読みかけていた2冊の本

1冊は、ヨガのHさんが、3日の最終日に貸してくださった佐渡裕著「僕が大人になったら」。

僕が大人になったら (PHP文庫)

僕が大人になったら (PHP文庫)

つい最近、ベルリンフィルデビューまでをテレビでやっていましたので、本の題名を見て、「アァ〜子供の頃からの夢だったんだってねぇ〜」とHさんと。
加賀市の夫の実家からの帰り、一人で新大阪までの車中で、読み終えました。大きな身体で、飾りっけの無い人懐っこい笑顔がそのまま人柄を表しているような・・・ この本は今年5月のベルリンフィルデビューが決まる前までの「CDジャーナル」の連載エッセイをまとめたもの。あのテレビ番組の前の4年間をつづったものということになります。
エピローグで、大事な才能とは「好奇心、探究心、勇気」の三つと佐渡さんは書いています。
私は解説を書いている玉木正之さんと同じことを佐渡さんには感じていました。
「これからの人なのにこんなに手を広げて・・・」と、1999年の1万人の第九の時も、2005年10月からの兵庫県立芸術文化センター音楽監督就任の時も、2008年4月からの「題名のない音楽会」の司会者に決まった時も、玉木正之さんと同じように私も「大丈夫?」と思ったものです。
玉木さんは、「音楽の裾野を広げる作業と、世界を目指す行為は、どこか両立しないもの、二律背反のものであるようなイメージ」があったが、佐渡さんの出現で、どうも、「そのような”分業”が”常識”と考えられた”時代”は変ったようだ」と書いて、最後は「♪デッカイことは、いいことだぁ〜……なのだ。」と結んでいます。日本を代表する若手の指揮者が、身体もハートもやることも、確かに、デッカイことは、いいことだ!
2冊目は、高木仁三郎の「原子力神話からの解放」と一緒に買った広瀬隆著「福島原発メルトダウン」です。
FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン (朝日新書)

FUKUSHIMA 福島原発メルトダウン (朝日新書)

これは、もっと早く読むべきでした。第二部の一章に「浜岡原発」の危険性が書いてあり、あるいは、これが菅首相の浜岡停止に影響があったのか?なんて想像もしてしまいますが。
8月半ばの今胸を打つのは、短い終章の「完全崩壊した日本の原子力政策」です。
原発は温暖化対策の切り札か」、「原発がなければ停電するか」で、今までのマスコミに流布する論議を見破らなければならないとして、最後に「全国の原発は最後にまもなく行き詰まる」のなかでは、「メルトダウンの最終処理」の六ヶ所村の再処理工場の失敗をとりあげ、行き場の無い使用済み核燃料の問題に行き着きます。
本当に、こんなことでいいのか? 著者の訴えが迫ります。「原子力と人間が共存するということは、地球科学から考えて、あり得ないことなのです。」
「私たちは、原発と生きる不安で暗鬱な社会を、これからも選択しますか?」「それより、もっと楽に生きられる時代に向けて、心身ともに解放された生活を、共に求めませんか?」「停電も、放射能の危険性もない生活は、とても簡単なことだと、首をかけてみなさんにお約束します。」
”日本人の大多数がその気になれば”、「とても簡単」に実現するのですね。
菅首相の退陣が月末という見通しから、後継首相候補が出てきていますが、どの人をとってみても脱原発を明言している人は見当たりません。脱原発はどうなるのでしょうか。日本の政治はまだ原発推進のままのようです。日本の国民の意思もそうなのでしょうか?
昨日は、午後からSさんに声を掛けてお茶飲み話。いつも山の行動食のクッキーの差し入れに今回も夫がリンゴせんべいのお土産を買っていましたので、それをお渡しするのと、持ち帰った立山の水で淹れたコーヒーが絶品ですので、是非味わってほしくてお呼びしました。実は、声を掛けたい方が2人、掛けた方が1人。どなたも娘さん家族のお盆の帰省で無理。結局、孫のいないSさんと私になりました。
立山の水でコーヒーと紅茶を淹れながら、脱原発はどうなるの?という話になりました。
Sさんは、今、原発どころじゃない生活をしている方たちにとっては、生活するのに精一杯で、原発の是非にまで考えが及ばないと言います。介護や子育て、共働き、その日の生活に追われて、ニュースを見る時間もなく、じっくり考える時間もないという人たちがいるでしょう。
じゃ、私たちのような時間のある者が考えて、正しいと思った考えを広めていく事も大事よね〜と二人で。