「コクリコ坂から」

9日の火曜日に剣岳の岩稜登攀から無事もどった夫が、「行こう!」というので見てきました。
私は12日公開の「ツリー・オブ・ライフ」まで、「コクリコ坂」は見ないでもいいかなと思っていました。
昨日、節電かねて、お昼の一番暑い時間帯に行こうと、お昼過ぎマウンテンバイクとママチャリでヴィソラまで。
見てよかったです。見逃さないで良かったです。
主題歌「さよならの夏」がいつまでも耳に残ります。
二人連れの女性が見終わって「優しい感じ・・・」と。
何ともいえない余韻が優しいのです。
何ともいえず懐かしい感じがします。
私たち世代(60〜70代)必見の映画です。
声は、「岳」で好演の長澤まさみと「ゲド戦記」についでの岡田准一
二人の抑揚や感情を抑えた声優振りが良かったです。
帰りに買い求めたCDを聞きながら記事を書いています。
懐かしい曲調とともに、私たちにはひたすら懐かしい気分にさせられる映画です。
(これから映画をご覧になる方はここまでで、これから先は見終わってからに・・・公式サイトを覘いて書きます)
前々日だか、NHK宮崎駿と吾郎親子の葛藤を、山の話を聞きながら?見ていたのですが、今回は(「ゲド戦記」より)原案と監督との関係はとても良かったと思います。描かれた時代は1964年の東京オリンピックの1年前。1963年ということは、私が高3から大学1年の年で、あの分裂原水禁大会の年です。高度成長に向けて世の中が変っていく頃。映画の挿入歌にもなっている坂本九ちゃんの「上を向いて歩こう」がアメリカでも「スキヤキ」ソングとして全米1位(ビルボード誌)にもなり世界的ヒット曲になった年。
原作は、1980年頃『なかよし』に連載され、高校生の純愛・出生の秘密ものであり、かつ学園紛争が描かれた少女マンガ。宮崎駿さんは、「少女マンガは映画になり得るか。その課題が後に『耳をすませば』の企画となった。『コクリコ坂から』も映画化可能の目途が立ったが、時代的制約で断念した。学園闘争が風化しつつも記憶に遺っていた時代には、いかにも時代おくれの感が強かったからだ。今はちがう。学園闘争はノスタルジーの中に溶け込んでいる。ちょっと昔の物語として作ることができる。」と書いています。ご自身が、「港の見える丘」と題して「企画のための覚書」を書いておられますので、引用した方が早いですね。

コクリコ坂から」は、人を恋(こ)うる心を初々しく描くものである。少女も少年達も純潔にまっすぐでなければならぬ。異性への憧れと尊敬を失ってはならない。出生の秘密にもたじろがず自分達の力で切りぬけねばならない。それをてらわずに描きたい。
コクリコ坂から」は、1963年頃、オリンピックの前の年としたい。47年前の横浜が舞台となる。団塊の世代現代っ子と呼ばれ始めた時代、その世代よりちょっと上の高校生達が主人公である。首都高はまだないが、交通地獄が叫ばれ道も電車もひしめき、公害で海や川は汚れた。1963年は東京都内からカワセミが姿を消し、学級の中で共通するアダ名が消えた時期でもある。貧乏だが希望だけがあった。 新しい時代の幕明けであり、何かが失われようとしている時代でもある。とはいえ、映画は時代を描くのではない。


「プロダクションノーツ」から

貧しいけれど、みんなが上を向いて歩こうとしていた時代を生きた海と俊たちの青春。そして、主人公たちの出生の秘密に焦点を当てていくことで、両親たちの戦争や戦後の青春まで遡ってゆく。混乱の中で、親を亡くした子を自分の子として育てる。そんなことが当たり前だった時代。自分と他人の境界線が曖昧で、いろんなことに寛容だった時代の青春—。<高度成長期>と<戦争と戦後の混乱期>、親子二世代の青春を描くことで、自分たちの歴史がこうやって続いてきたというテーマが浮き彫りになってくる。観客に「自分たちがどういう時代に生きているのか—。」を問う映画になっている。

高校生のほのかなラブストーリーですが、危機を二人が逃げずに乗り越えて、結果は親世代の固い友情が二人にハッピーエンドをもたらします。歌声も描き方も優しく愛情に満ちています。高校生たちのガリ版刷りの新聞発行や部室に使っている古い建物の保存運動が1960年安保闘争の名残をうかがわせます。生徒たちが合唱する歌も素敵です。机の上に宮沢賢治の本が見えますが、<映画で歌われる合唱曲「紺色のうねりが」はこの宮沢賢治の詩「生徒諸君に寄せる」に触発されて歌詞を宮崎親子が書いています。>
<伝説の曲「上を向いて歩こう」は、誕生50年目という節目の年に、ジブリ映画の中で"歌う九ちゃん"が蘇ることになりましたし、朝ごはんのシーンに流れる「朝ごはんの歌」と海と俊の心が近づくシーンに流れる「初恋の頃」は、作詞が宮崎吾朗谷山浩子、作曲が谷山浩子、編曲が武部聡志、そして手嶌葵が歌う。もう一つの合唱曲「赤い河の谷間」は宮崎駿が高校の頃、合唱で歌った曲で、吾朗監督が新たに訳詞をあてたもの。「白い花の咲く頃」の冒頭は、水沼役の風間俊介が独唱している。>(プロダクションノーツの「歌と音楽に溢れた映画」より)
「朝ごはんの歌」の懐かしい感じのポップ調の音楽がとってもいいですし、「白い花の咲く頃」はとっても効果的! 
あらためて詩がいいなぁ〜と。古い歌ですが初々しい失恋の歌。アカペラで歌っていたのが若い人だったからかも。

〜 白 い 花 の 咲 く 頃 〜    作詩 寺尾智沙  作曲 田村しげる  (昭和25年)
 
1 白い花が 咲いてた ふるさとの 遠い夢の日
  さよならと 言ったら 黙って うつむいてた お下髪(さげがみ)
  悲しかった あの時の あの 白い花だよ


2 白い雲が 浮いてた ふるさとの 高いあの峰
  さよならと 言ったら こだまが さよならと 呼んでいた
  淋しかった あの時の あの 白い雲だよ


3 白い月が 泣いてた ふるさとの 丘の木立(こだ)ちに
  さよならと 言ったら 涙の眸(ひとみ)で じっと みつめてた
  悲しかった あの時の あの 白い月だよ

60年代のノスタルジー(郷愁)というのでもなく、自分の中にも確かにあったあの年頃を懐かしむ…でもなく、あえて言えば、あの頃がよみがえるとでもいうような。是非、映画を観て体感?してみてください。
69歳の宮崎駿さんの時代の再現に共振してしまいます。若い世代の吾郎さんは昔の映画(「青い山脈」は遡りすぎ?)を沢山見て時代感覚を掴む努力をされたようですが、10〜20代の若い方たちの感想が聞いてみたい映画です。
確かに、今より、内に秘めて、出す時の表現は、今よりシンプルでストレートな時代、だったのでしょうね。
そう、そう、コクリコ(ひなげし)の花が咲き乱れる坂道を想像していましたが、違いました。
勿論、コクリコ(ひなげし・ポピー)の花は登場しますが、これは見てのお楽しみに・・・
<◎合唱曲「紺色のうねりが」については、8月20日のブログへ>