4月6日(土)夜11時に放送されたETV特集「”原発のリスク”を問い直す〜米・原子力規制元トップ 福島への旅〜」を見ました。
不思議だったのは、元委員長のグレゴリー・ヤツコ(Gregory B Jaczko)氏が福島を訪れたのは去年の8月のことです。なぜその時の訪問を今ごろ?というのが少し不思議です。でも、番組の公開が遅くても没にならなかったことに感謝です。あるいはヤツコ氏は大物ですので、4月の番組編成で時間が繰り下がったのを知らせるための”とっておき”だったのかもしれません。
ヤツコ氏の原子力関係の仕事をしていた人としての責任感と事故で避難している福島の人々に接する姿勢は、日本人の責任ある立場の人にこそ必要だと思われるものです。
それでは、いつものように始めてみます。ナレーションがNHKのETV特集スタッフの福島原発事故の捉え方を表しています。そのナレーションと映像とヤツコ氏の言葉と避難されている福島の人たちとの会話で構成されている番組のスタートです。
アメリカ原子力規制委員会(NRC)元委員長のグレゴリーヤツコ氏にとって、一度に三つの原子炉がメルトダウンした原子力発電所の事故は予想も出来ない事だった。2011年3月、ヤツコさんはNRCの緊急対策本部で情報収集や日本の協力で陣頭指揮を執っていた。重大な原発事故は何をもたらすのか、ヤツコ氏は自分の目で確かめたいと考えた。特に注目したのは未だに15万人以上の住民が避難を続けているという事実。「今までとは違う原発の安全規制が必要だと強く考えるようになった。大規模避難の危険が無いと保証できる場合のみ原発の活動を許可すべきです」。一度事故が起きれば必ず多くの人々の故郷を奪ってしまう。ヤツコさんは原発の安全、そのリスクを問い直そうと福島を訪ねました。
2013年4月6日(土) 夜11時/【再放送】2013年4月13日(土)午前0時45分※金曜日深夜
“原発のリスク”を問い直す
〜米・原子力規制元トップ 福島への旅〜
事故から2年、東京電力福島第一原子力発電所はいまだに100マイクロシーベルトに近い高い放射線量が検出されている。原子炉内部の様子ははっきりせず、メルトダウンした核燃料を取り出すには大きな困難が待ち受けている。先月には使用済み核燃料プールの冷却が出来なくなるトラブルがあった。政府は「収束と言える状況にない」としています。周辺の住民たちは放射能による汚染のため故郷に戻れず避難生活は長期化している。事故から2年になった今も16万を超える人々が自宅に戻れずにいる。福島を訪れたヤツコさんが是非会いたいと思ったのはそんな長期にわたる避難を強いられた人々です。ヤツコ氏「実際に原発事故を経験した浪江の人たちと直接話したいと思っています。原発事故を考えるとき、周辺の住民がどのような影響を被るのかを忘れがちだからです。長期の避難生活が人々にどんな影響を与えるのかを学びたいのです。とても重要な問題だと思うからです。」
NRCの委員長は大統領によって指名され原発の安全を監督する大きな権限を持っている。ヤツコさんは福島の原発事故に強い衝撃を受け、事故を検証する特別チームを発足させる。原発の安全を問い直そうと考えた。まず手をつけたのは原発そのものの安全強化。事故から4か月後には報告書をまとめます(→) たとえ電源を失っても72時間は原子炉を冷却出来るようにするなど新たな安全対策を法的に強制力を持って電力会社に求めることとした。しかし、ヤツコ委員長はNRCで孤立していきます。
それが表面化したのが34年ぶりとなる新たな原発建設(←)を進めるかどうかを巡る対立でした。NRC本部2012年2月(→)決定権を持つ5人の委員と意見がぶつかった。ヤツコさんはただ一人反対しました。「福島の教訓から学ぼうと安全対策の強化が提言されています。やるべきことがたくさんあるのです。福島のような事故が二度と起きないことが保障されない限り賛成できません。」
福島の事故を受けた安全対策の強化が未だ実行されていない中で建設を未だ急ぐ必要がないというヤツコ委員長の考えはほかの委員には受入れられませんでした。ヤツコ委員長はこのあとNRCの委員長を辞任します。去年の7月のことでした。これまでの原発の安全に関する考え方には何かが決定的に欠けていたのではないか。委員長を辞めた一か月後、ヤツコさんは福島を訪れました。
当時浪江町は警戒区域・計画的避難区域に指定されていた。警戒区域は福島第一原発から20kmの圏内で、人の立入が厳しく制限。計画的避難区域は、住み続けると年間被ばく線量が20ミリシーベルトに達する恐れがあると事故から一か月経って政府が避難を求めた区域でした。
町を案内してくれたのは浪江町健康保険課の紺野則夫課長。
「ここは役場や商店が立ち並ぶ中心部。町の住民は2万1000人。全員が故郷を離れました」。
