「森里海(もり・さと・うみ)連関学は時代を拓くか」

参議院選挙の結果が出ました。関西・徳島では、民主党が全滅。自公維新共産となりました。これで民主党にかけた政権交代の期待はみごと雲散霧消、夢・幻。きれいさっぱり消えてしまいました。後を振り返らず3年後を見て前進のみです。
沖縄の糸数慶子氏(アウンサンスーチーさんみたい)と東京の山本太郎氏の当選は嬉しいですね。山本氏の経歴を見ると箕面自由学園中退となっていますので、桜井にある自由学園に通っていたことがあるんだと思うと一寸不思議です。「特別な1日さん」は、投票日の前日に渋谷の「選挙フェス」へ参加、緊急ルポを届けてくださいました。その時のもうお一人三宅洋平氏は、17万6,970票で最多得票落選者でした。これもスバラシイです。
投票率は52.61%で過去3番目の低さだとか。投票前のニュース番組で海外の記者が、投票前に日本の新聞が自民党が大差で勝つだろうなんて予想を書くことが信じられないと。選挙が始まる前から予想を出していましたから、日本の新聞はオカシイのでしょう。そのオカシイ新聞を読んで信じ込んでいる人たちもケッコウ多く、また、行っても仕方がないと思ったという人も実際に多かったようです。そして、リードした方向に結果が出たというわけです。しかし、一方では、山本太郎さんや三宅洋平さんたちを大勢が支持する社会にもなってきている。より良き社会の方向を一生懸命考えて小さい声でも挙げつづけていくしかないし、少しづつ話ていける輪を広げて行ければもっといいですし、こんな時代の変わり目に生き合せた幸運?を感謝しています。

さて20日京都大学で全国日本学士会主催のシンポジュウム「東日本震災後の復興の今を語る」で配布された「原発問題の要点」という資料がなかなかの内容です。全部で6項目ありますが2項目目を移してみますと:

福島原発事故は、人類史上最大の事故である

1.福島第一原発に3月11日事故時存在した総放射線量=720,000,000テラベクレル 原子力安全保安院・2011.11.03発表資料)


2.チェルノブイリ原発事故によって放出された総放射線量=5,200,000テラベクレル
3.故に、福島第一原発事故最大でチェルノブイリ原発事故の138.46倍となる。
(720,000,000テラベクレル中どれ位が放出されているかは、福島第一原発事故の1〜3号機の炉の蓋でも開けない限り誰も解らない事である。この倍数は、総放射線量が100%放出された場合)


4.広島原爆によるセシウム137の放出量は約89テラベクレルである。そして、チェルノブイリセシウム137の放出は約85,000テラベクレルである。ノルウェー大気研究所は、第一原発事故により放出されたセシウム137は、チェルノブイリ原発事故の約42%相当の35,800テラベクレルと発表)


5.故に、広島原爆:チェルノブイリ原発事故:福島第一原発事故は=(ほぼ)1:1,000:130,000となる。
 チェルノブイリ原発事故:福島第一原発事故=(ほぼ)1:130となる。セシウム137換算で130倍、総放射線量換算で138.46倍)


6.関西から直線距離で100km以内に高浜、大飯、美浜、敦賀原発がある(敦賀、美浜は岐阜(揖斐川町)から30km圏内)。ここにある原発が持っている総放射線量は、福島第一原発の約3.3倍である。(60%稼働として福島第一原発(1〜4号機のみ)は、累計で58.74炉年。敦賀(25.01)、美浜(36.41)、大飯(69.21)、高浜(61.29)の合計191.92炉年として約3.3倍(191.92÷58.74)


つまり、チェルノブイリの約430倍である。これが東海・東南海・南海地震の連動という地震の危険性の上に建っていることを認識しなくてはならない。(約100~150年のサイクルと考えられているが、最後の大きな地震は1944年の昭和南海・東南海地震である。また、福井地震(M7)は、1948年に起きたが、昭和地震との連動と考えられている。福井県でこのような地震が起きれば、岐阜は、人が住めなくなることは2012年9月と11月の岐阜県の放射性物資拡散シミュレーションの結果によって明らかにされている。)


また、日本における原発事故率は6年に一度の大事故発生と算出されている。福島第一原発の発生によって、従来10万炉年に一回と言われていた原発事故は、約300炉年に一回になった。これに従うと、もし日本で54基の原発全てを再開すると、6年に一回大事故が発生することになる:(日本の実績:(54基 X 40年 X 50%稼働)÷4基(福島第一原発)=(ほぼ)300炉/年。300炉年÷54基(炉)/年=(ほぼ)6年)。

3項目目は「福島第一原発事故による健康被害は、すでに想像を絶する」という所で数字があげられていますが、4つ目の問題点を取り上げてみると:

