小沢氏無罪と「Japan レポート3・11」

お昼のテレビ、NHKニュースのトップが「小沢一郎氏無罪判決」でした。
ネットで確認したら讀賣のニュースが:

小沢一郎氏、2審も無罪…故意の虚偽記入認めず



 資金管理団体陸山会」の土地取引を巡る事件で、政治資金規正法違反(虚偽記入)に問われた新党「国民の生活が第一」代表・小沢一郎被告(70)の控訴審で、東京高裁は12日、無罪とした1審・東京地裁判決を支持し、検察官役の指定弁護士の控訴を棄却する判決を言い渡した。



 小川正持しょうじ裁判長は「被告が政治資金収支報告書の記載は適法だと認識していた可能性があるとした1審判決は正当だ」とした。


 検察審査会の議決を受けて強制起訴された事件は6件あるが、控訴審判決は初めて。指定弁護士は2週間以内に上告するかどうか判断するが、明らかな憲法違反や判例違反がない限り、上告しない方針で、無罪が確定する公算が大きい。


 今年4月の1審判決は、石川知裕衆院議員(39)ら元秘書(いずれも1審有罪、控訴)による2004、05年分の収支報告書の虚偽記入を認定。代表も記載内容を事前に了承していたとする一方、「記載が違法だと認識していなかった可能性がある」として、虚偽記入の共謀を否定していた。


 これに対し、小川裁判長は、石川被告らについて、虚偽記入の一部について故意がなかったと指摘。04年分の収支報告書に土地代金の支出は計上すべきだったとしたが、「被告には元秘書らから詳細な報告がなく、土地代金の計上の必要性を認識していなかった可能性があるとした1審判決は不合理とは言えない」と結論づけた。

(2012年11月12日11時58分 読売新聞)

お昼は、銘々盆にご飯とおかずのお皿やお漬物、お湯呑を置いて、久しぶりの晴れのお天気のもと、サンルームで夫と二人の昼食です。
で、私の方から、小沢さんの無罪判決を話題に。夫は仕事部屋から出てきたときに、「ニュースでやってるか?」と。私が、NHKでやっただけで、どこも政局話だけ」。そこで、「戦後史の正体」を読んで小沢さんの見方が変わった?と私。
「前から自立派で中国とバランスを取ろうとしたからアメリカに疎まれたと思ってたよ」と言うので、「そうじゃなくって、小沢さんの裁判のことで、『小沢は黒』『お前の考え方はオカシイ。世の常識から外れている』と私に言ってたじゃない」と私。
「そんなこと言ったっけ? 忘れた」「忘れたのならいいけど、私は覚えている。あれだけマスコミが寄ってたかって黒だと言えば、誰だって黒だと思うのは仕方がないと思っていたけど。マスコミの報道の仕方や検察のあり方に疑問を感じて欲しいと思っていたから、解ってくれればそれでいいんだけど・・・村木裁判でデッチアゲをした地検の特捜の前田元検事は小沢事件でも、その前は福島県知事だった佐藤栄佐久さんのデッチアゲ事件にも関係していたらしい。私は、小沢さんの事件は時期から考えて検察が仕掛けたとしか考えられなかったし…」、「確かに日本の検察は無茶苦茶だな〜、それはホント〜間違っていた」で、我が家は一件落着です。
(トップの写真は、夫が朝の散歩から貰ってきた秋です。桜の葉とナンキンハゼの紅葉とドングリです)
さて、今日はオーストリア人ジャーナリストの本の紹介です。
「みどりの1kWh」さんからです:http://midori1kwh.de/2012/11/11/2635#more-2635

日本はどうなっていくのだろうか? あるオーストリア・ジャーナリストの問いかけ

あきこ / 2012年11月11日


←「Japan レポート 3.11」原本


「Japan レポート3.11」という本がある。裏表紙には、「日本が大好きなオーストリー・ジャーナリストが問う これから日本はどうなっていくのだろうか?」と書かれている。原題は Reportage Japan: Außer Kontrolle und in Bewegung − 訳せば、「日本レポート:制御不可能、しかし動いている」とでもなるのだろうか。オーストリアの女性ジャーナリストが2011年9月から名古屋市立大学に客員教授として日本に滞在した間、津波あるいは原発事故で今までの生活が一変してしまった福島県楢葉町陸前高田南相馬福島市渡利地区などの当事者、学者、霞が関前の運動家、さらには名古屋市立大学の学生たちに行ったインタビューをまとめたものである。


オーストリアは1978年11月5日の国民投票原子力発電反対が過半数を占め、ツヴェンテンドルフに建設された唯一の原子炉は運転開始ができなかった1999年には「核の放棄」が憲法で制定された国の「日本が大好きな」ジャーナリストが、インタビューを通じて3.11後の日本を描き出す興味深い本である




