3300メートルのエトナ山へ(8)


8日目、6月23日(土)、今日はヨーロッパ第一の活火山であるエトナ山へ、ホテルの方が運転する車で出かけます。
10時からですので、今日もその前に散歩。昨日食事をした辺りは今日は清掃車が出て綺麗に片付いています。
シシリー島のシンボルらしい女の人の顔から三本の脚が出ているデザインの州旗が掛かっていました。陶器の売り場でもたくさん見かけましたし、タイルに描いたこのマークが表札の上に貼り付けてある家もありました。ギリシャ神話のメドゥサ(髪の毛が蛇というアレ)に三本の脚は島にある三つの岬を表すという説があるそうで、「トリナクリア」という州の紋章だそうです。(左の写真が州旗)

昨日、二人が交渉していた長い髪の女性は、どうもホテルのオーナーで、受付のヤンチャなお姉さんは従業員らしい。
ガイドと同じ料金で案内できる、前日にも案内してきたということでした。そういえば私たちへの説明でも熱意のほどが全く違います。
後で名刺を頂いてお名前が分かったのですが、キアーラ(CHIARA)さんと仰って、ホテル・エリオスのほかにもヴィラ・キアーラも家族で経営しているとか。アッシジの聖女と同じ名前のこのキアーラさんの誠意溢れるこの日のガイドぶりに私たち4人ともすっかり嬉しくなってしまいました。
Fさんの部屋は本当はシャワーのトラブルがあって大変だったのです。シャワーカーテンが短いのと流れた水が流れ口の方にいかず、洗面の方に流れてきて、タオルで水を吸い取って絞って乾かしてという作業をしなければならなかったそうです。それでも、共用のテラスの快適さに我慢できたとおっしゃっていましたが、そんなことも補って余りあるキアーラさんのこの日の頑張りでした。ワゴン車の助手席にF氏、後部座席の真ん中に一番小さい私、両脇に夫とFさんの3人が乗り込みました。車はニッサンのワゴン車です。街の中は駐車スペースがないので、住人は前の道路の片側に許可を得て車を駐車できるようになっています。

ホテル前から10時、出発。キアーラさんの巻き舌の英語の解説付きのドライブが始まりました。
まず、高速道路に入って海に向かって右・西のカターニャ方面に向かいます。解説ではタオルミーナの石は白いけれど、エトナの溶岩の石は黒いので進むにしたがって街の石は黒くなりますとのこと。その通りでした。
途中、大きな教会の前でスピードを緩めて、結婚式をやっています、おめかしして参列している人たちが・・・と。見るとなるほど結婚式です。今日は土曜日、土日は結婚式日和らしくて、この後も、ホテルの近くの四つ星ホテルでも結婚式に出会いました。新郎新婦がオープンカーでホテルに到着するのを大勢の親戚縁者らしき人々が正装で迎えていました。もう一組、メッシーナ門の近くでも出会いました。
ところで、車で通る道筋の街かども家並もちょっと寂れたような様子。助手席のF氏も気になってか「住んでいるんですか?」と質問。実は「ガレージ」で住んでいるのはべつのところなんだそうです。シシリー島はマフィアの島。新たに店を出そうとしてもマフィアに挨拶が無ければ焼打ちになる。ところが、タオルミーナは唯一マフィアに支配されていないんだそうです。その理由を聞き漏らしましたが…知りたいです。シチリアは古くはギリシャ、ローマ、その後もゲルマン、ブルボンと支配され続けてきたとのことでした。そういえばイタリア統一は明治維新より少し早い1861年で、民主国家となったのも日本と同じ第2次大戦以後です。

キアーラさん自身のことも話題になって、あのホテルはお父さんと自分ともう一人の姉妹でやっているとか。家族は6人家族だそうです。さて、車はどんどん高度を上げて耳がキ〜〜ンと気圧の変化を感じ始めています。段々緑が少なくなって、11時頃、溶岩(lava)が辺りを覆い始めています。つい一月前にも噴火があったそうです。放射能でなくていいわね〜は私が日本語で。でも、つい心配になって「爆発予報はないんですか? 今日は大丈夫な日なんですか?」なんて馬鹿な質問をしてしまいました。F氏が間に入って、町で火山情報を住民に流したりしているんですか?と聞いてくださいました。笑いながら、いいえ〜〜でしたが。広大な範囲に溶岩が流れた跡が続きます。10年ほど前にも大規模な爆発があって溶岩流が流れ出たとか。自然災害はこうやって真近に人々は住み、特産の蜂蜜はお土産となって何の不安もなく観光客が買い求めてもいるのです。