(1)福島県甲状腺検査は、一人一回数十秒から数分という短時間で実施された。本来は一人一回15分程度が必要である。したがって、福島県の調査は”完全に間違っている”と、ふくしま共同診療所所長の松江寛人医師(放射線科)は断言(2013.3.9東京新聞)。
(2)福島県では子供の70%の血液検査を実施しているにもかかわらず、未だに公表(松崎道幸深川市立病院院長の裁判を通じての要請)していない正確な内部被曝の調査には、尿検査や歯(乳歯など)をすべきである。しかし、これには県も政府も非協力的で、海外に検査を出さなくてはならないのが現状である(2013年6月 Vol.10 No.6 DaysJapan/西尾正道医師)。

(↑黒坂三和子氏:ジャパンレポート<3.11後の持続可能な未来への道>プロジェクトより)
なかなか本題に進めないのでこの辺でカット。
このシンポジウムの世話役を務められた田中克(まさる)氏の基調講演にもあったのですが、入口で頂いた「全国日本学士会」の会誌「ACADEMIA」の139.140号に寄稿されている「森里海連関特集 パラダイムシフトとしての森里海連関ーその思想(あるいは理念)と実践」が重なりますので、少しここから。

津波の海と共に生きる―森里海連関学は時代を拓くか
 


はじめに


 我が国は国土の67%を森でおおわれる森林大国であり、同時に四面は亜寒帯から亜熱帯に至る多様性豊かな海で囲まれる海洋大国でもある。このような世界的に見ても類いまれな自然大国である日本ならではの新たな統合学問分野として「森里海関連学」が京都大学に誕生したのは2003年である。
 この10年間に森から海までの多様なつながりの仕組みとそれに関わる人々の営みの解明を目標に、縦割りから横断的に教育研究を組み替える取り組みが試みられてきた。そのような中、2011年3月11日に東北太平洋沿岸域を巨大な地震津波が直撃し、未曽有の被害をもたらした。
 森から海までの自然系/文系現場教育「森は海の恋人の故郷に学ぶ」(京都大学全学共通教育)のメインフィールドであった宮城県気仙沼市舞根湾も壊滅的な被害を受けた。それは、東北の森に広域的に広まった放射性物質が川を通じて河口域にもたらされ、さらに海に広がることに典型的にみられるように、まさに森里海連関の世界の存在を私たちに思い知らしめることとなった。 
 はたして、この統合学問は、私たちが直面する大震災からの復興、さらにはそれを乗り越えて新たなより持続循環的な社会を築く上で、時代が求めるような力を発揮できるのであろうか。まさに、その真価が問われている。


 今、私たちは巨大地震津波が発生する可能性が高まった時代に、広域的に放射性物質を拡散させてしまった時代に、そしてあらゆるつけを次世代に先送りしかねない”無責任極まりない”時代に生きていると言える。目先の経済成長を最優先するグローバール化の流れに対して、大震災は地域に根差して自然の共に生きるローカル化の道にこそ、未来を託すべきではないかと私たちに問い直したと考えられる。混迷の今を生きる意味、すなわち続く世代に何が残せるかが問われる今、大震災からの復興に関わる森里海連関学の展開を通じて、21世紀の世界が求める理念の深化について考える。

 
私が初めて「森は海の恋人」の運動と畠山重篤氏のことを知り、ブログをアンテナに登録して毎回訪問するようになって、すぐ3・11でした。そして畠山氏の「核なる上は原始力」という言葉を取り上げたブログ(2011年4月14日)にこの田中氏の緊急支援の発起文も紹介しています。
「2011年の国際森林年に当り国連(森林フォーラム)が設定した世界の”フォレスト・ヒーローズ”の一人にアジアを代表して、わが国で大きく広まった社会運動「森は海の恋人」のリーダー畠山重篤氏を選んだことは、東日本大震災から日本が何を学び、どこへ向かおうとしているのか、世界が注視している表れである」
パネリストの一人、畠山信(まこと)氏は、1978年生まれで、この重篤氏の二男。地元の高校を卒業後、CWニコルが実習長を務める専門学校に入学し、生態学と、生物調査法を学ぶ。卒業後、鹿児島県屋久島を中心に環境教育、生物調査に携わる。帰郷し、牡蠣漁師として生活しながら2009年NPO法人森は海の恋人を設立、現在副理事長。3・11では「漁船を沖合に退避させるとき、海上津波にのみ込まれたが、対岸の大島に流れ着き、九死に一生を得て帰還。祖母で重篤氏の母親は気仙沼市内の老人施設に居て津波の犠牲者となられました」。
この方の話題提供はショッキングでした。それは、他の皆さんが極力冷静に感情を抑えて、中には、ハッキリと原発に反対か賛成かの色は付けたくない、中立で数字だけ、事実だけを述べたいと発言された方もいたくらいで、注意深い発言が多かった。その中で、畠山信氏は、若さゆえなのか、厳しい言葉が続きました。「私は、愛国心はないけど郷土愛はある」で始まった内容は:2011年、地震津波で、海は死んだと思っていたのに、7月にはもうホヤ・ナマコ・ヒトデの仲間が現れ、海の回復力の速さを知る。9月にはアマモも。漁民は山から木を切って筏を作って牡蠣の稚貝を育てはじめ、アサリの稚貝も見つかっている。3・11以前干潟だったところはただの海になってしまったが、新たに水没した田や畑が干潟化している。ウナギやアナゴも見つかっている。しかし、推し進められる復興は「現況復帰」。地盤沈下した田や畑を元に戻すという。仕方なく、借金をして買うしかない。
食品の安全については、福島では注意しているので安全です。岩手なんかは離れすぎていて安心しすぎで却って危険。
そして問題は防潮堤。高さ15m、200億円かけて一体何を護るの?という問いに、県は、「国民の命と財産を守るため」という。人は住んでいなくて公共の建物もない場所は、「道路を守るため」の防潮堤だそうです(宮城県土木部の職員による住民向け説明会にて)。コンクリートで固めて地下水も流れ込めないようにしてどうするの? それでも説明では「生態系に影響はほとんどない」という。最後に「日本を捨てて外国に行く選択肢もある」と唐突な言い方で終わりました。
帰ってから、資料を読んで、畠山さんの「愛郷心はあるが愛国心はない」という意味がわかってきました。因みに、畠山氏の住む舞根地区は2011年4月24日には26世帯が集まって高台移転計画を推進、5月30日には「舞根二区の海岸堤防の計画撤回に関する要望書」を提出しているが、中止か保留かは定かではない。

