「原子炉は2度壊れたか」(日経新聞より)

堂本光一さん、帝国劇場の「ショック」が平成12年以来毎年公演で1000回を達成だそうです。先日、NHKの夜のニュース番組でも大越キャスターがインタビューの後、「終始一貫、率直でひたむき」「恐れ入りました」。少年のころから?見ているオバサンとしては、ずいぶん立派になって…です。
それにしても、代役なしで、階段落ち1000回?!と聞くだけで過酷な舞台と思います。単独主演で1000回達成は国内4人目とか(森光子「放浪記」2017、松本幸四郎ラ・マンチャの男」1207、山本安英「夕鶴」1037)。そのうち、NHKがテレビでやってくれるかも・・・・
福島第一原発事故現場での停電はネズミの仕業だったようですが、ネズミが入れるようになっているのは人間の所為ですね。東電さんは放射能に関わる重大事故ではなくて「事象」だけど、電気的な異常が起こったという意味で「事故」という言葉を使ったんだという説明(「Happy・・・」さんの「<禁句ポロリ>「電気事故」って言っちゃった」3/20:http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2849.htmlより)だそうです。ネズミ一匹に大山鳴動する日本の原発、本当に大丈夫じゃないです!
日経新聞18日(月)の「核心」という署名(編集委員滝順一)入りの記事のタイトルが「原子炉は2度壊れたか」というものです。副題は「足りない事故の全容解明」となっています。順を追って内容を紹介してみますと。

原子炉は2度壊れたか 足りない事故の全容解明


2年前の3月23日、東京都水道局が葛飾区の金町浄水場で乳児の引用に関する暫定規制値を超える放射性ヨウ素を検出したと発表。都内3区などで乳児の水道水摂取を控えるよう求めた。この通達は翌24日に解除されたが、店頭からミネラルウォーターが消えた。
 21日ころに、東日本大震災の揺れと津波で被害があった東京電力福島第1原子力発電所からのプルーム(放射性物質を含む大気)が関東平野に流れ込み、各地で高い空間放射線量率が観測されていた放射性物質は雨で地表に落ち、河川水に混じった。

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プルームの流れは、たまたま首都圏に達しただけなのか。あるいは福島原発で新たな放射性物質の大放出といった特別なことが起きていたのか。そこに注目した人がいた。
日本原子力研究開発機構の元技術者、田辺文也さんは独自の解析に基づき、20日頃に1,3号機で核燃料の再溶融があったと主張した。説け落ちた燃料が十分に冷やされずに再び溶けた可能性を示した。
・丸山重直・東北大学教授(熱力学)は圧力や水量の推移から3号機格納容器の破断面積が21日に拡大したと試算。「(最初の数日間での損壊に続き)原子炉は2度壊れた」と話す。

△△2人の根拠は、事故から2か月後に東京電力が公表した圧力や温度、注水量などのデータにある。それによると、3月19日から23日にかけて原子炉への注水量が極端に減った。特に3号機は19日の約500キロリットルから21日はわずか24キロリットルになった
△大気中の放射性物質の観測でも異変をうかがわせるデータがある。東京大学大気海洋研究所のグループが、茨木県や千葉県などで当時観測されていた放射性ヨウ素セシウムの比率を改めて調べたところ、21日の比率は原子炉から大きな放出があった15日の比率とほぼ同じとわかった。
 ヨウ素1に対しセシウムが数分の1という割合だ。これは原子炉内のヨウ素セシウム比に近く、炉内のガスが水をくぐらずに放出された可能性を示唆する。水をくぐるとセシウムが除かれ100分の1以下に減るからだ。

東電は注水不足を否定している。事故から半年後、一旦公表した注水量データを訂正した。
 消防車で海水を原子炉に注ぎ込む際の流量測定のやり方を3月18日頃から数日間にわたり変えていたという。消防車から水が出ていく場所の流量計ではなく、原子炉に近い建屋内の計器で測る方が信頼性が高いと考えてそちらに変更した。しかし、流量が少なく表示されるのでおかしいと思い、元にもどしたという。
 消防車側の流量計に寄ればこの時期の注水量はむしろ増えていたそうだ。ただ消防車から送出した水のどれだけが実際に原子炉に届いたかは正確には解らないとの注釈付きの説明だ。

 
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 福島事故に関し政府や国会、民間有識者による調査委員会があった。しかしどの調査報告も20日以降の出来事には触れていない。事故分析はほぼ最初の1週間にとどまる。
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△ 事故の全貌の理解には様々な仮説を丹念に検証していく必要がある。
20日過ぎの大放出がもし確かなことなら住民の内部被曝を推し量るうえで重要な意味を持つ。
 初期の被曝状況を後から知るのは容易ではない大量に出た放射性ヨウ素は8日に半減する割合でどんどん消えていくからだ。早い段階で実施され被曝検査などの実測データはそれほど多くない。そこで、いつどこにどれくらいの放射性物質が流れたかの把握が大事な手掛かりになる。


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 それには分野を超えた知恵の結集が要る。原発の内部で何が起きていたか。放出された放射性物質はどこに行ったか。その放射性物質は人間や自然の生態系にどんな影響を与えるのか。原子炉工学から環境放射能計測、医学、生態学まで科学者がもっと緊密に協力し抜け落ちたパズルのピースを集めなければならない。
▲実際に新しいデータも見つかった。福島県は昨年9月、1号機の水素爆発より早い時刻(12日午後3時)に双葉町内で毎時1590マイクロシーベルトという高い放射線を観測していたと発表した。事故直後は通信途絶状態だったモニタリングポストのデータを回収し分析したのだ。
△爆発直前のベント(排気)の影響か。あるいはすでに格納容器がどこかで壊れていたのか。いずれにしても初期被曝の見積もりが変わる可能性が大きい。
△「まだ福島事故は終わっていない」と国会の福島原発事故調査委員長を務めた黒川清・東大名誉教授は話す。その通りだ。                                     

黒川清氏の名前が出てきましたので、ついでに手元の「人間発見」というコラムから「『出る杭』が日本を変える」というタイトルで黒川清氏の日経切り抜き(1回目のみで日付不明)です。3月に入ってからだったかそのあたりの記事から一部引用してみます:

   東日本大震災が発生した2011年の12月8日、憲政史上初めて国会の下に独立の調査機関「東京電力福島原子力発電所事故調査委員会)が発足した。委員長に就任した政策研究大学院大学アカデミックフェローの黒川清さん[76]は、衆参両院議長に報告書を提出する翌年7月5日までを「怒涛の7か月」と呼ぶ。

(略)

   報告書は、ほぼ50年にわたる一党支配と、新卒一括採用、年功序列、終身雇用といった官と財の組織構造と、それを当然と考える日本人の思い込み(マインドセット)を事故の根本原因と指摘した。


 新卒一括採用も年功序列も終身雇用も日本だけの常識です。世界では通用しません。入社や入省年次で上り詰める「単線路線のエリート」たちは、1960〜80年の経済成長で「自信」が「おごり、慢心」に変わり、前例踏襲、組織の利益優先、失敗を避ける。何が悪いかって? 責任ある人がすべき決断をせず、問題を先送りし、無責任になることですね。今の日本の最大の病だと思います。


   報告書はその後、国会で充分議論されたとは言い難い。


 国会事故調は委員会も報告書も日本語・英語でウェブ公開、つまりプロセスと結果を広く公開していました。調査の内容と提言が国民と世界から評価され、理解が深まり、三権分立立法府の機能強化を通して健全な民主制度が一歩でも進む事を願っています。
    
(聞き手は編集委員、山田康昭)