村山談話、河野談話を反故にして『安倍談話』だしてどうするの?


◎25日に公表された自民党のエネルギー基本計画案、昨日テレビで古賀茂明氏が、難しい言葉を使ってややこしい表現にするのは、解り易くすると困るからだ。今回の見直し案は、結局、元の案と同じ、原子力推進、原発再稼動は変わりません。ただ、はぐらかすために言葉遣いと表現で分りにくくして誤魔化しているだけです、と大変解り易い解説をされていました。そういえば「ベースロード電源」って?ですね。
憲法の見直しを有識者会議の議論待ちで…と言う政府。野中広務氏が「有識者会議」というのは「議員内閣ではなくブレーン諮問内閣だ」と。結局、第一次安倍内閣と同じで「お友達内閣」を一寸わかりにくくしただけですよね。憲法については解釈憲法や集団自衛権の問題を今朝の「そもそも総研」が取り上げていましたので、録画を見て記事にしたいと思っています。

◎「村山談話」、「河野談話」、どちらも自民党が与党時代の談話ですが、政権寄りの方々や右翼と言われる人たちから目の敵にされています。これで足元見られていつまでも批判される、今度は強気の安倍談話を出して・・・と。
現政権のアブナイ発言、これを許しているのはまずは自民党の問題であり、保守の人たちの中から批判が出て当然と思っていましたので、保守本流?の山崎行太郎氏のブログの批判にお任せです。
その前に河野談話村山談話について、はてなキーワードから:

☆「河野談話」とは:河野洋平による官房長官談話。一般的に、1993年(平成5年)8月4日に発表した慰安婦関係調査結果発表に関する内閣官房長官談話を指す。第二次世界大戦中、朝鮮半島などでの慰安所設置に「旧日本軍が直接あるいは間接に関与した」と認め、「生活は強制的な状況の下での痛ましい」ものとして慰安婦狩りのようなものに限らず全体としての強制性を認め、「心身にわたり癒やしがたい傷を負われたすべての方々に対し心からおわびと反省の気持ち」を示したもの。


☆「村山談話とは:1995年8月に、村山総理(当時)が公式談話を発表し、日本が「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」と述べ、「痛切な反省の意」と「心からのお詫びの気持ち」を表明し、また、1998年に、小渕総理(当時)が、日本を公式訪問した江沢民主席に対して、村山談話を再確認している。

★それでは、山崎行太郎氏の25日のブログから、村山談話河野談話について:


朝鮮人慰安婦問題」に最終決着はありえない 。最終決着があると幻想し、最終決着(「真の解決」)を求めることこそ、典型的なイデオロギー的思考である。イデオロギーとは、「真理は我にあり」と妄想する思考形態であるつまり、「朝鮮人慰安婦問題」には、かなりいい加減な、タテマエ論としての河野談話村山談話のような「政治的解決法」しかない。哀しいことに、ネット右翼や保守政治家、エセ保守文化人・・・には、それがわからない。河野談話村山談話を廃棄して、安倍談話でも出したら、それで一件落着するのかますます国際社会に日本包囲網が出来上がり、日本は孤立化はすすむであろう。韓国や中国の思う壺である。ホンネ丸出しのネット右翼と、そのネット右翼に支持される安倍政権は、飛んで火にいる夏の蟲か


誤解を怖れずに言えば、少なくとも政治的レベルでは 、適当なところで妥協し、謝罪・補償した方がいい。かつては、「大日本帝国」を名乗った国である。つまり、「帝国の政治」とは、そういうものである。余裕を持って「悪」「犯罪」「過失」・・・を認め、謝罪・補償すること。それが、かつて、侵略や略奪、占領、支配、併合・・・を繰り返してきた「帝国の作法」であろう。たとえば、かつての「植民地支配」を認め、謝罪したところで、その国が滅びるわけではない。まして日本は敗戦国である。「敗戦国」の生き延びる作法を学ぶべきである。


