沖縄日本「復帰」40周年と新聞コサージュ初先生

昨日、「日本復帰40周年を翌日に控えた14日、沖縄県仲井真弘多知事はルース駐日米大使と県庁で会談し、沖縄に集中する米軍基地の負担軽減について『(進み具合が)ゆっくりだ。日米同盟は重要だが、(県民の)意見や主張が適切に処置されていない』と述べ、対応を急ぐよう要請した」と日経今朝の新聞の小さな記事です。「ルース大使は『基地の影響を小さくするために沖縄と協力したい』と回答。ただ、アジア・太平洋地域全体の安全保障の重要性を考える必要があるとの認識を示した。同大使は、同宜野湾市で15日に開かれる日本復帰40周年記念式典出席のため、沖縄を訪問した。」
最近の変化は、沖縄が日本の政権を相手にしないで直接アメリカを相手にしなければならなくなったことです。沖縄の役割が露わになってきたともいえますが、日本の政治が機能していない、あるいは、日本の政治が沖縄の意志や意向を代弁していない表れでもあって、ひいては本土に居る私たちの意志が問われる問題でもあります。
「沖縄を返せ」が本当に日本人の願いであった頃から、日本人は変わったのでしょうか。変ってはいないと思いたいです。
                     北側玄関脇の一重の赤いツルバラ・カクテルが咲きそろいました→
さて、昨日は午後から「コサージュ先生」初体験でした。昨年からのお約束で、今年に入って少し暇になったNさんから先週末電話で予約でした。
1時に山の上のNさんが車でお迎えです。私は3,4か月前から貯めていた新聞広告を紙袋に入れ、作り置きのコサージュを見本にと小箱に入れて、糊、ハサミ、ボンド、そしてドライバー、ピン、なども箱に入れ、3月から準備は出来ていました。

Nさんのお友達のIさんとNさん、そしてもうお一人のIさんと今日は4人の生徒さんです。
新聞広告の好きな色を選んで、型紙の大中小の花びらをそれぞれ裏・表2枚づつ切り出し、糊付けをします。
糊で湿っているうちに花びらにドライバーの柄を当てて外側に巻き付け、両端を真ん中に絞ります。ドライバーを引き抜いて、5枚の花弁をそれぞれ撒きつけ絞りを繰り返し立体的な花弁を大中小と作ります。
乾くと自在に修正がききますので、花びらの形を整えて、大中小の花びらが互い違いになるよう重ねて糊付け。
今度は芯づくりです。色合いを考えて3センチ幅のひも状の紙を半分に折り、糊付け。山に当るところを2ミリ幅で深さ半分までハサミを入れます。これがなかなか時間が掛かります。この作業が一番大変かも。反対色でもいいし、同色の濃淡にしてもいいし。色を混ぜれば薄くなるし、ハサミの入れ具合を加減すれば雰囲気も変わります。何個か作れば慣れてきますので色々挑戦したくなります。

やっているうちに気付いたことは、糊の付け具合がなかなか難しいということ。糊を塗りすぎると渇きが悪くドライバ―で絞るときに紙が破けてしまいます。乾きすぎると皺が作りにくくなります。この加減が思ったより難しい!
芯を作る作業は最後の仕上げに当るところで作ったお花のイメージがこれで決まりますので楽しい作業ではあります。
1時から4時までで完成させた方もあれば、途中で呼び出しのお電話が入って仕上げを預かった方もあったり。明日もう一度補習?をする方がお二人ですので、まあまあかな〜というところ。

数をこなしているうちに力加減とか色合いとかが分かってきますので、あとは新聞の一面広告のカラーを見て作りたいコサージュのイメージを描く楽しみがわいてきます。どなたか「ハマりそう〜」と仰っていましたので楽しみです。材料費はほとんどかかりませんので出来上がったら本当に楽しいです。私はお茶の時には貴金属のアクセサリーはつけてはいけない決まりなので、いつもこの手作りコサージュをその日の服に合わせてつけていくことにしています。


先ほどのお電話では、午後からの補修にも新しい生徒さんがお二人みえるそうです。
お二人とも昭和20年生まれ、ご主人を亡くされてお一人暮らしの方もおられるそうで、手作業をしながらのおしゃべりも弾むことでしょう。


今朝は雨が渋る中ピンクのクレマチス(テッセン)が咲いていました。ピンクのバラ/ピエール・ド・ロンサールの蕾も少し色づきだしました。