「ミツバチの羽音と地球の回転」

昨日は10月初めてのプールでのウォーキングに出かけました。
いつもの田圃はすっかり籾殻と刻まれた稲わらに覆われていました。
ちょうど稲刈りの時期を風邪気味で過ごしてしまいました。
帰ってテレビをつけたら、偶然、菊花賞の中継、噂のオルフェーブルが三冠達成するのをリアルタイムで目撃できました。調教師の池江泰寿さんの父親の康郎さんは2005年にディープインパクトで三冠達成。親子二代での快挙だそうです。4コーナー辺りからグングン前に出てきてウソみたいな勝ち方でした。終わった後、池添謙一騎手を振り落とすオマケつき。
来年は「凱旋門賞」を目指すそうです。ディープインパクト武豊騎手で実現できなかった夢への挑戦です。
走る馬の姿は本当に美しい!! スポーツ欄の記事から:中央競馬クラシック三冠「三歳限定で行われる春の皐月賞日本ダービー、秋の菊花賞の3レース。距離2000mの皐月賞は最も速い馬、2400mの日本ダービーは最も幸運な馬、3000mの菊花賞は最も強い馬が勝つといわれている。三冠馬は7頭誕生したが、無敗での三冠制覇はシンボルドルフとディープインパクトの2頭。」
夕食をいつもよりずい分早目に済ませて、メイプルホールへ。
ヨガ仲間二人と会って三人で映画を見ました。「ミツバチの羽音と地球の回転」。
9月14日のブログ「女たちの「原発ゼロ」アクション(3)」参照:http://d.hatena.ne.jp/cangael/20110914/1315953528

四国は愛媛県伊方原発の向い側、山口県の上関から3キロほど海を隔てた祝島の28年間の原発反対運動を取材した映画です。島民の皆さんが実名で紹介され、半農半漁の暮らしと反対運動を体験するような映画です。スウェーデン脱原発宣言をして地域ぐるみ自然エネルギーで生活している地域も紹介されます。最後のほうで青森県六ヶ所村原発の再処理工場に隣接する風力発電の風車が映し出され、20年間脱原発を訴え続ける飯田哲也さんも登場します。
最も感銘を受けたのは、祝島で生活しているオバちゃん達や青年の闘う姿でした。自分達の生活を守るためには闘わなければならないという暮らし・・・それを28年間「休み休み」続けているたくましいオバちゃんやオジちゃんたちに頭が下がります。2010年3月までの取材で映画は終わっていました。その後、あの大震災と原発事故があり、そして、町長選では原発推進派が町長に。
でも、上関町だけで原発の是非が問われる様な問題ではないということは福島が証明しています。一旦事故が起これば市町村の壁も県単位の問題も越えた危険が広がります。まして上関は瀬戸内海の出入り口に位置しています。事故がなくても伊方原発の悪影響を祝島の猟師さんたちが訴えていました。温排水の問題もあります。今の状況で新たな原発建設を認めることは許されないと改めて。
それにしても、こんなに長い間戦い続け、反対を支援する人たちも居た運動をなぜ知らなかったのかと。左隣に座っているUさんと「知らなかったね〜」と。右隣のSさんは同じマンションで早くから脱原発を訴えていた方と知り合いだっただけに余計に「知らなかった〜」と。終わってからも3人で「なんで知らなかったのかしら?」と。これからはミツバチになって地球の回転に少しでも影響が出るようにブンブン言わせなきゃ・・・。


今日は聖苑で74 歳で亡くなられた方のお葬式。
5,6年のお付き合いでしたが、お互い役目を離れてからも、時々父の写真の件で問い合わせの電話を入れたり、街中で出会ったり。一番忘れられないのは、小学校のある子どもさんについて電話を頂いたことでした。通り一遍の報告をした後「それで、動かないのか?」と言われました。
丁度私が持ち回りの長をやっているときでしたが、当事者とは言えない立場で動きようがないと判断していました。その一言がなければ、あの夏、私達が校長先生に掛け合って市の担当者や子ども家庭センター(児童相談所)までが関わって一人の男の子の行く末を案じるような事態にはならなかったでしょう。
その後もMさんは地域の老人会やコミュニティセンターや写真グループなどでも世話役をやっておられました。
あの頃、なかには「やり過ぎ」という評価もあったようですが、私にとっては「あの一言」で忘れられない人です。
お別れをして、かつてのお仲間にも会って、お元気な頃のMさんを偲んできました。
皆さんとのお別れの挨拶も「元気でいようね」になってきました。