「マンモス防潮堤」を考える

北海道の「おとじろうとらいるのひび」さん、14日のブログで紹介されていた記事を取り上げてみます。

ブログで紹介されていたサイトを訪ねてみました。トップにあったのが上の写真です。縮小しましたが、富士山の形に見えるのが計画されている「マンモス防潮堤」です。これが、100年に一度の津波を防ぐために築かれ、ここに住む方たちは、99年360数日をこのコンクリートの壁を見て過ごすことになる。ちょっと待てよ!と考え始めた住民が立ち上がりかけているということです。景観の問題もあるし、利便性の問題もあるし、自然環境の問題もあるしと。建設しなければと思っている行政も悪意があるわけではなく、責任を感じているんです。じゃ、どうすればいいの?という問題提起をされています。詳しくはコチラで:

防潮堤はみんなの心の中にある壁

マンモス防潮堤の傾向と対策
高橋博之(もうひとつの日本円卓会議)
http://giant-seawall.org/2013/12/03/580/

これは、この夏、7月、奈良の友人と参加した京都大学のシンポジウムで問題になった件と重なります。
気仙沼のカキ養殖の畠山信さんが訴えていた問題ですが、ここでは優しく分かり易く書かれています。
それにしても、トップの絵。△富士の巨大防潮堤の高さ、大きさ、スゴイですね! 
◎私は、今年後半、父の病院から老健への入所を通して関わった退院支援の方や、老健のスタッフさんたち、在宅に向けてお世話になっているケアマネさんとのやり取りの中で感じたことが、このマンモス防潮堤問題と重なってきます。防潮堤を作ろうとしている行政と実際に生活する住民との関係が、介護に関わって下さった市や社協の方たちと、実際に介護を受ける父とその伴侶である母の立場と似ています。
私と夫は、行政と両親の間に入って右往左往しましたが、4か月かかって分ったことは、やはり、介護を受ける本人の意思を尊重することが一番だということでした。
行政側の人たちが言われることは、まさに一般論です。父の年齢から考える世間の常識であり、医師の病名から来る判断であり、経験知であり平均値の問題です。そして善意で言われることが押し付けになることが往々にしてあります。母は、それに抵抗していましたが、私は、周りの方たちの言われることの方が正しい。介護をしなければならない母のことを第一に考えて下さっているのに受け入れない母を頑固だと困っていました。
でも、結論から言うと、当事者である母が一番正しかったということです。父の様子をしっかり見て、何が必要なのか、母が一番わかっていました。それは、愛情の差であったともいえます。長年共に暮らしてきた人のことを一番大事に思い、自分の力で何とかしたいと願っている母にはかないません。それを、”92歳の人には大変ですよ”と言って奪ってしまってはいけないと気づきました。自分に出来るお世話をすることも母の生きがいですし、口には出さない父が、家に帰りたいと思っていることを母が一番よくわかっていました。
私は、「余生(よじょう)限られているお父さんを自分の家で好きなように暮させてあげたい」と言っている母の気持ちが一番大切なのではないかと気づきました。11月末、カナダのSさんと4人で集まった時、母はそれを私の友達に訴えていたのです。その時はまだ私は無理を言ってと思っていましたが、皆さんが帰ってから、娘の友人3人を相手に、どうして母は訴えるようにあんな話をしたのか考えて、わかりました。私たち夫婦が本当には母の望みを理解できていなくて、いつも行政側に立って母を説得にかかっていたことが不満だったのです。それで、初めてここ数か月のやり取りを思い出してみて、反省しました。それに、どんな風に生きたい(逝きたい)か、生き方を決めるのは本人です。
嚥下外来の診察を受けた翌日10日、先生から電話を受けたケアマネさんがやって来られて、”お粥に戻してトロミ剤を使用するように”と言われました。今度は私は、自信をもって言うことができました。「父の誤嚥は、今回の場合も前回も、自然に衰えてというより事故のようなキッカケがありました。施設の方や病院の先生が、安全安心を第一に心配して言って下さるのは分りますが、普段から様子を身近に見て一番わかっているのは母だと思いますので、母が大丈夫と言うのであれば任せて良いのでは、と私たちも思うようになりました」と私が言うと、母も「取り寄せた誤嚥のためのパックの料理は食べるのも見るのも嫌と言います。私も食べてみましたが不味かった。あと何年生きられるかわかりませんが余生長くない人に手料理の軟らかく煮たものを食べてもらって好きなように暮してほしいと思っています」。ケアマネさんも、もう一度誤嚥性肺炎になれば次は確実に喉を切開するか、胃ろうですよと言われたのですが、二人の話を聞いて、今度は、「そうですね、わかりました」と了解していただけました。

ですから、この記事の高橋氏の言われる事に納得です。高橋氏はこう言っておられます:

マンモス防潮堤という”非日常の論理”と、住民の暮らしという”日常の論理”のバランスをいかにはかっていくのか。そのためには、住民と住民、住民と行政の間で、もっと議論が必要になります。この議論こそが、合意形成です。出てくる結論は、地域の特性に応じた多様なものになるでしょう。住民の日常生活と当事者意識、まちの独自性と持続性も守られます。

◎7月の京大でのシンポジウムの関連記事はコチラ:

・「京都大学文学部第3講義室へ」(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20130721/1374370190
・「森里海(もり・さと・うみ)連関学は時代を拓くか」(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20130722/1374499287)

◎もう一つおススメは、コチラです。水曜日の朝刊の広告欄、週刊誌の大きな見出しの横に書かれていたのは、「『安倍昭恵』総理夫人のお転婆が止まらない。家庭内野党を標榜し、原発再稼動から巨大防潮堤まで持論を声高に展開し、ついに自民党環境部会にも出席した。だが立場をわきまえない言動にゴッドマザーが静かに怒っているという。激突は時間の問題だ」。
この「巨大防潮堤についての持論を声高に展開」に当るのがコレです。週刊誌の見出しは本当だったんですね〜。これでは、「激突」が期待されるのも解ります。

総理夫人から見た防潮堤

防潮堤問題から見る日本の未来
総理大臣夫人 安倍昭恵 http://giant-seawall.org/2013/12/03/413/

明恵夫人の提言の一部です:

実際に地元で若い方の話しを丁寧に聞くうちに「本当は防潮堤に反対にも係らず、声を大にして言えない。言ったとしても聞いてもらえない。だから諦めなくてはいけない」という考え方がこの問題の根っこにあるのでは、と感じました。現地の住民会議でも、女性や若者は声を上げるのだけども、大事な意思決定は全て大人の男性だけで行われていたりする。
自分たちの町なのに自分たちの意見が通らないのはおかしい事だと思います。けれど、実はこの事は東北だけの問題ではなく、今の日本社会を象徴しているように思いました。
自分たちが声を上げればきちんと届くんだ、諦めなければ変えられるんだという事をまずは被災地から示し、そしてそれをキッカケに全国が変わっていくような流れを作りたい

◎同じ女性としても昭恵夫人のこの提言の内容は共感できます。是非全文を読んで見てください。
(3枚の写真は雨の日の「かみぞの」さんのお店のコンテナガーデン。青い花はハーブのボリジ。ウメモドキ<梅擬>の木には赤い実がついていました)
◎防潮堤のお隣り日記:http://lohasnokuni.blog.fc2.com/blog-entry-178.html