さようなら原発集会・武藤類子さんのスピーチ

「私のアンテナ」に入れている「日本がアブナイ!」のブログ、今日のタイトルは「自衛隊&米軍が、憲法違反の疑いがある空中給油の覚書を締結していたことが発覚 」です。去年10月のことで1年も内緒にしていたそうです。「アブナイ」内容を是非ブログで:http://mewrun7.exblog.jp/

いよいよ軍事面・政治・経済とますます日米一体化が進みます。こんなでいいの? 今日の「生き生き箕面通信」では、政治家で自立を目指すとどんな目に遭うか・・・について書いておられます。日本人の潔癖さを利用して全マスコミこぞっての政治的課題をはぐらかすやり方(キャンペーン=洗脳合戦?)にまんまと乗ってしまったか(田中角栄さんの時の私・小沢一郎氏については別の機会に触れてみたいと思っています)と今頃反省しています。
本気で日本国の国民による国民の為の政治(自立した政治)を目指したらどういうことになるのかが今進行中ということです。これをこのまま許せば、カナダの友人が言ったように、日本はアメリカの大統領選挙の投票権を持たない51番目の州になってしまうでしょう。税金が「アメリカの為の日本」に使われます。アメリカの意に反しない限りの自由を保障されますが、日本が日本であるための自由はありません。今も十分そうですが・・・。日々の暮らしに追われたり、キリギリスの要に気楽に生活を楽しむだけで日本がどうなろうとでは済まされない事態が差し迫っているような・・・。

ところで、同じくアンテナの「shuueiのメモ」さん(http://d.hatena.ne.jp/shuuei/)のブログに素晴らしいスピーチを見つけました。「9・19 さようなら原発5万人集会 ハイロアクション福島・武藤類子さんのスピーチ」です。
スピーチの途中から紹介します(全文はshuueiさんのブログで)。(↑の「ハイロ」は「廃炉」の意味かな?)
悲痛な叫びであるとともに、「東北の鬼」と化した怒りであり、それでも進んで行かなければならない未来への決意と呼びかけでもあります。どの言葉も胸をうちます。(shuueiさんにお断りしていませんが・・・お許しください)

皆さん、福島はとても美しいところです。東に紺碧の太平洋を臨む浜通り。桃・梨・りんごと、くだものの宝庫中通り猪苗代湖磐梯山のまわりには黄金色の稲穂が垂れる会津平野。そのむこうを深い山々がふちどっています。山は青く、水は清らかな私たちのふるさとです。
3.11・原発事故を境に、その風景に、目には見えない放射能が降りそそぎ、私たちはヒバクシャとなりました。
大混乱の中で、私たちには様々なことが起こりました。


すばやく張りめぐらされた安全キャンペーンと不安のはざまで、引き裂かれていく人と人とのつながり。地域で、職場で、学校で、家庭の中で、どれだけの人々が悩み悲しんだことでしょう。 毎日、毎日、否応無くせまられる決断。逃げる、逃げない?食べる、食べない?洗濯物を外に干す、干さない?子どもにマスクをさせる、させない?畑をたがやす、たがやさない?なにかに物申す、だまる?様々な苦渋の選択がありました。


そして、今。半年という月日の中で、次第に鮮明になってきたことは、
・真実は隠されるのだ
・国は国民を守らないのだ
・事故はいまだに終わらないのだ
福島県民は核の実験材料にされるのだ
・ばくだいな放射性のゴミは残るのだ
・大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ
・私たちは棄てられたのだ


私たちは疲れとやりきれない悲しみに深いため息をつきます。
でも口をついて出てくる言葉は、「私たちをばかにするな」「私たちの命を奪うな」です。
福島県民は今、怒りと悲しみの中から静かに立ち上がっています。
・子どもたちを守ろうと、母親が父親が、おばあちゃんがおじいちゃんが・・・
・自分たちの未来を奪われまいと若い世代が・・・
・大量の被曝にさらされながら、事故処理にたずさわる原発従事者を助けようと、  労働者たちが・・・
・土を汚された絶望の中から農民たちが・・・
放射能によるあらたな差別と分断を生むまいと、障がいを持った人々が・・・
・ひとりひとりの市民が・・・ 国と東電の責任を問い続けています。そして、原発はもういらないと声をあげています。


私たちは今、静かに怒りを燃やす東北の鬼です。
私たち福島県民は、故郷を離れる者も、福島の地にとどまり生きる者も、苦悩と責任と希望を分かち合い、支えあって生きていこうと思っています。私たちとつながってください。私たちが起こしているアクションに注目してください。政府交渉、疎開裁判、避難、保養、除染、測定、原発放射能についての学び。そして、どこにでも出かけ、福島を語ります。今日は遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。思いつく限りのあらゆることに取り組んでいます。私たちを助けてください。どうか福島を忘れないでください。


もうひとつ、お話したいことがあります。
それは私たち自身の生き方・暮らし方です。 私たちは、なにげなく差し込むコンセントのむこう側の世界を、想像しなければなりません。便利さや発展が、差別と犠牲の上に成り立っている事に思いをはせなければなりません。原発はその向こうにあるのです。 人類は、地球に生きるただ一種類の生き物にすぎません。自らの種族の未来を奪う生き物がほかにいるでしょうか。 私はこの地球という美しい星と調和したまっとうな生き物として生きたいです。 ささやかでも、エネルギーを大事に使い、工夫に満ちた、豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたいです。


どうしたら原発と対極にある新しい世界を作っていけるのか。誰にも明確な答えはわかりません。できうることは、誰かが決めた事に従うのではなく、ひとりひとりが、本当に本当に本気で、自分の頭で考え、確かに目を見開き、自分ができることを決断し、行動することだと思うのです。ひとりひとりにその力があることを思いだしましょう。


私たちは誰でも変わる勇気を持っています。奪われてきた自信を取り戻しましょう。 そして、つながること。原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、限りなく横にひろがり、つながり続けていくことが、私たちの力です。
たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。見つめあい、互いのつらさを聞きあいましょう。怒りと涙を許しあいましょう。今つないでいるその手のぬくもりを、日本中に、世界中に広げていきましょう。
私たちひとりひとりの、背負っていかなくてはならない荷物が途方もなく重く、道のりがどんなに過酷であっても、目をそらさずに支えあい、軽やかにほがらかに生き延びていきましょう。     (「9・19さようなら原発5万人集会」にて武藤類子さん)

タイトルの「福島」は最初漢字にしていましたが、3・11以後、世界の福島となったという意味でカタカナにしました。