察の青年将校化」論へ、そして今回の「小沢不動産疑惑事件」に対しては「官僚のクーデター」論というような、ここ数年、佐藤優氏の現代政治分析が、論壇やジャーナリズムの言説を先導してきたことを高く評価するが故に、この「国家の主人は誰か?」という問題提起にも、深く感動、同意しないわけにはいかなかった。
佐藤優氏の分析を借用するならば、今回の一連の「小沢事件」なるものの本質は、一人の金権政治家の「汚職贈賄疑惑事件」でもなく、ましてや政界に付きまとう「政治とカネ」問題でもなく、あるいはまた一部の検察官僚の権力の乱用と暴走やマスコミの翼賛的報道体質などが主な問題ではなく、むろん、それらの問題が重要ではないというわけではないが、やはりあくまでも今回の「小沢事件」の本質は、「政治家(国民)」と「官僚階級」の権力闘争、つまり「国家の主人は誰か?」をめぐる権力闘争だったということが出来る。
ここで重要なことは、官僚という存在である。官僚という新しい支配階級の存在である。つまり、よく言われているように、官僚(役人)は、「国民の僕(しもべ)」ではなく、一つの階級として存在し、しかもそれが巨大な権力を持つ支配階級だということである。我々は、政治家や経営者(資本家)という存在の権力性や政治性には敏感であるが、官僚という存在の権力性と政治性には鈍感である。
佐藤優氏が、「青年将校化した検察官僚」論で言っているのは、悪徳政治家や資本家が国家を動かしているのではなく、「国家を動かすのは我々である」という戦前の陸軍青年将校たちの「思い上がり」と同様に、「成績優秀な我々官僚が、国家を経営するのだ…」と思い上がっている検察官僚の存在である。つまり、「天皇主権」でも「国民主権」でもなく、官僚が国家を支配する「官僚主権国家論」である。(続) <引用先:http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/

小沢幹事長辺野古に土地を持っているという記事が讀賣夕刊に載っていました。そうかと思うと、小沢氏不起訴の決定発表前にアメリカのキャンベル氏が5月の訪米をそれも個人でなく団体での訪米を要請する。なぜ? 政治の世界はテレビや新聞の報道だけで動いているのではないということだけは良くわかります。感情的にならず、白か黒かという単純な決め付けに陥らず、時代の動きを見ていきたいと思っています。
ラッパ水仙も外に出てみるまで咲いているのに気づきかず。立春は来ていました。