著者のユディット・ブランドナーさんとは1990年代の半ば、彼女がまだオーストリア放送のラジオ部門で働いていたころに知り合った。私の記憶違いがなければ、確か日韓共同歴史教科書の動きについて日本に取材に来られたのが、知り合うきっかけだったと思う。それ以後、何度か来日の際にはお目にかかっていた。ラジオ放送の記者らしく、カメラではなくいつも録音機を片手に取材されていた。そして、今回の本を読んで、取材する彼女の姿が目に浮かんだ。



個人的な話はさておき、「Japan レポート3.11」に登場する人たちは、もし東日本大震災が起こらなければ、ごく普通の生活を送っているはずの市井の人たちがほとんどだ。この本に登場する小出裕章氏も大震災がなければ、これほど脚光を浴びることはなかっただろう。例外は村上春樹氏だが、邦訳版には同氏の希望によりインタビューは掲載されなかったと編集部の注が添えられている。登場順に紹介すると、福島県楢葉町の日常生活を撮り続けてきた写真家市川勝弘さん、霞が関ハンガーストライキを続けるベテラン達(長年、脱原発運動に関わってきた人たち)、小出裕章氏、南相馬市の住民と市長、福島市のシュタイナー幼稚園の園長、福島の女性運動のホープ岩手県山田町で高齢者の訪問診療を続ける医師と子どもたちの心のケアに取り組む住職、埼玉県加須市で避難生活を送る福島県双葉町の人たち、宮城県名取市でトラウマセラピーに当たる精神科医名古屋市立大学の学生たちである。




「『非現実的』ではない『夢想家』」と題した村上春樹氏とのインタビューが掲載されていないのは残念であるが、登場人物はまさに普通の人々である。2011年3月11日の東日本大震災が、三つ巴の大惨事となって、これらの人々の生活を一変させてしまったのだ。家族を失った人、家屋を失った人、避難生活を余儀なくされた人、これらの激変から立ち直ろうと努力する人、苦しみ悩む人々に寄り添う人、日本が進めてきた原子力政策を憂える人、すべての人々の口からはほとんど声高な批判、ましてや弾劾は聞こえてこない。自分たちを苦しみに陥れた震災への恨みを延々と語るより、自分たちの苦しみがこれからの日本を変えるきっかけになってほしいという思いのほうが強く伝わってくる。
著者のまえがきと、日本語版へのあとがきから、いくつかの文章を紹介しておこう。


小さい盆栽庭園の中で、つつじや菊や松を育てるのであれば、自然のコントロールも可能であろう。しかし大自然のコントロールが絶対に不可能であることを、2011年3月11日の東日本大震災如実に物語った。福島第一原子力発電所の連続建屋爆発とメルトダウンが、前代未聞の三つ巴の大惨事を歴史に刻みつけた。



アンケートによると、国民の過半数は、原子力発電に反対している。しかし、脱原発デモも集会も比較的小規模で、マスメディアからも政治の舞台からもほとんど無視されている。・・・(中略)政治はこの切迫した状況にあっても、多くは年老いた男たちによる、彼らの日常的テーマである権力争いに明け暮れている。




私の日本滞在中には、未来に向けての『原子力発電の放棄』は決断されなかった。今から三十年の間に、三十パーセントの確率で起こる東海大震災によって、首都東京そして名古屋などの大都市が直撃の大被害を受ける、という専門家の忠告があるにもかかわらずである。



私は日本の人々が心配だ。原子力は危険であり、コントロールが不可能である。人類はいまだ原子力の安全性を確保していない。津波の心配も大きい日本のような地震国にとって、原子力発電は考慮の余地すらない廃棄すべきものと私は思う。2011年の大晦日、私は名古屋のある寺にお参りした。そこで私は、最も大きな願い事を木の札に書き込んだ。そして五月五日には、日本の原発五十四基がすべて運転を停止した。しかし私の願いは、まだ本当に叶えられていない。大切な日本が何とかして、原子力依存政策から離脱することを、私は願って止まない


3.11から私たちは何を学んだのだろうか。ベルリンにある「虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑」の情報センター入口には、イタリア人の作家プリモ・レーヴィの「それは起こった。だからもう一度起こる可能性がある “Es ist geschehen, und folglich kann es wieder geschehen”」という言葉が記されている。「福島の事故は起こった、だからもう一度起こる」ことがないように感覚を研ぎ澄まさなければならない。「Japan レポート3.11」はその一助になってくれるだろう。

Japanレポート3.11

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