NPTと猪瀬都知事と太陽の塔

今日から五月。4月は風邪気味やら花粉症やらで結局水中歩行は全休、一度も行けずでした。5月は少し頑張ろう〜と思っています。近くのYさん宅の生け垣には白い花が咲いています。
写真は上から、ナニワノイバラ、ウツギ、そして秋には黒い実が成る(のでブラックベリーの花かな)白ヤマブキの花です。
ついでに我が家のスパティフィラムの白い花も→
少し前のニュースになりますが、あまり大きくは取り上げられなかった[核廃絶を拒否する日本!]という内容。
引用元は、インターネット政党 「ネット des 新党 (NetdesNewParty)」 のブログからです。「ネット新党」?の説明を貼り付けると:<「ネット des 新党」はインターネット政党です。天木直人氏を共同代表に迎え、まったく新しい政治をつくります。> そこの記事から一部です。
詳しくはコチラで:(http://blog.goo.ne.jp/fuwa_toshiharu/e/99871eca1c82c50e0955fe3090c7506e

核廃絶を拒否する日本!


世界唯一の被爆国にして未曾有の原発事故を経験した日本。このような国は世界に二つとして存在しない。しかも、東日本大震災における被害は未だに継続しており、事故原発はそれに対して "収束宣言" した首相も存在したが、実際問題まるで収束することなく現在進行形の、国家を揺るがす大問題で在り続けている。
 
 日本は国家を上げて「事故原発の収束」「被災地の復興」「避難民の救済」にエネルギーの全てを注ぎこみ、同時に核の非人道性を世界に発信する「義務」を負う。
 そのような中で腰を抜かさんばかりのニュースが飛び込んできた。
 
 驚いたことに、日本はジュネーブで開かれていた核拡散防止条約(NPT)再検討会議準備委員会において、「核の非人道性」を謳った共同声明に賛成しなかったというのだ。

 原発事故に際し、日本の政治家やメディアには、考え方において決定的に抜け落ちている部分がある。それは「原発事故によって世界中に大迷惑をかけている」という意識だ。
 これが島国メンタリティの負の部分なのだろうか。周辺のアジア諸国は言うまでもなく、日本から流れ出た瓦礫は太平洋を漂流し、アメリカ西海岸に漂着していることは既に確認されている。同様に福島第一原発から漏れ出た放射線は海洋を、そして大気中をめぐりいづれ世界中に拡散してゆくことだろう。原発事故については極めて厳しい目が日本に集中しているのにも関わらず、日本全体を覆っているのは悲壮なまでの「被害者意識」である。もちろん、日本は被害者であるのは間違いないのだが、同時に海外に対する配慮がまるで感じられない。だから能天気に「ガンバレ、ニッポン」などとメディアは垂れ流していたのだ。己を鼓舞したのなら、当然世界に対しては謝罪の言葉が出るのが道理である。私が核の非人道性を発信することが義務だとするのは、そのような意味においてである。
 
 ところが、日本は核廃絶をまるで拒否するような態度に出るのである。こんな状況で「グローバル化」など語れる資格があるのか甚だ疑問である。

◎猪瀬東京都知事が、ついつい本音を語ってしまって・・・という今回のトルコ・イスラム悪口問題。五輪招致にオウンゴール。あの石原慎太郎氏の下で一緒に仕事をしていた人だし、都庁でやっているいつもの雑談をアメリカでもついついやってしまっただけのことなんでしょう。でも、それがいかに尊大で傲慢で非常識なことか、ニューヨークタイムズが取り上げなければ分らなかったという所が悲劇です。日本のマスコミはおだてるだけですから、叩かれずで今までやってきたことのツケがまわって馬脚が現れただけのこと。いずれこんなこともあるだろうと思っていた人たちも多いのでは。
安倍さんたちの天皇陛下万歳だって同じです。日本では誰も本当のことを言ってくれない。言われたとしても、「左翼」だ「反日」だ…で片づけてきたから、世界の常識がわからない。いまさら第2次世界大戦を侵略戦争ではなかったとか、国によって受け止め方が違うなんて言い分が世界に通用すると考えている政治家が世界にいるでしょうか。
日本のグローバル化が遅れているのは政治の世界ですね。そういう政治家を選んで平気な国民だということで、結局は私たちに戻ってきます。
太陽の塔」の内部
    「生命の樹」来年から公開!

(←読売4/30日夕刊) 私は上の息子がお腹にいたので70年万博は里帰りだけで未体験。その後、エキスポランドという遊園地が出来て子どもたちを連れて行ったり、日本庭園を訪れたり、民族学博物館や数年前まであった国立現代美術館へ東山魁夷唐招提寺の襖絵が収められる前の展示を見に行ったりしました。
太陽の塔は万博のシンボル。去年父が入院した循環器病センターの病室からも太陽の塔が見えました。
その内部、単細胞生物から人類に至る生命の今昔が模型であらわされているという「生命の樹」を来年には見ることが出来るそうです。岡本太郎の「べらぼうなもの」の内側、これは今から楽しみです。