津波の海に生きる前に立ちはだかる巨大防潮堤計画


今後100年間に発生が予想される最大規模の津波から命を守るとの理由により、国の中央防災会議が定めた指針に基づいて、宮城県岩手県では三陸沿岸一円に巨大なコンクリートの防潮堤を張り巡らせる計画を具体化している。行政の復興の原則は「元の状態に戻す」こととしているが、実際には設置される防潮堤の総延長ははるかに長く、その高さも場所によっては三倍以上の”巨大な”構造物の設置が計画されている。その場所はまさに森と海の境界域に設置され、甦ったかけがえのない湿地や干潟を再起不能とも思える形で破壊する著しい環境改変事業なのである。(田中克氏つづき)

畠山信氏の「愛郷心」というのは、今まさに、甦りつつある豊かな海と多様な生物がすでに棲みついている干潟を、「元に戻す」という行政側の方針に反対し、その水没した田畑を借金してまで買い取って守るということ。
そして、「愛国心は無い」という言葉の意味は、2011年8月結成された「防潮堤を勉強する会」を通して分った<1.防潮堤の高さは国が決めたもので変更できない、2.県が勝手に変更した場合、津波で被災しても国の支援は受けられない、3.防潮堤が不要という選択はない、4.防潮堤を造らないと、背後の土地利用計画をきめることができない、5.建設期限は27年度末なので話し合っている時間はない、6.災害復旧なので環境アセスメントは不要である>の6点に要約できる行政の施策が、「被災された住民の意思を全く無視したものであり、豊穣の海三陸の未来に大きな禍根を残すことは明白だ。(田中氏)」という、怒りだったのです。
最後の「日本を捨てて外に出る選択肢もあり」という言葉にパネリストの皆さんや、田中氏ご自身も驚いておられましたが、あれも、彼なりの、今の国や県のやり方に対する、深い悲しみと憤り、あるいは絶望感から出た言葉だったのでは…と思いました。
復興が有無を言わさぬこういうやり方でやられた結果、かけがえのない山、森、里、川、海の連関が途絶えてしまい、流れが止まり、多様な動植物たちが死に絶えてしまう前になんとかならないだろうか・・・。
そんな日本の故郷の姿を見るくらいなら…という気持ちだったのではと思い至りました。
◎田中氏が代表を務めた「森は海の恋人緊急支援の会」は閉鎖になりました。
◎2013年度中に「舞根森里海研究所」が舞根湾に設置されます。「この研究所では、地震津波によって蘇りつつある干潟や湿地を中心に、森から海までの繋がりの環境教育を子供たちや学生を対象に進めることにしています。同時に、甦る自然を中長期的に観察研究し、また、森に広域的に拡散した放射性物質が海に広がる過程を追跡するなど、世界にも例がない新たな未来を拓く文理融合的総合研究を展開し、未来創生につながる地域拠点になればよいと願っています。」
「そこで、新たに「舞根森里海研究所を応援する会」を立ち上げ、研究所の管理運営、次の時代を担う国内外の若者を招く基金などへのご支援を心よりお願い申し上げます。(「舞根森里海研究所を応援する会代表 田中 克)」ということで、私からも宜しくお願いします。