「イムジン河」ものがたりと「福島県民健康管理調査」

月曜の敬老の日箕面の山歩きをしましたが、その帰り道のことです。
北児童公園を通り抜けたお宅の崖の上から紅白の萩の花が垂れ下がって咲いていました。
風が強い日だったので写真を撮るのが大変。
何とか風がおさまるのを待って紅白の萩の花の写真をとりました。


◎昨日の蛙ブログの「おとなり日記」に紹介されていた「小海キリスト教会牧師所感」さんの記事「福島県医大とABCC」は、現在福島で行われている甲状腺検査は自分の子どもの結果を知るのに県に『情報開示請求』を出さなければならない。これでは、かつて広島で原爆投下後、ABCCが行った「調査」と同じではないかという内容です。詳しくはコチラで:http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20120919
◎本日の「shuueiのメモ」さんの記事「43%の子どもたちに、しこりやのう胞 福島」という記事から「『原発差止判決』を書いた元裁判官、再び官邸前へ!」(9/16)という記事の一部引用です:全文はコチラで(http://d.hatena.ne.jp/shuuei/20120920/1348089713

 井戸弁護士がプリントアウトして持って来た福島県「県民健康管理調査」の資料。井戸弁護士が言うとおり「平成23年/35.3%」、「平成24年/43.1%」という数字が見える。
 マイクを握った井戸弁護士は、さきに発表された、福島の18歳以下を対象とした検査で1人の甲状腺がんが判明したというニュースにふれ、原発事故の影響が、子どもたちの体にきわめて早いスピードであらわれている可能性が高いことに危惧を示した

         ********************************


 「放射性物質であるセシウムは、人体の甲状腺に集まることがわかっています。子どもたちは福島県内にとどまることで、日々、そのセシウムの攻撃にさらされているわけです。ある研究では、セシウムは1ケ月程度で、かなりの割合が体外に排出されると言われています。ですから、毎日、毎日、被ばくして体内にセシウムを蓄積させるような環境から、セシウムを体内にとり込む危険性の無いところに避難させれば、子どもたちの健康はかなり守られるのです。」


 「私は今日、外国人特派員協会でも、この健康調査結果について話をして来ました。外国の記者らは、前回〈35%〉から〈43%〉という8%増加にも驚いていましたが、同時に、こういう驚くべき健康調査結果について、日本の大手メディアがまったく伝えないということにも、かなり驚愕の様子でした。」

さて、18日(火)の日経夕刊、「人間発見」というコラムにふくよかなお顔の写真が載って松山猛というエッセイストが取り上げられていました。
イムジン河」、あの京都出身の「ザ・フォーク・クルセダーズ(フォークル)」が歌った「イムジン河」の訳詩を手掛けたのがこの松山猛[66]さんで、その後、雑誌「POPEYE(ポパイ)」創刊時に携わり、エッセイストとしても活躍していると書いてあります。
読み進むと、どうも映画「パッチギ」の主人公(塩谷瞬が演じた)その人のようです。この映画は東京に居る長男に薦められてDVDで見たことがあります。
リード部分を省いて本文記事を移してみます:
イムジン河の歌はコチラの動画で:http://www.youtube.com/watch?v=1-eJDL3zLCQ

時代の流れ 言葉にのせて(1)  エッセイスト 松山 猛(たけし)さん
    

 その美しいメロディを聴いたのは銀閣寺近くの京都朝鮮中高級学校の職員室を出た時でした。朝鮮語の女声合唱が響いてきたのです。もの悲しい調べでした。それがイムジン河だったのです。
 京都では朝鮮学校と日本の中学校の生徒のケンカが多く、中学生だった僕は「どうしたら平和に仲良く暮らせるか」考えていました。担任教師に相談したら「ケンカよりスポーツでぶつかったら方がよい」とサッカーの試合をするよう勧めてくれたのです。そこで朝鮮学校に出かけ、同校の先生に試合を申し込んだのでした。
 数か月後、中学のブラスバンド部でトランペットを吹いていた僕は九条の橋で練習していました。そこで出会ったのが朝鮮学校のプラスバンド部にいたムン・ガンス君です。「こんなメロディー知ってる」と聞くと「イムジン河ゆう歌や」と教えてくれました。次に会った時、彼の妹が書いた歌詞や朝日語小辞典もくれたのです。新聞配達で金をためて買った大切な辞書だったと後に知りました。
 当時の思い出を「少年Mのイムジン河」(2002年)という本にまとめ、本を基に映画「パッチギ!」(05年)が創られました。映画は松山という高校生が朝鮮学校へ行き、沢尻エリカさん演じるヒロインがイムジン河を楽器で演奏しているのを聞く設定ですが。

と、後半は、この「イムジン河」という曲にまつわる数奇なお話です。初めて知ることが入っていました:

イムジン河」は思わぬ事態に見舞われる。

 初演は、1966年(S41)、京都のコンサート会場だったと思います。フォークルのメンバーだったきたやまおさむ君が曲を紹介して歌い始めたら、場内がシーン。歌い終わって数秒の間があり、どよめきと共に拍手が押し寄せた。舞台のそでに居た松山さんは「何かが伝わった」と感じた。
 67年には松山さんと「きたやま君が作詞し、リーダーの加藤和彦君が作曲した「帰ってきたヨッパライ」のレコードが大ヒット。プロとなったフォークルの次作がイムジン河と68年に発表されました。ところが記者発表翌日に京都の自宅のテレビを見ていると、発売中止のニュースが。忙しいフォークルとは連絡も取れません。訪ねてきた音楽出版社の人に「こらえてくれ」と言われ、わけのわからぬまま我慢するしかありませんでした。
 僕は朝鮮半島の分断を嘆く民謡のような歌と思っていたのですが、実は北朝鮮で作られた有名な歌だったのです。在日朝鮮人総連合会(朝鮮総連)が訳詩は原詩と異なるとレコード会社に抗議したと聞きました。半島の人々の悲しみを伝えたいと思っていたのに盗作と批判され、ほとんど放送されません。軽率だったかもしれないが、心に深い傷を負いました。


「しかし、歌い継がれていた」 
 02年の日韓共催サッカーワールドカップ(W杯)の直前、日本人の音楽ディレクター、会田晃さんがW杯向けの歌を探しにソウルのCD店に出かけ、「日本語の歌を知っているか」と若い韓国人店員に尋ねました。店員はイムジン河を僕の訳詩で歌ってくれたそうです。感動した会田さんが僕に電話し、「もう一度この歌を世に出さなければいけない」と言ってくれました。CDを作り、日本音楽著作権協会JASRAC)に交渉してくれ、僕の訳詩権も認められました。
 歌い継がれていたことは嬉しかった。会田さんは亡くなりましたが「この歌はアジアのイマジン」と評しました。ビートルズのメンバー、ジョン・レノンが平和を願い作った歌「イマジン」と同じ心を持つというのです。朝鮮半島と日本の間には竹島問題など色々なことが起きていますが、いがみ合うエネルギーを何とか良い方向に持って行ってほしいですすね。     (聞き手は編集委員 種田龍二)