ソレントからバスでアマルフィへ(5)

4日目、6月20日(水)、世界遺産アマルフィへ。
ホテルの朝食を摂ってナポリ中央駅構内のヴェスヴィオ周遊鉄道ナポリ・ポルタ・ガリバルディ駅8時41分発の電車でソレントへ。
にぎやかな車内でした。途中からタンバリンや笛や太鼓が鳴りだして、何事かと思いました。電車の扉付近に陣取った若者のグループが突然演奏しだして、終わったかと思うと一人がタンバリンをひっくり返して突き出しながらお金を求めて座席を巡って来ました。殆どの人は無視していましたが。
学生や主婦、通勤のスーツ姿の人、我々日本人観光客4人もと雑多な人を乗せた電車でした。
高台のソレント駅から降りると、ソレント発アマルフィ行のバスを待つ列が出来てきました。10時30分からバスで1時間10分。

グイグイ山を登って景色は良くなるものの危ない道をかなりのスピードで進みます。ニースから鷲の巣村のエズに行く時と似ていますが、今回は大型バスです。すれ違う時はどうするのかと思うほど細い道。とうとう途中、向こうからも大型車が。我々の乗ったバスの方が数十メートルもバックすることになりました。最後にバリッと音がして、私の座っている窓の近くで、外のバス停の時刻表を覆っていたガラスが割れました。しかし、実害はそれだけで、すれ違い成功。やっと余裕を持って景色を楽しめるように。
アマルフィの手前で運転手が降りるように言ってくれて下車。揺れたバスで気分を悪くしたFさんが大きなホテルのトイレを借りることになりました。崖の面にブーゲンビリアがツタって咲いていました。ホテルの前に居る従業員らしき人にホテルの所在を聞いてみたら、すぐそこの角(崖の)を曲がったところと言うので、下りを荷物を転がして行く。
ホテル「Il Nido」着12時5分でした。受付でフランチェスカさんから地図をもらっていいろいろ説明を受けて各自部屋へ。

小花模様のシーツに紫のクッションが可愛いお部屋。見晴らしも素敵。洗濯とシャンプーも済まして、2時半、ロビーへ。
ホテルのある場所はアマルフィから少し山側というかソレント側にはずれた別の地域。アマルフィに行くために、助言通り、バス道をしばらく歩いてから、崖の横道にそれて公園の中を通ることに。坂を下って色んな花を見ながら海岸沿いに出る。しばらくするとアマルフィの中心、タクシーやバス乗り場のあるフラヴィオ・ジョイア広場にでる。明日の乗り場と時間をチェックしてから、山側へ向かう。
アマルフィは坂の街。お土産屋を覘きながら登って行き、途中、テントで3時ごろ遅い昼食を摂ることに。赤いオレンジジュースが美味しい。男性陣はもちろんビールが美味しい、それもよく冷えたドラフトが。
1時間ほどゆっくりしてから歩き出す。大きな広場に出ると大階段が見え、大きくて立派な聖堂がそびえている。ホテルの案内では5時から日本語の解説付きの観光ガイドが今日はラッキーなことに無料であるからと勧められた。それまでには時間があるし、結局歩いているうちに観光しているわけだから、このまま観光を済ませることもできるけど…と言ったら、皆でそうしようということに。そこでこの大聖堂の階段を上ることに。
アマルフィ世界遺産に登録されている美しい海岸沿いの街ですが、10〜11世紀頃、地中海に君臨したイタリア最古の海運共和国だとか。


9世紀に建てられたドゥオモは、街の守護聖人、聖アンドレアを奉じる聖堂。イスラム風の縞模様のアーチが目立ちますが、アラブ・ノルマン様式で建物正面のカラフルなモザイクの装飾が見事。「バロック式の外観は1700年前半のもの。とても壮麗であると同時に原型であるロマネスク様式を併せ持っている」。料金を払って中へ。
まず13世紀建造のアラブ的な120本の交差アーチの「天国の回廊」があり、アーチを通して見える地中海式庭園が美しい。「ここは1266〜1268年に建設されたアマルフィの貴族たちの墓地」(日本語の案内書より)、「全能の救世主を描いた」フレスコ画も。

地下礼拝堂は豪華絢爛。海運共和国の栄華を今に伝えています。バロック式の地下礼拝堂は、1600年にスペインのフェリペ(フィリップ)3世によって修復されたとか。ナポリのあの絢爛豪華な王宮もこのスペイン王を迎えるために建てられ、結局来なかったという話でした。
下の左端の写真の中央の黒い像が均整のとれたたくましい姿の聖アンドレアです。この像はフィレンツェ出身のナケリーノ・ミケランジェロの作品で、高さ2.36m、重さ800キロあり、「師匠であるミケランジェロのモーゼを彷彿とさせる」(案内書より)

「地下礼拝堂はアマルフィの心臓です。なぜならここにはイエスの初めての信徒である聖アンドレアの頭と骨が保存されているからです。今日のロシアまで広がるほどのギリシャで福音を説いていた信徒アンドレアはパトラスで十字架にかけられ、そこから彼の体はまずコンスタンチノープルに運ばれ、続いて4番目の十字軍聖戦時、枢機卿ピエトロ・カプアーノによってアマルフィに運ばれます。1208年5月8日、街の人々から祝典と共に迎えられ、同枢機卿によって作られた地下礼拝堂に隠されました。現在後頭部は祭壇の後ろに保存され、特別の状況時のみ表に出されます。その他の骨は祭壇の下に保存され、大きな大理石の平板で覆われています。」(これは今読んで知ったこと、よく見て来るんだった…)



付属の博物館にはフレスコ画やモザイクのオリジナルが飾ってあります。十字架をよく見るとカメオ細工でした。

階段を数えながら下りると56+5段。広場に降りて北(山)側の坂道を歩く。街の目抜き通りで両側に特産のレモンやオレンジをはじめ、陶器やお菓子などの店が並び、観光客が行きかっている。夫が果物を買っている間に、日本人の熟年カップルの女性が「・・・ですよね」と話しかけてくる。「間違ってませんよね」と念を押されるので、「はい、日本人ですよ」と応じる。どうもお二人だけの個人旅行らしい。「今日ナポリから、その前はフィレンツェからアッシジ」と私、「あら、逆だわ、これから・・・」。「私たちは南へ下ってシシリー島のタオルミーナからパレルモです」と旅の予定を言うと「パレルモは気を付けないと・・・」と御注意を受けました。私たちは「ナポリは汚いし怖いし」と情報交換。もう既に二人で2週間ほどイタリアを旅していると仰っていました。
水とクッキーを買って一旦ホテルへタクシーで戻る。
7時半、出直して夕食へ。ホテルで予約を入れてもらっていたけれど、席が入口に近く落ち着かないので奥へ変えてもらう。こういう時、夫の日本人離れした自己主張が後腐れなくて何度も助けられた。F氏も笑いながら(あきれて?)認めている。
海鮮イタリア料理、ビールにワインと今日もおいしく戴けました。
景色は良いし、ホテルも良いし、ストが無ければここは2泊の予定だったのに……残念と、この時は思っていました。



       右の写真は夕食のためにもう一度広場の前を通った時に見た大聖堂です。
       西日を真正面に受けて聖堂の金彩を施した部分が黄金色に輝いていました。
       これは本当に神々しいほど美しい金色の輝きでした
         


(この日からカメラは夫のカメラ。一眼レフを出がけに「持って行けば」と言ったのが良かった。
使っていいよと渡されたこのデジカメで吉野山を写したというので上等上等と有難く使わせていただくことに)