「マガジン9条」の「この人に聞きたい」から、女性二人を取り上げてみたいと思います。一人目は、佐々木るりさん。次回、二人目は、今年、一年ぶりに参加した3・11大阪での脱原発集会に福島から参加されメッセージを発表した武藤類子さん。
佐々木るりさんに聞いた(その1)
3・11から2年を経た今、福島ではテレビや新聞で福島が取り上げられることは、めっきり少なくなりました。ときおり登場するのは、復興に向けて懸命に努力する人たちの笑顔です。そうした報道に接していると、まるで福島は平時に戻りつつあるかような気がしてきます。でも、なかなか表に出てこない住民の素顔もあります。とりわけ、子どもを育てるお母さんたちは、どう考え、どんな気持ちで暮らしているのでしょうか。福島県二本松市に住む佐々木るりさんは、5人の子どもを持つお母さんです。真宗大谷派寺院「真行寺」の副住職を務める夫・道範さんと共に、隣接する幼稚園を運営しています。地元のお母さんから、たくさんの相談を受け、自身も悩み続けてきたるりさんに、福島の今を語っていただきました。
佐々木るり(ささき・るり)
1973年生まれ。福島県二本松市在住。真宗大谷派寺院「真行寺」で副住職の夫と共に寺務職の傍ら、寺に隣接する同朋幼稚園の教諭。五児の母。福島第一原発事故以降、こどもたちを被曝の影響から守るために、園児の母たちと「ハハレンジャー」を結成し、全国から送られてくるお野菜支援の青空市場開催、セシウム0の園児食「るりめし」作り、講演等で活動中。鎌仲ひとみ監督作品『内部被ばくを生き抜く』(2012)に出演。
◎このインタビューはアップされたのが6月12日です。この佐々木さんは、7月参院選の福島での安倍総理の街頭演説初日に総理に「廃炉」について「賛成? 反対?」というボードを持っていたため、自民党員と私服警察(官)に取り囲まれ、ボードを取り上げられた方ではないかと思います。
全文を読んでいただきたいと思いますが、ここでは、母として放射能のことを話題にすることも困難になってきている被曝現地での様子を語っておられる個所をコピーしてみました。
私の子どもが通っている学校では、ずっと北海道産のお米だったのですが、去年の暮れから福島産を使うようになりました。地元の食材を使った学校には、補助金が下りるようです。教育委員会に理由を聞くと、「苦しんでいる地元農家を助けるため」ということでした。でも、給食は子供が食べるものです。こうしたやり方に納得ができなくて学校に「放射性物質の検査はしているのですか?」と問い合わせると、先生方は口をそろえて「そういうことはよくわからないんです」と言いました。そう答えるようにマニュアルでもあるように思えるくらい。
編集部: 学校が「わからない」と口を閉ざしては、お母さんたちは不安を抱え込んでしまいそうです。
佐々木:お母さんたちの間でも、ごく限られたグループでしか、放射能のことは話題にできない雰囲気です。学校でも、震災のあった初年は「休み時間や体育の授業で、子どもを外に出しますか」と家庭にアンケートをとったのに、2年目は自分から申し出ない限り、外に出しますし、プールにも入れます。クラスで外に出ない子は少数派になって、「あのお母さん、まだ気にしている…」と言われることもあります。相手を選ばないと放射能の話はできないのです。子どもを保養につれていくのも、最初の年は「いってらっしゃい」と気持ちよく送り出してくれたのに、2年目からは「また仕事休むの?」ととがめられたお母さんもいます。
編集部: 放射性物質の危険を気にするお母さんは、そこまで少数派になってしまっているとは驚きます。
佐々木:そうですね。地元の人も、異常なことに慣れてしまっているところもあります。福島はもう大丈夫、普通だよって、思おうとしているというか……。でも、県内には至る所にブルーシートをかけた土のうのようなものが積み上げられていて、「これは市で管理しているものです。近寄らないで下さい」と看板が立てられています。そのすぐそばを小学生がランドセルを背負って歩いています。二本松では、学校のまわりに放射能がたまらないように、桜並木が枝だけにされてしまったところもあります。実際には、まだまだ普通ではないんです。
◎「keniti3545さんの日記」で25日、除染について書いておられました。「除染」は結局「移染」=汚染土の移動でしかないという小出裕章氏の言葉通りの実態が、佐々木るりさんのお話にもあります。そして、行き着くところは「住民同士のいがみあい」にまでなると、話しておられます。
「補償金を渡して言葉を奪う」は原発建設と同じ仕組み
編集部: 国や福島県は避難した人を呼び戻そうとしていますよね。
佐々木:そうですね。強制避難区域が解除されて、早く戻った人には補償を高くするという話があります。県外に避難した人への家賃補助は、どんどん打ち切られていっています。これからは福島に戻る人が増えるかもしれません。ただ、お金で人を動かそうとするのが果たしてどうか。私の父はいわき市の高校で教員をしているのですが、浜通りの方から避難してきた若者たちの将来を危惧しています。仕事すれば、東電からの補償金がおりず、お金をもらってしまうと東電に文句を言いにくくなります。でも、彼らには将来があって、これから先、ずっと働かずに済むわけではありません。教師として若者に生き方を教えてきたのに、今の状況ではそれができない。父は、自分の無力さを感じると気を落としていました。
編集部: お金をもらったがために文句が言えなくなるのは、原発が建てられるときと同じ仕組みですね。現地の人の力を、どんどん削いでいるように見えます。
佐々木:
