人に歴史あり、「老虎復活」に・・・

今年2度目の水中歩行、ヴィソラのプールへ出かけました。途中、住宅街の中で見た蝋梅(ろうばい)の花です。本当に見事に蝋細工のような透明感のある黄色の花。そして香りが何とも言えません。
我が家の隣の畑の道路側の隅にある蝋梅は真っ直ぐ上に伸びています。北の道路からカメラを向けるといつだって逆光です。
昨日は南側の道路に垣根から顔を出している蝋梅でしたので光の具合が良くって、花の質感が何とか捉えられそうです。
住宅街から一寸はずれた田圃を覘くと春野菜の種まきに備えて畑の畝が出来ていました。
さて、人に歴史あり、ザ・タイガースに歴史ありです。
今月の18日、NHKの夜遅くに「SONGS」という番組がありました。番組のタイトルは「沢田研二ザ・タイガースをうたう」で、NHKの番組紹介によりますと:

伝説のバンド、ザ・タイガース
1971年の解散以来、音楽界を離れていたドラムの瞳みのるが昨年復帰。沢田研二のコンサートツアーに、岸部一徳森本太郎瞳みのるが参加し、4人で、日本中のファンを沸かせている。
この4人がSONGSに登場し、大ヒット曲の数々をお届けする。4人のトークで、ザ・タイガース時代の秘話や、友情再開の感動エピソードも紹介する。

途中から見た番組でしたので、わぁ〜〜という思いで見ていましたが、声を聴いて、昔のジュリーのままだヮ〜と思い、沢田研二さんが、「みんなで歌いたい」と語っているのを聞いて、いろんな想いで人生を生きてきた人たちの熱い思いが伝わってくるようでした。ドラムが加わってというのも珍しい・・・くらいにしか感じていなかったかも。
ところが、SPYBOYさんの19日のブログ「H先生との再会」を読んでビックリ!! 人に歴史あり…です。(http://d.hatena.ne.jp/SPYBOY/20120119/1326978781
今朝になってあの日ドラムを叩いていた瞳みのるさんについてWikipediaを読んでみました。

ザ・タイガースから引退して芸能界との関係を一切絶って、大学で中国文学の研究者となり、高校教師をして、中国にわたり……長年かつてのタイガースのメンバーとも絶交状態にあったそうです。SPYBOYさんは高校教師時代の生徒さんとしての数奇な出会いを書いておられます。
頑なだった瞳みのるさんがどうして復活タイガースに加わることになったか・・・相聞歌のようなやり取りがあったというお話です。

ザ・タイガース解散後に岸部、沢田、森本によるTEA FOR THREEが結成された際、岸部と沢田の作詞、森本の作曲による彼に捧げた作品「Long Good-by」(作詞:岸部一徳/沢田研二 作曲:森本太郎)が制作された。

この楽曲はタイガース解散直前、日劇エスタンカーニバルの舞台裏で人見が岸部に語った「一緒に京都へ帰ろう」という会話に基づいて作られている。2人は同じ中学でクラスこそ違えど水泳部で一緒だったこともあり、メンバー内でも特に親交が深かった。アマチュア時代には岸部と二人で、四条河原町にあった大型キャバレー「クラウン」のドアボーイのアルバイトをしていたこともあった(その後盗み食いがバレて二人でクビになった《NHK「青春プレイバック」(1986年9月13日放送での岸部談》)。 この曲は当初、岸部が作詞、その詩に対し、森本が作曲したものだが、森本は3番の歌詞の内容に満足せず、3番の歌詞の作詞を沢田に依頼し完成させた。

但し、楽曲は長く音源化されず、森本率いる「森本太郎とスーパースター」の1月ライブ(ライブ自体は毎月行われているが、例年1月はタイガース解散記念ライブとなっている)でのみ披露されていた。


だが沢田が還暦を迎える2008年、森本太郎とスーパースターのアルバム「J.S.T. ROCK'N'ROLL」と沢田のアルバム「ROCK'N ROLL MARCH」にそれぞれのバージョンで収録された。
また、沢田はNHK総合テレビジョンの『SONGS』に出演した際に『Long Good-by』を歌唱した。そして、前述のとおり2008年12月に沢田、岸部、森本と人見は約38年振りの再会を果たしている。 2011年2月出版の人見の自伝のタイトルが、「ロング・グッバイのあとで」となり、ほぼ同時期に、ザ・タイガースの「復活」が具体的な話として盛り上がったことから、その重要な「要素」となったこの曲への関心や評価がにわかに高まってきた。


人見豊とザ・タイガースのメンバーとの38年ぶりの対面は、元マネージャーである中井国二の尽力と、沢田、森本、岸部のこの曲へ委ねた人見への想いが、たまたま放送を視聴していた高校の同僚教師から人見へと伝わったことなどが指摘されているが、度重なる大病と退職にあたっての人見の心境の変化、離婚、独自の日中間の音楽への思い入れが主因と言われており、その後、人見はこの曲への返歌、「道」を作詞、作曲し、元メンバーたちへの感謝を表している。また人見はメンバーとの再会に際し、「老虎再来」という曲の作曲、作詞を行い、喜びを表している。これらはCDとして発売された。


男同士ではあるが、これらは現代版の「相聞歌」とも言うべきものであり、音楽を使っての、お互いの感情の「投げかけ」によって、感情的に次第に復元された元メンバー達は、このような過程を経て、「再結成」へ向けての準備を徐々に進行させていった。

2011年2月25日に東京・一ツ橋の如水会館で開かれた人見の自伝出版記念パーティーでは、壇上に岸部一徳沢田研二森本太郎、そして人見豊が並んだことにより、人見を含めたザ・タイガースのメンバーが揃って舞台の上に姿を現すのは実に40年振りとなった。

まさに、人に歴史あり、歌に歴史ありです。
「人見 豊(ひとみ みのる、1946年9月22日 - )は、漢文・中国語関連参考書・エッセイの著者。近年は、作詞、作曲、訳詩、日中近代音楽の交流史の研究などを行う。かつては『ザ・タイガース』のドラマー、瞳みのるとして活躍。解散後は高校教師として慶應義塾高等学校にて中国語・漢文を担当していた。京都府出身。」(Wikipediaより)

瞳みのるオフィシャルサイト=http://www.hitomiminoru.com/