京都大学文学部第3講義室へ

6月の終わりごろ、「社団法人 全国学士会」という封筒が私宛に。何だろうと思ったら、公開シンポジウム「東日本大震災後の復興の今を語る」の案内です。
案内状を読んで納得です。「森は海の恋人」の緊急支援の呼びかけに応えて少しばかりの募金を寄せたので、その関係で案内が届いたというわけです。
会の内容の紹介兼ねて「ご案内」から:

 本シンポジュウムは、大震災後2年数か月が経過しても今なお復興は遅々として進まず、そればかりか、未だに仮設住宅で先の見えない日々を送らざるを得ない多くの皆さん方の心労はいっそう深刻化している現実に心を痛めております。一方、大震災の多くの教訓を噛みしめながら歩まなければならないとの国民の思いとは裏腹に、国は早くも原子力発電技術のトップセールスに奔走し、これから極めて広域的に広がった放射性物資が中長期的に子どもたちの心身に深刻な影響を及ぼすことが危惧されることを忘れ去ろうとするかのような現実の進行に愕然としております。また、宮城県に典型的にみられるように自治体では、三陸リアスの海に生きる地域住民の意思や希望に関係なく、「10mでだめなら15m」と言わんばかりに巨大なコンクリートの防潮堤をほとんどすべての浜に張り巡らせる計画が進められていますこのような構造物が東北太平洋沿岸400kmにわたってはりめぐらされれば、豊穣の海三陸の未来に深刻な影響がでることは明らかだと思われます。


 東北から遠く離れた京都において、震災後の時間の経過とともに大震災を国民全体が自らの問題として取れる意識が次第に風化しつつある中、今一度この日本の行く末を大きく左右する国民的課題の本質を見つめ直し、今何をすべきかを考える機会としてシンポジュウムが企画されました。本シンポジュウムの最大の特色は、この2年数か月間さまざまな現場で被災の現実に向き合い、困難な明日の扉を拓く原動力に変えるべく取り組まれてこられた多彩なパネリストの皆さんより思いのあふれた話題を提供していただけることにあると考えております。ぜひご参加いただければと願っております。
 どうぞ、ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。


平成25年6月18日  田中 克
          (京都大学名誉教授、森は海の恋人緊急支援の会代表)

案内の太文字青色文字の個所に惹かれて参加してみたいなと思いました。さて、誰かを誘えないか…と考えて、奈良のWさんを思い浮かべました。私と同じような身分で、仕事はなく、趣味の会に出かけて、あとは奈良の地元の九条の会に入っているとか…両親は、既に見送って今は妹さんとの二人暮らし、そういえば、学生時代も二人でよく公会堂や会館でのこういう集まりにでかけたっけ・・・と電話してみました。OKということで、昨日を予定していました。
前日、待ち合わせの確認で電話すると妹さんも参加とのこと。電話で追加申込。昨日JR京都駅へ11時に。バスで京大正門前。すぐ、ランチ(570円)を頂きコーヒー(158円)も飲んで、いざ、文学部第3講義室へ。これがなかなか辿りつけず、一人でなくてよかった。
基調講演が1時間、その後話題提供者のパネル討論。時間が足りないほど、皆さんの思いが一杯でした。
パネリストと田中先生がズラリと並んで総合討論。6時過ぎ、場所をランチを頂いたカンフォーラに移して親睦会(1000円・バイキング風会食)。ここで直接パネリストの方たちとお話ができました。私たちのテーブルにはたまたま田中先生の奥さまがいらっしゃって、いろいろお話ができました。Wさん姉妹は大変積極的で、ほとんどすべてのパネラーと直接お話しされていました。シンポの最後に、客席の最前列におられた白寿(99歳)を迎えたという方がごあいさつされました。今年論文を書かれたという学士会の大先輩の方だそうです。二人がこの方ともお話されていたので傍で聞いていました。「95歳でわからなかったことが99歳で分かったということを論文に書いた」というようなお話でした。
福島から2歳の娘さんと自主避難した西山裕子さん。今はご両親も京都に来られて、単身赴任のご主人と離れ離れの生活。シンポの中でも発言されていましたが、放射能の話は福島の者同士ではできない。それぞれ考え方も違うし、脱原発・反原発を言ってたくさんの友達を失ったとも。
「東電や国に対して今は怒りを感じない。大切なものが違うんだと思う。私はあの時(事故直後)一番大切なのは娘の命だったけど、東電の人はそうではなかった、会社だったり会社の利益だったり、国は、国民の命よりもパニックを避けることだったり・・・だったんだ、と考えるようになった。」というお話がとても痛いお話でした。それは、感情では解決できない、感情を抑えて相手を理解しようということなのか、いちいち腹を立てていたのでは身が持たないという自衛のためなのか・・・・その両方なのか・・・。
パネル討論話題:

「東電福島原発事故後に現れた生と死の交差点で」
 ジャパンレポート<3・11後の持続可能な未来への道>プロジェクト 黒坂 三和子
「測定を通して知る放射能汚染の実態」
 京都大学大学院工学研究科原子核工学専攻 教務職員 河野 益近
▽「南相馬から日本の近未来をみる低線量被ばく、急速進行性の高齢化社会の先にあるものー」
 南相馬市立総合病院在宅診療科 医師 原澤 慶太郎
▽「福島から京都に避難して―広域避難者の現状とこれからー」
 避難者と支援者を結ぶ京都ネットワーク みんなの手代表 西山 祐子
「震災後の自然環境を生かした復興について」
 NPO法人森は海の恋人 副理事長 畠山 信
「行政が進める復興事業と住民が思い描く復興の街」
 関西学院大学総合政策学部教授・気仙沼市震災復興会議委員 長峯 純一

◎パネル討論の内容についてはまた改めて。
学生自治会掲示板を撮ってきました。緑の党は立候補者ではなく支持者の顔写真が載っているポスターでした。

「あなたが自民党に入れた票は赤紙となって返ってきます」。山本太郎氏は続けた。

相棒の三宅洋平候補は戦争放棄を謳った「憲法第9条」を朗読した。「イージス艦一隻分のカネで平和システム作るぜ。ワールド・ピース・ガバメント作るぜ」。三宅氏が声を張り上げると、割れるような拍手が鳴り響いた。(昨夜20日・ハチ公前「選挙フェス」にて)
引用元:http://blog.livedoor.jp/ryoma307/archives/7230886.html