今日は父の退院の日。9時過ぎ隣の母と一緒に3人で病院に向かいました。
4人部屋は北向きで、北摂の山並みが美しく見えます。
昨日の女子バレーボールの世界選手権、韓国を3−0で破りました。途中見ていても危なげない勝ちゲーム。監督さんも新しくなり、大活躍の江畑さんも21歳、初めての方でした。これで4強入り決定! 1982年以来の28年ぶりとか。そういえばそんなに長い間・・・だったんですね。これから若い人たちの活躍で叉強くなった女子バレーボールが楽しめそうです。世界選手権も4位以上どこまで?の楽しみもモチロン。
このところ内田樹先生のブログが面白いです。ここ三日分の「自立と予祝について」「立国の道すじについて」「階層化する社会について 」が特に。
長いですが、読んでいるうちに、アアあの事、この事、と思ったりします。
「階層化する社会について」より (「自分探し」が若い人たちの間で流行ったことがありました。そのことについて…)
なぜ「自分らしさ」の追求が階層の再生産に加担することになるのか。理由は簡単である。
それは、「自分らしさ」を追求している人間は、「学ぶ」ことができないからである。
「学ぶ」という行為は次のような単純なセンテンスに還元される。
「私には知らないこと、できないことがあります」
「教えてください」
「お願いします」
これだけ。
これが「学び」のマジックワードである。
これが言えない人間は永遠に学び始めることができない。
けれども、「自分らしさ」イデオロギーはこの言葉を禁句にする。
「自分らしさ」を追求する人間が前提にしているのは「私には知らないこと、できないことはない」だからである。
「自立と予祝」より (与え合うという当り前のルールの再確認、そして自分の割当て分より少し多めに働いて…)
個人の努力で手に入れられるものには限りがあります。
現に、僕たちが享受している「社会的共通資本」(海洋や森林のような自然資源や上下水道や通信網のような社会的インフラや司法や医療や教育のような制度資本など)は個人的決断によって改変することができません。いくらひとりで踏ん張っても、海洋の水質を保全したり、治安を維持したりすることはできない。そういう仕事はみんなで少しずつ分担するしかない。
自分に与えられた場所で(僕の場合なら教育の現場で)、自分の割り当て分よりも少しだけ大目に働く。
就業規則には書かれていないけれど、誰かがそれをやっておくと、システムの瑕疵がカバーされ、「いいこと」が少しだけ積み増しされそうなことがあれば黙ってやる。そのオーバーアチーブ分は給与には反映しない。「持ち出し」です。それが仕事を通じての「贈り物」です。
すべての人がそれぞれの現場で、ちょっとずつオーバーアチーブする。それによって、社会システム全体の質が少しだけ向上して、僕たちは生活の全局面で(電車が時刻表通りに来るというようなかたちで)そのささやかな成果を享受することができる。そういう意味では、僕たちはすでに贈与と返礼のサイクルのうちに巻き込まれているのです。それが順調に機能している限り、僕たちは人間的な生活を送ることができている。
「立国の道すじについて」より(文化立国、教育立国になる為に・・・是非全文ブログで読んでみて下さい)
昨日の平松市長を囲む会の最初の1時間は寺島実郎さん(大阪市特別顧問)の講演会。
寺島さんはスケールの大きい話を「常識的」という節度を超えずに話すことができる珍しい知性である。
期待とおり、1時間余、たいへんインパクトのあるお話を伺った。忘れないうちに、たいせつなポイントを記録しておく。
メディアの一般の論調とずいぶん温度差があるのは次の二点
(1) 日本の21世紀の外交戦略・経済戦略のメインターゲットは欧米ではなく、大中華圏(中国、香港、台湾、シンガポール)と韓国である。
(2) 日本の経済的・文化的なポテンシャルはきわめて高いが、それを適切に発現するためのシステムは整備されていない。
寺島さんはイデオロギー的な外交経済戦略を語らない。三井物産の社員として、世界各地でものを売り買いして、口銭を稼いできた「商人」のスタンスを崩さない。その「商人」の眼で見て、対米貿易はもう先がないという。
三井物産のサンフランシスコ支社が先日閉鎖された。シリコンバレー相手の商売では支社の経費が払えなくなったのである。
アメリカから日本のビジネスマンたちが立ち去り始めている。それはニューヨークの日本料理店が次々閉店していることからも知れると寺島さんは言う。(略)
これらのデータが意味するのは、戦国時代以来の、東シナ海を縦横無尽に人とモノと情報がゆきかう「アジア大移動」時代が始まりつつあるということである。
この「アジア大移動」シフトを一過性のものとしてはならない。来日者が温泉やリゾートやブランド品の買い漁りで通過するだけの場所にしてはならない。
継続的にアジア圏(に限らず全世界)の人々を惹きつける「情報の磁場」が日本に存在しなければならない、と寺島さんは言う。
寺島さんの提案のひとつは、ジュネーブのように国際機関を誘致することである。すばらしいアイディアだと思う。だが、国際機関の誘致の条件は交通の利便性やホテルや通信網の充実や治安のよさだけではない。
なぜ、日本のように国際機関が常駐するためのほとんどすべての条件が整っている国の都市が選択されないのか。
それは日本では政治的中立性が担保されないのではないか・・・と世界の国々が何となく思っているからである。
そこには日本が米軍の常駐する「アメリカの軍事的属国」だという認識が反映している。
国際機関を誘致するための最優先条件は「米軍基地の撤去」だと私は思っているが、たぶん同意してくれるひとはきわめて少ないであろう。
他にも恒常的に世界中から人を集めるアイディアはある。寺島さんは学術的なセンターを構想されているが、私も同意見である。
ある国が人々を惹きつけるもっとも安定的な要素は軍事力でも経済力でもなく、文化の力だからである。
日本の文化的ポテンシャルは世界でも一流だと私は信じている。けれども、アウトカムはまだその潜在する資源の何十分の一をも発現していない。これこそが21世紀における日本の「真の国力」になりうると私は思う。このポテンシャルをどう涵養し、開花させるか。それが喫緊の国家的使命である。だから、ほんとうはここで「教育立国」という言葉が出てこなければならないのである。