原発ができるときに国が何をしてきたか、聞いたことはありましたが「まさか」と思っていました。でも震災後は、本当にこんなことされるのかと、実感しました。行政や東電に対して声をあげるのは、手ごたえがなくて疲れます。徐々に「騒いだだけ損」という気になって、日々のストレスは身近な人に向かっていくんですね。自宅の庭を除染して、汚染された土をどこに置くかでも問題になるんですよ。隣同士が「自分の家から離してほしい」と言って両方の敷地のちょうど真ん中に貯めるしかないとか。本来なら、東電に持って行ってほしい。でもそれができないので、住民同士でいがみあってしまいます。
編集部: 家族や近所。大切なコミュニティーが、どんどん破壊されてしまっているのですね。
佐々木:県外に避難できる人はすでに避難していて、残っているのは、それぞれ事情がある家庭ですね。うちは90代のおばあちゃんが認知症で、家と施設と行き来していますし、お寺も幼稚園もあります。どうしても逃げるわけにはいきません。うちの幼稚園の子どもは、震災前から1割くらい減りました。小さい子は本当に少なくなっていて、さみしいけれど、本当はみんないなくなったほうがいいのかなと思ったり……。でも、避難したご家庭だって、問題が解決したわけではありません。最初は避難して、福島が元に戻ったら帰ろうと思っていても、いつまでたっても何も変わらない。実家が県外にあるお母さんは、子どもを連れて避難したけれど、旦那さんの両親に「孫を奪われた」と思われて、結局離婚してしまった家庭。1人ぼっちで残っている旦那さんがノイローゼになって、うつ病の薬を飲みながら仕事に通っている家庭もあります。
編集部: 本当にせつない話ですね。誰も悪くないのに…。
佐々木:
食べ物をめぐって家族内でもめる、という話もよくあります。二本松の人たちはずっと、自分たちの食べる野菜は自分で作って暮らしていましたから、どうしても野菜作りをやめられないお年寄りは少なくありません。お嫁さんに止められて、いったんは作付けをあきらめても、近所でトマトがたくさんなっているのを見ると、悔しくてたまらないそうです。「もし線量が出たら食べなければいい」と思って、再び野菜を作ります。でも、実際に作物ができると孫に食べさせたくなるんですよね。お嫁さんが断ると、しかたがないから近所に野菜を配りに行き、受け取った側も困ってしまう。誰かが家庭菜園で作った野菜を無人販売で買ってきた高齢者が、お嫁さんとけんかになった話も聞きました。
全文はコチラで:http://www.magazine9.jp/interv/sasaki/index.php
(写真のビーズのネックレスは、お茶仲間のNさんの作品。2か所の教室で習って、今はビーズ職人かアーティストかというくらいハマりにハマって作品を作っておられます。手持ちのデザインが古くなったヒスイやメノウや真珠や淡水パール、あるいはガラス玉や中国製の陶器玉、あるいはサンゴなどをバラして、ビーズや金具を足したり、大小さまざまに組み合わせたりして全く新しいデザインのネックレスに仕立て上げておられます。お友達のオーダーで仮縫い宜しくワイヤーに通したものを見せて、意見を聞い田植えで最終仕上げの作品になります)
PS
「フクシマと言うのは近代の日本が生んだ新しい差別部落です。そしてフクシマ差別と言うのは、今まで私たちがもう無くなってしまったと思っていた、広島・長崎の被爆2世・3世の人達への差別です。そして膨大な環境汚染をして生まれた水俣病差別と一緒です。近代の差別です。差別があるからこそ原発が造られました。そしてその差別は沖縄の差別とも一緒です。・・・だからこそ新しい時代を作るという事は、被災した人、そして叩かれた人、弱者を差別しないでともに生きていく社会をつくること。これが原発村に対抗できる私たちの生き方、私の生き方だと思います。」(辛淑玉:http://d.hatena.ne.jp/cangael/20130313/1363132424)
◇原発は差別から生まれ、差別を生む。先日の京都大学でのシンポジュウムでも、また、佐々木るりさんのお話でも。
◇◇そして、東電社員への差別をも生んでいます。東電バッシングという差別について、東電元社員で、今、現場の実情を知ってほしいと講演活動で全国を回っているという方のお話です。
投げかけられる心ない言葉、「人殺し集団」「無能の集まり」「将来無給で働きなさい」とか、「汚染水を自分たちで飲んでみたらどうだ」とか。また家族や子供にまで。現場で働く作業員も、「放射能がうつる」だとか、「近づくだけで被ばくする」とか、「歩く放射能」などと言われ、耐えられず辞めていく人たちが。
その結果、何が起こるか? 「結局、福島第一原発を知っている熟知している、技術力もあるという人間が、続々と辞めていって、全国から集まった原発の経験が無い作業員に、今、入れ替わっている。」「福島原発は廃炉にきちっと向かっているのではなくて、あそこで働いている人間たちは電気をつくる、または作る設備をなおすプロであって、粉々に破壊された原発をなおす集団では決してない。みなが手探りでやっている」「そこで働く方々を支援する仕組みとか、社会が成り立たない限り、もしかしたら、原発事故が再燃するかもしれない。」そうなった時には決して福島だけの問題ではなくて・・・・◆全文は是非コチラ「みんな楽しくHappyがいい♪」さんの「東電社員バッシングが生む"最悪の結末"の可能性」TIME LINE上杉隆7/24元東京電力社員・吉川彰浩さん(文字起こし)」:http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3141.html
(写真は夾竹桃の花と空蝉)