復興は「後戻り」ではなく発想の転換・新しい「境界の物語」

先日の京都大学でのシンポジュウムでも、3・11によって、海岸線の人工構造物が破壊され、代わりにかつての干潟や湿地が再生したというお話を聞きました。
そこで、元に戻す「復興」とは、3・11以前の人工海岸をもう一度作り直す「元通り」なのか、それよりもっと以前の自然な状態にまで戻す(手を加えないで良いところは自然に任せる)ということなのか、という新たな問題が生まれています。
「東北学」を提唱する民俗学者で、現在福島県立博物館長の赤坂憲雄氏>(60歳)は、日経の27日(土)朝刊の「福島経済特集(34頁)」で、「潟」の復活を提唱しています。
(この頁は他に3つ:▽「福島の海・取り戻せ/海開き、親子連れら盛況」、▽「津波対策が課題/「防災緑地」で多重防御・港湾が復旧、貿易回復」、▽「作業進む中間貯蔵施設/必要面積は3〜5平方キロ/大熊・楢葉町で掘削調査」。赤坂氏の提唱はこれらの中の一つでした)

人工海岸線なくし海と共生
美しい潟復活、観光再生 
赤坂 憲雄(東大文卒。東北芸術工科大教授を経て2011年から学習院大教授・福島県立博物館長)


震災後、何度も沿岸部の被災地を巡った
 海岸線を歩いていて何度も泥の海にぶつかりました。陸と海の境界が曖昧になっていて、至る所で排水施設が壊れていた。車で走っていると、道路高海だか沼田か池だかわからない水の中に消えていく。かつて潟だったところを明治以降、埋め立てて水田にした。そこがまた潟に戻っていることに大きな衝撃を受けました。
 震災前はコンクリートの人工施設で守られた海岸線を自明のものだと思っていたけれど、実はつか間の境界だったのかもしれない今回の震災が我々に見せているのは「境界の物語」です。海岸線が壊れて、昔の潟に戻ってしまった。その泥の海は僕にとって今回の震災を考える起点、原風景になりました。


■海辺の復興は30〜50年先を見据えるべきだと訴える
 日本の人口は将来8000万人台に減り、その4割が高齢者になるという推計があります。まずこのことを視野に繰り入れる必要がある。水田だったところを膨大な予算を投じて塩抜きして基盤整備して除染をして元に戻す。そして「さあ耕して」といっても、農家は70〜80代になっていて耕す人はいませんよ。
 さらに人口減は否応なく経済力の低下をもたらします。数百㌔にわたる長大な防潮堤を造ってメンテナンスしながら50年、100年と維持していく力が果たして日本にありますか。将来の人口減少を考えると、今ある海岸線を守っていこうという発想にもはやリアリティーはありません。


■被災地の海はそのまま潟に戻してやる。そんな確信を強めている。
 潟は生物多様性の宝庫で、実に多彩な暮らしやなりわいが周辺で営まれてきた。潟をもう一度回復することは人口8000万人台の日本列島に向かって海辺の風景を再構築することだと僕は思う。美しい潟が復活すれば観光資源になるでしょう。 農業を営んでいた人の暮らしをどうするかについては、再生可能エネルギー特区のような形が出来ないかと考えます。デンマークなどではエネルギーを作ることも農民の仕事になっています。農地はエネルギー生産の場でもあるという考えが当たり前になっている。農民が風車や太陽光パネルを立てて、電気を作って売る。それは決して荒唐無稽ではありません。
 被災地の海辺で「入会地」を復権させたい。私的な所有権で土地や環境を分割するのではなく、地域の人々で共同利用する。再生可能エネルギーも地域住民が「株」のようなものを持って、売電収入から配当を得るような地域の姿を描けると思います。
壊れた海岸線をコンクリートで固め直そうという発想は、将来への構想力の欠如に他なりません。(聞き手は編集委員・森晋也)

◎◎同じ問題提起を先日のシンポジュウムで頂いた「全日本学士会」の会誌「ACADEMIA」139号から。
田中克(まさる)氏は、1943年滋賀県大津市生まれ。京都大学大学院修了の農学博士。NPO法人森は海の恋人理事。
10頁にわたる長い記事の中から「はじめに」の次の項目から引用です(移します):

津波の海と共に生きる
―森里海(もり・さと・うみ)関学は時代を拓くか
      
田中 克(京都大学名誉教授)


東日本大震災に学ぶ


 あの巨大な地震津波は私たちに、自然への畏敬の念を取り戻すことの大切さ、近代的技術への過信と幻想(技術で自然を制御できるとの錯覚)を放棄する必要性、そして、いまこそ大量生産・太陽消費の物質文明に決別する節目にあることを鮮烈に示した。あの巨大な自然の力の前に、人間の祖先とも言える魚と同じように、私たちは為すすべなく翻弄された現実、自然の前に人間の命も他の動植物の命も等価であることを謙虚に受け留める必要があろう。
 岩手県田老町の沿岸部には巨大な津波を防いでくれるに違いないと信じられていた全長2.4km、高さ10mに及ぶ巨大な防潮堤が設置され、人々は津波の脅威を忘れ去り、甚大な被害をもたらした現実を肝に銘ずるべきであろう。巨大な津波が直撃した三陸地方の沿岸域では、極めて複雑に入り組んだ地形的特性のもとに生まれた暮らし、文化や伝統の多様性、さらには気候風土の多様性に応じて真正の影響やそれからの回復にも地域性が鮮明に表れている。地震津波は改めて暮らしと社会の多様性こそより持続的循環的な世界を再構築する基本であることを如実に示した。


<中略>


 東日本大震災は人々の暮らし、生業、インフラ、コミュニティーなど人と社会の生存基盤を一挙に崩壊させた。同時にこれまで分離的に管理されてきた陸域と海域の暮らしの基盤を根こそぎ崩壊させた。このような極めて総合的・複合的な課題の解決には、それまでのような個別専門細分化された行政の仕組みや科学並びに技術の在りようには大きな限界があると思われた。
 大震災を経験して、人は”絆”の大切さを改めて認識した。森里海連関学の目指すところは、自然と自然、自然と人、人と人のつながりの再生であり、とりわけ人と人のつながりの価値観を再構築することの重要性を基盤においている。大震災の先に描くべき青写真は、行政が基本とする単に元に戻すことではなく、巨大地震津波が私たちに示した「このままでいいのか? 全てのつけを次世代に回すことでよいのか?」との”最後通牒”に応えるような新たな社会と精神を構築することに違いない。歴史の教訓を世界に発信し、続く世代に伝承する森里海関連学の真価が問われている。

◎田中先生のは論文ですので言葉は固いですが,、シンポジュウムで畠山信氏も報告されたように、3・11の被害からの復興は、後戻りではない、人と人のつながりを基礎に新しい発想で再び立ち上がるラストチャンスだと仰っているのだと思います。土建業界だけが儲かる復興財源狙いの巨大堤防建設を有無を言わさず推し進める宮城県知事さんには、是非、これらの専門家の意見を聞いて、住民の皆さんともよく話し合って、考え直していただきたいです。

(写真はどれも水中歩行のプールへの途中。夏のバラ。青田と箕面山。夏の花、黄色いカンナと赤いカンナ)