1900メートル地点到着です。あとは、ロープウェイで2500メートル地点まで。そのあとは3300メートルの山頂まで車で行くこともできるという。
駐車して、キアーラさんの知り合いの山小屋へ導かれてトイレを済まし、私たちは乗り場へ。キアーラさんもついて来て下さってチケットを買うところまで見届け、1時間でも2時間でも楽しんでいらっしゃい、待っているからと。下界は暑かったのですが、さすが2000メートル近くなると涼しい。持ってきた長袖を着込んで備えることに。
ゴンドラに4人で乗り込んでかなりの距離で一気に600メートルを上ることに。
山は曇っていて下界の視界も余りよくないのが残念。
11時50分、2500メートル地点に着いたらランドクルーザーのような車が山頂まで行く人たちを乗せて物凄い砂埃を巻き上げています。
歩いている我々は砂煙の方向とは逆の方へ慌てて避けることに。当然冬には雪山になり、残雪が溶岩の真っ黒な砂をかぶって水滴を垂らしています。
山頂を背景に4人の若者たちの一人が写真を撮ってほしいとやってきたので、ついでに私たちも頼むことに。
裸足で歩いている男性がいたので「痛くないですか?」と聞くと、手に持った靴を見せて「石が入って痛いのでこの方が楽」と。「日本人?」というので「そうです」、「どちらから?」と聞くと「マイランド」? あぁ〜そうか、イタリア人なんだ。そのあと夫とF氏が話し込んでいたので後で聞くと、結婚式でイタリア北部からやって来て、ついでにエトナへということだそうです。
ところで、ケーブルの上から火口のお釜が見えましたが、どうもあの遠くの斜面は火口らしい。ところが冷えに弱い夫はここで先を諦める。私もちょっと具合が悪いので引き返したい。ということで、元気なFさん夫妻はその火口らしき山へ向かい、12時過ぎ、私たちは駅になっている山小屋へ引き返すことに。ここで、私は真っ黒な溶岩で作ったカメを見つけたのでカメコレクションをしている友人のお土産に買い求めました。
しばらくして戻ってきたお二人は、たった二人だけの火口探索だったようで、ケンカするほど仲良し二人の面白おかしい報告に私たちもついつい笑ってしまいました。待っている間に体調が戻った私たちと一緒に下りのロープウェイで1900m地点の山小屋に戻る。途中、下を見ると、溶岩の上には一見地衣類の苔に見間違うような草花が生えていて、中には真っ白なかわいい花を輪型に咲かせているようなところもある。

飛び散った種が着床して発芽の環境が整えば根を張って花まで咲かせるということで、植物の生命力ってすごいな〜〜と夫が感心する。
植物もそうだけど、こんなところにまでロープウェイをつけて観光客を呼ぶ人間のやることも凄いよ〜と私。途中まではスキーのリフトまでありました。

下の山小屋に入ると、一番端のところでパソコンを開いてお仕事中のキアーラさんに手を振って挨拶。
隣のテーブルに座って、1時過ぎ、昼食を摂ることに。バイキングスタイルのシシリー料理で、ここのお野菜の煮込みが意外に美味しかった。火山の噴火についての映画をテレビで流していて、なぜかロシア語版。ロシア人観光客も来ることがあるのかな〜〜。でも、見ているだけでも、火山の噴火シーン、溶岩流の流れ下る様子や、溶岩内部が生き物のように赤くブクブク蠢く映像とか、噴火のメカニズムの解説とかが分りやすくて、皆で見てしまっていました。

段々雲が出てきたエトナ山をあとに、2時40分、いよいよ、山を下ることに。下りは車中みなさんお疲れで静か、そのうち寝込んだり。私も一時睡魔で意識朦朧の時間もあったのですが、親切なキアーラさんの解説を聞き漏らしてはもったいないし申し訳ないと、一寸忘れかけていた英語で質問したりしていました。
太陽がいっぱい」のお話をして、確かめたかったのですが、これは映画が古すぎてダメだったみたい。ゴッドファーザーの映画の話になって、あの映画の撮影はこのあたりでも沢山撮影されたんだとか。それから、この辺は果樹、オレンジとレモンの花の蜂蜜が特産で、オレンジは年に2回しか花が咲かないけれど、レモンは年に何度も循環して咲いているとか。山のてっぺんの教会に登る道でもウチワサボテンをたくさん見ましたが、この辺は平地でもウチワサボテンが黄色い花をつけています。キアーラさんの説明では花をつけている根元の膨らみが食べられるそうです。花も食べられるそうです。水が少なく、土地がやせている地域でもあるわけです。振り返るとエトナ山はスッカリ雲を寄せてしまっています。

さて高速を出て(写真右上)、いよいよタオルミーナに戻ります。ここでキアーラさんならではの大サービス。海外べりの景色の良いところまで連れて行って、車を止めて、写真を撮る時間を下さいました。それから市内を走り抜けてタオルミーナの高台へ上るのに途中景色の良いところで、諦めていた「イゾラ(島)・ベッラ(美しい)」を見ることが出来ました。
メッシーナ門の近くからロープウエイが出ていて、駅とは反対側の東の海岸に映画「グラン・ブルー」に登場したというこの小島に行けると案内書には出ていましたが諦めていました。崖の上からでしたが、白い砂州で繋がっているイゾラ・ベッラが見え(左の写真)、反対側には先ほどまで居たエトナ山が見渡せます(上の写真)。キアーラさんありがとう!

