長州人・安倍晋三首相と靖国神社

3日(火)は、父の3か月半ぶりの国立循環器病研究センターでの診察日でした。夫と二人で付き添って出かけました。予約してあっても1時間近く待つことに。予約の段階でもやっと入れてもらったくらい。父は体重が9キロも減り、歩き方も杖をついてやっと歩いているような状態なので、玄関で車いすを借りることに。
それでも、母の食事が美味しいとよく食べ、毎朝、父のケイタイに電話をかけてコーヒータイムに誘います。夫が隣の玄関まで迎えに行き、付き添って我が家のテーブルまで。以前と同じように体重を測って、山の小道具で血中酸素濃度と心拍数を測り、数字を控えることも再開しました。
主治医の先生は、体重が減るのは心臓には楽で良いことですと言われます。今日これから見学に行くリハビリデイサービスも、筋力をつけることは心臓には良いことですと、お墨付きを戴きました。
病院への行き帰り、並木はスッカリ葉を落とした裸木になって、正面には箕面の山も見えました。


ところで、ブログ仲間の「keniti3545」さんは、あの日からの日数をブログにカウントされています。昨日は、あの3・11から1000日でした。今日5日は3・12、福島原発事故から1000日です。そして今日中にも、自民党は、特定秘密保護法案という平成の治安維持法ともいえる悪法の成立を強行する予定だそうです。福島原発事故の情報が特定秘密にされれば、放射能被害の実態は今以上に隠されることになるでしょう。
先日頂いたコメントに、「本当に怖いのは、アベシンゾウの頭の中ですね。弾幕や硝煙で一寸先も見えないような状態のような気がするんですが…」と書かれていました。「Various Topics」さんの1日のブログのタイトルは「長州閥の野望」。この中に、安倍さんの頭の中にはこういう考えもあるに違いないという話題がありましたので、紹介してみます。
■長州(山口県)といえば、NHK大河ドラマ「八重の桜」でも描かれていましたが、戊辰戦争で薩摩と一緒に、幕府側の会津を倒した後、明治になっても、徹底的に会津(福島)を傷めつけました。会津は、薩長を中心とする新勢力が徳川と上手くやるため、旧勢力の代表として身代わりになったかのようでした。そしてその結果かもしれませんが、自由民権思想は会津でも生まれ、その流れは伏流水として脈々と新憲法にまでたどり着きました。この間の成り立ちは、NHKで、東北出身の菅原文太氏が旅人として訪ねて歩く番組、「光は辺境から…自由民権 東北で始まる」(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20120128/1327728573)で詳しく取り上げられました。
■横道にそれてしまいましたが、長州の安倍さんについてです。
「Various Topics」さんは、2007年2月、第一次安倍内閣のとき、中曽根元首相がジャパンタイムズに寄せた寄稿文(英文)を引用、文末に「安倍首相が、近代日本の礎を築いてきた“長州人”であることを強調し、だから期待する」と書いた例をあげて安倍首相と長州についての記事を書いておられます。安倍首相自身、<自己アピールの時に良く「長州」を使うし、3本の矢の話も長州藩がらみですし、彼が描く日本というのも、長州藩の考え方そのまま、そして、靖国参拝に拘るのも、実は・・・>という導入で、「IWJ Independent Web Journal」の8月の記事、「祖父から教えられた『ヤスクニ』と長州藩中心に形成された「靖国」とのはざまで」 を引用されています。この記事自体なかなか興味深い内容ですので、全文はコチラで:http://iwj.co.jp/wj/open/archives/96143
■私は、「Various Topics」さんが引用されている個所から最後までをそのままコピーさせていただきます;

祖父から教えられた「ヤスクニ」と長州藩中心に形成された「靖国」とのはざまで(<IWJの視点>平山茂樹の「ニュース下から目線」:IWJウィークリー13号より)


(抜粋)


大鳥居をくぐり、少し歩くと視界に入るのが、大村益次郎銅像だ。


 靖国神社のほぼ中心に立つ銅像が、長州藩出身で、日本近代陸軍の創始者である大村益次郎であることは、いったい何を意味するのであろうか


 大村益次郎は、後に初代総理となる伊藤博文木戸孝允高杉晋作井上馨らとともに戊辰戦争を戦い、天皇をかつぐことで江戸幕府を「朝敵」として「成敗」した、長州藩の軍事的リーダーだ。明治維新以後、大村は、国民皆兵兵学校の設置による近代陸軍の青写真を描いていたとされる。大村の死後、その思想を受け継ぎ、明治3年に徴兵令を発布したのが、大村と先輩・後輩の仲であり、初代陸軍卿に就任する山県有朋であった。


 靖国神社設立の起源を調べてみると、やはり長州藩にいきつく1865年、長州藩奇兵隊の死者を祀るために建立した桜山招魂社が、靖国神社の起源である。その後、禁門の変戊辰戦争などで戦死した長州軍の兵を合祀。明治維新後、明治天皇の上京にともない、天皇の錦の御旗が与えられることで、官幣の神社として靖国神社が設立された


 以上の経緯を踏まえると、靖国神社は、明治維新以降、実権を握った長州閥の意向が色濃く反映された神社だと言える。事実、会津藩家老を先祖に持つ右翼の大物・田中清玄は、靖国神社を「長州藩の守り神にすぎないもの」と切り捨てたという。


長州藩出身者の美学にあわなかった大正天皇なども抹消された存在のようなもの。


安倍首相の家系から4名の首相が出ていることもすべて、明治維新から今に至るまで、日本には『長州閥』が健在、ということではないでしょうか。


系図でみる近現代

安倍晋三

http://episode.kingendaikeizu.net/7.htm


追記: 山口県でも長州藩ではなくて岩国藩だった岩国市の扱いは、ご存知のとおりです。

原発を福島にたくさん作ったのも、会津藩が敵だったからですかね。

■「Various Topics」さんの記事全文はコチラ「長州閥の野望」:http://afternoon-tea-club.blog.ocn.ne.jp/blog/2013/12/post_d690.html