その時、政治的レベルと思想心情のレベルは分けて考えるべきだ。思想心情的な問題 、あるいは、歴史研究的・学術的問題の余地は残しておくべきだが、それを、政治や外交の舞台に持ち込むべきではない。朝鮮人慰安婦の強制連行はなかった」とか、「朝鮮人慰安婦は売春婦だった」・・・とか言って、「政治家たち」が騒ぐことこそ、墓穴を掘ることになる。たとえ、それが真実だったにせよ、そのまま国際社会や政治的空間において、その議論が通用するはずがない。


河野談話」の見直しが行われようとしているらしいが、「藪蛇」にしかならないだろう。「朝鮮人慰安婦の強制連行はあったか、なかったか」は、こだわりたい人はこだわればいいが、政治的には、たいした問題ではない。歴史的な現実問題として「朝鮮人慰安婦はいた」のである。「朝鮮人慰安婦が不当な身分差別を受け、軍の管理下で買春行為を強制されていた」ことは、一時的にせよ、例外的にせよ、歴史的事実だろう。「強制連行はなかった」という議論で 、その事実を、歴史から隠蔽=抹殺することは出来ない。朝鮮人慰安婦問題を、政治問題として取り上げること自体が、朝鮮人慰安婦問題の「ホロコースト化」をもたらすだけだ。(引用元:http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20140225/1393282600

★最近は「言われっぱなしは沽券に係わる」と開き直りの主張・言い訳を海外に対しても積極的にという方針を安倍政権はとっています。靖国参拝の「真意を説明すれば分かってもらえる」とたくさんの人たちを送り込んだのが最近の例です。「分ってもらえる」という判断が間違っています。何を思ってであれ参拝する行為自体が問われているのに・・・言えば言うほど恥の上塗り…ということがわからない。このあたりを、少し遡って2月15日の山崎氏のブログから麻生氏の「ナチスに学んだらどうかね」を批判して戴きましょう:


安倍晋三百田尚樹。お似合いの二人。大放言=大失言コンビ。今日も元気ハツラツと「大失言」してます。しかし、この二人の場合は、「失言」ではなく、「ホンネ」そのものです。ホンネ(心情)とタテマエ(政治)の区別もないようです。理由は明らか。ネット右翼レベルの思考と思想にあります。「大失言」を『保守論壇亡国論』で読み解く。ー「エセ右翼=百田尚樹への宣戦布告(13)」


麻生太郎の「憲法改正ナチスに学べ」発言が、まだ尾を引いているようだ。「麻生太郎の発言は失言ではない」というのも愚かだが、今度は、「麻生太郎発言は、失言ではない、マスコミのデッチアゲだ」という趣旨の手紙を、外国に向けて出すのだそうである。つまり「麻生太郎発言は失言ではない」という手紙を国際社会に向けて発信しようという作戦だそうである。しかし、麻生太郎の発言は、誰が聞いても明らかに失言。


 「昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」


「あの手口学んだらどうかね」。この発言は、明らかに失言だろう。「ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。」の意味も完全に間違いである。どう解釈すれば、「失言ではない」「マスコミの歪曲だ」という考え方になるのだろう。「ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていた」のではない。「ナチス憲法」なるものは存在しないネット右翼保守論壇の愚かな連中には、そもそも失言の意味と根拠が理解できていない


「愚者の楽園」と化している最近の保守論壇の連中やネット右翼レベルの思考しかできない連中は、麻生発言の真意は、つまり麻生太郎が言いたかったことは、「静かにやる・・・」ということだったらしい。しかし、憲法改正のやりかたを「ナチスに学ぼう」と言ったことに変わりはない。そもそも憲法改正というような「大問題」を、「静かにやる」「こっそりやる」「いつの間にか変わっていた」・・・なんていうのが、おかしいだろう。


失言ではない。マスコミが悪い」と騒ぐ(手紙を書くことと)こそ、異常だ。日本と日本国民の恥をさらすだけだろう。フランスの国際漫画祭の慰安婦騒動と同じ構図。抗議それ自体が、二重に失言になるのだ。


百田尚樹に続いて、安倍晋三首相が、「憲法改正」問題に関して、またまた失言したようだ。「私が最高責任者だ。法制局長官は関係ない」などと発言したらしい。言わなくてもいいことを言って大見得を切ったらしい。おそらく、安倍は、何故、失言になるのか、まだよくわかっていないだだろう。百田尚樹と同じだ。何が失言か分かってさえいない。