さあ、これからはメッシーナ門をくぐってホテルです。タクシーとバス乗り場の横の曲がりくねった狭い道を大きなニッサン車で器用に観光客をかき分けて車で進みます。途中で夫が「買い物があるのでこの辺で降ろしてください」と、4時半ごろでした。昨日のシルバーの蛙です。私たちだけのつもりだったのにFさんたちも付き合って下さることに。狭い道路の片側にタイヤを引っかけて車を上手に止めて、キアーラさんとはここでお別れ。
お店は昨日のマダムがいて、接客中だったので少し待つことに。キャッシュだというと少し値引きしてくれて小さな金色の箱に入れてもらいました。昨日大騒ぎした蛙、一件落着です。諦めかけていたのにFさんのお蔭です、ありがとう!
5時、ホテル着。各自部屋へ、私は、洗濯、シャワー、シャンプーを済まして一息。
今夜はタオルミーナ最後。

6時から、Fさん夫妻から四階のテラスへお招きです。
広いテラスでサンジミニャーノの白ワインを開けるのだそうです。初めて見たテラスの広いこと。全面、イオニア海の青い空と海です。これはすばらしい!! 
後ろを振り向くと崖になっていてウチワサボテンがビッシリです。これは凄い。どこも崖に張り付いて家が建っていたのですね。
椅子に腰かけてシチリアの風に当っていると、自然に今までの旅の話になります。どこが良かったとかいう話になるとF氏は、タオルミーナの風が一番だと。
斜め下に見える4つ星のホテルには5本の旗が見えます。真ん中に一本高くそびえているのはイタリアの3色旗。少し下に4本、フランスの3色旗、ユーロの紺地に黄色の星の輪の旗。そして白地に赤丸の日本の国旗。横にアメリカの星条旗。旗は日の丸が丸く見える程度のタオルミーナの風を受けてはためいています。お客の国籍を旗で表しているのかな〜とか、日本の旗はシンプルでやっぱり美しいね〜なんて話しているうちに、日本の話に。

F氏は、タクシーに乗っても窓を開けっぱなしにしているし、イタリア人みたいに暮らしていたら原発なしでも行ける気がしてきたな〜とも。それから、F氏が今読んでいるというロスチャイルド家の世界支配とかの話になり、自然に話は日本の原子力ムラの話に。今日本は本当なら脱原発に舵を切るとき、という点では4人とも一致。
夫も、二人で学生時代以来初めてのデモに参加した、手に手に手製のプラカードを持って、自分たちも段ボールにマジックペンで書いて持って行ったという話をすると、目を丸くして驚いておられました。
このテラスは、Fさんの部屋に続く一部が鉢植えのコンテナで仕切られてプライベートコーナーになっていて、あとは共用の広いテラスになっています。
白くペイントされたネット状の鉄製のイスとテーブルが3セットほど置いてあります。3年前の私たちのように、食材をビニール袋に入れたカップルがここで夕食を食べるらしく隣のテーブルに飲み物を広げ始めました。さて、私たちもタオルミーナ最後の夕食に出かけることに。

8時、ホテルを出て、ウンベルト通りへ出る。結局、昨日の一本筋違いの「バッカス」というお店にしました。
ストのお蔭で、タオルミーナ3泊になり、そのお陰でエトナ山まで行ってくることが出来ました。
その噂のストについて、アマルフィのホテルのマルティノさんに「日本で明日ストと聞いたんだけどホントにあるのか?」と誰かが聞いたら、英語は忘れましたが、大まかな答えは「そんなの関係ない」「とにかく私は仕事をしているし、明日も働くだけだ」ということでした。アマルフィには鉄道は通ってないし、関係ないと言えば関係ないのか…とにかく、われ関せずでしたので、ストは本当に決行されたのかどうかは結局分らず仕舞い。でもそのおかげで私たちは良い旅になりました。
4人とも今日が旅の最後のつもりです。
そのタオルミーナの夜更けです。
ホテルに戻って西の窓を開けると
エトナ山のすそ野が海に注ぐ美しい夜景が見えました。