去年8月、訪れた時の放射線量は、一般の人が歩いても差支えがないとされる基準のおよそ4倍の毎時0.8マイクロシーベルト。
紺野「蕎麦屋さんの中を見てください。皆、ご飯を食べたまま、そのまんま、避難しています」 ヤツコ「津波はここまで来なかったのですね」。二人は無人の街を歩き続けます。
ヤツコ「原発については様々な意見があります。”放射能のせいで死んだ人はいないし、致死量の被曝をした人もいない”、”大袈裟だ”という人がいます。ここを歩いているともはや存在しない暮らしの跡が痛々しく迫ってきます。」
←2年前の2011年3月、浪江町では地震と津波で183人の方が亡くなりました。さらに隣町にある福島第一原発がメルトダウン事故を起こし大量の放射性物質に汚染されてしまいました。遺体や行方不明者の捜索もままならない中、住民は避難を余儀なくされました。その後も立入が制限されていたので復興が全く進んでいません。
→案内する紺野さんの自宅、表札が残ってムクゲの白い花だけが今まで通り咲いている。「いつになったら帰られるんだか・・・。素晴らしい場所だったんですよ、環境的には。だけど原発がなければね。復興なんて早いですよ、今頃復興してますよ。原発がなければね。」
←「あの鉄塔がぜんぶ原発ですよ。ここは海水浴場だったですよ。」
ヤツコ「多くの人がここに来て何が起きたのかを自分の目で見るべきです。重大な事故を招いてしまったことに私たち原発関係者は弁解の余地はありません。事故から学び、この地球上で二度と同じ過ちを繰り返してなりません。」
これまでヤツコさんを含む世界の原発関係者は原発のリスクを考えるとき死亡率を基準にしてきました。マサチューセッツ工科大学のノーマン・ラスムッセン教授が1975年に発表した研究がもとになっています。それによると、原発事故が起きて放射能に被爆し短期間に人が死亡する確率を研究、その確率を「自動車・転落・家事・水難・銃火器」などの一般的な事故と比較して見ると極めて低いものだった。試算では50億分の1。例えば隕石が落ちて人が死ぬ確率よりも低い安全なものだというものだった。
ラスムッセン教授は言う「技術者は自分が想定する範囲でしか事故の可能性を捉えられません。もしかしたら想定外の欠陥や事故があるかもしれません。しかし、そんな”想定外”が起きる可能性は著しく低いというのも真実です。100年近く私は似たようなシステムを使ってきました。ポンプ、パイプ、発電用タービン、そうした機器が同時に壊れることなどほとんどないのです。」
しかし、想定外の事故は起きました。1979年、アメリカのスリーマイル島原発事故。機器の故障に人為的ミスが重なり核燃料のメルトダウンが起きた。放射能の恐怖で周辺住民はパニックに陥り15万人が避難する騒ぎになった。しかし、漏れた放射性物質の量が少なく、住民はすぐに自宅に戻ることに。事故が住民に与える影響を原発関係者は深刻に考えることは無かった。衝撃的なメルトダウン事故でしたが、直接被爆による死者は出なかった。原発のリスクを死亡率という基準で考えるということは事故後も変わらなかった。
NRCが定める原発の安全目標では、重大な事故が起きて放射能が漏れ死亡者が出る確率を「死亡率0.1%を超えてはならない」と決めています。一方で、今回の福島の事故が生んだ土地の放射能汚染や住民の長期にわたる大規模な避難などは考え入れてこなかった。ヤツコさんも原発の専門家として福島以前は同じ考えだった。しかし、福島の事故はスリーマイル島の事故とは違った。15万人以上の人が長期にわたる避難を強いられている現実。もっとこのことに目を向けるべきだとヤツコさんは気付いたのです。
昨年3月のNRC総会。ヤツコ委員長の発言、「日本では大勢の人々が住む土地を追われ人生と未来を奪われたままです。これは想像を絶する苦難であり二度と繰り返してはなりません。私たちは最も基本的な問題を自らに問い直さなければならない。健康被害がほとんど出ていないからと言って放射能の大量放出を容認できるのか? 現行の安全目標をもとに判断すれば答えが”イエス”となります。しかし、福島の事故後の業界や政府、市民の不安をもとに判断すれば本当の答えは”ノー”であることは明らかです。」
しかし、ヤツコさんの問題提起は世界の原発関係者の間で大きな反響を呼ぶことは無かった。 (つづく)
◎日本の原発安全神話を補強してきたのがラスムッセン教授の「隕石が落ちる確率より」という確率論だと言われています。それもスリーマイル島の事故でアメリカでは打ち破られたと思っていましたが、「死亡率0.1%以下」という安全目標として生き残っていたとは・・・。スリーマイル島の事故も日本ではあんな初歩的なミスは起こらないという慢心と驕りを生む方向に働いて、事故を防ぐ教訓とはならなかったと国会事故調の元委員さんの言葉です。