ところで百田尚樹だが、失言問題の範囲を「人間のクズ」発言に限定したがっているようだ百田尚樹の「失言問題」の中心は、「原爆投下こそ大虐殺」「東京裁判は大虐殺をごまかすため・・・」「南京事件はなかった」「慰安婦強制連行はなかった」・・・の方であったはずである。信念があるなら、今こそ発言しろ、と言いたいが、無理のようだ。百田尚樹の「失言問題」を理由に、アメリカ大使館がNHKの取材を拒否したそうである。さー、どうする?


アメリカ大使館だけではなく、アメリカ政府に向かって、保守論壇の愚かな連中やネット右翼の連中とともに、「正論」とやらを、堂々と「大放言」して、「特攻隊」のごとく、カッコ良く「玉砕」してください。

アメリカ大使館、NHK取材拒否についてはコチラ:http://www.sanspo.com/geino/news/20140214/tro14021421330004-n1.html
★次は、巷にというか本屋に行けば溢れるほどの嫌韓本ブーム、一瞬ギョッ!!とするほどです。なぜこれほど?について24日のブログから:


嫌韓論=悪韓論ブーム」とネット右翼と『保守論壇亡国論』。あるいは、『保守論壇亡国論』で、「嫌韓論=悪韓論ブーム」を、読み解く。「週刊東洋経済3/1号」に、「反韓論ブームを斬る」を寄稿しました。2/24発売。124ページ。「「反韓」「嫌韓」論はなぜ蔓延するのか」。「思想的衰退が短絡さ招く」・・・。僕の寄稿論文を含む「嫌韓論ブーム批判」を特集した「週刊東洋経済」が、今日、発売開始。是非、御一読を。


日本で、「反韓論、嫌韓論、悪韓論・・・」などがブームになり始めたのには、幾つかの段階がある。たとえば、その一つ。バブル景気崩壊後の日本経済の衰退と韓国経済の台頭という経済的変動と無縁ではない。具体的に言えば、職にあぶれた若者たちを中心に、国内経済の矛盾と混迷、停滞の原因を、隣国に求める。つまり、自国政府に求めるべき経済的停滞の原因を、自国政府に求めるのではなく、自国政府の情報操作もあって、ライバルと化している隣国に求めるというわけだ。「反韓論、嫌韓論、悪韓論・・・」が異様に盛り上がっている理由の一つは、そこにある。


もちろん、思想的に成熟しておれば、つまり批判精神、批評精神が生きているならば、そういう国家側からの情報操作に簡単に操作され、洗脳されることはない。むしろ批判・罵倒の鉾先は、国外にではなく、国内の政治権力に向かうであろう。しかし、僕が『保守論壇亡国論』で指摘し、批判したように今の日本の論壇やジャーナリズムは、思想的に衰退し、劣化しているために、「真の敵」に向かうことが出来ない。そこで、もっとも安易な不満の捌け口である「反韓論、嫌韓論、悪韓論・・・」が、異様に盛り上がるというわけだ。


反韓論、嫌韓論、悪韓論・・・」ブームは、今やネット右翼にとどまらない 。保守論壇の言論人や保守系の政治家たちまでも、先頭に立って、「反韓論、嫌韓論、悪韓論・・・」に突き進んでいる。「諸悪の原因」は韓国や韓国人、在日朝鮮人にあるかのように。保守論壇全体が、「反韓論、嫌韓論、悪韓論・・・」一色になりつつある。明らかに異常であり、危険な兆候である


◎最近の「アンネの日記」事件についても「日本人では考えられない」と発言した方がおられたようです。犯人をつかまえてみなければわからないことですが、国粋主義とか国家主義とかはそのおかげで(そのせいで)日本人は大きな失敗をしているのですから、失敗に学ぶ、失敗を教えることから始めないといけないのかもしれませんね。何事も他人のせいにしないで考える・・・
(写真は頭をもたげたクリスマスローズと四丁目で唯一と思われる"畑"に咲く梅の花