昨日は、朝、ヨーガの後のお花見お喋り会のご丁寧なお礼の電話を頂きました。
ヨーガメンバーの最高齢は80代の方ですが、用事があってまたの機会にということで、あの日の最高齢は77歳の喜寿の方でした。
昨日は楽しくて興奮気味だった、自分も戦争体験を自分史に書こうと思ったくらいだったので母の戦争中の話が聞けて良かったと仰っていました。
そうか、小学校1年生で敗戦だから戦争の記憶があるんですね。次回は子供のころの戦争体験をお話してもらうことにしようかな・・・
ご主人を亡くされて4年、二人の息子さんたちは結婚して孫も居て東京と藤沢とか。お一人暮らしですが、息子たちに頼らないで、ご近所のお友達と助け合って暮らしておられます。私も息子二人なのでお手本です。
団地のはずれ、芦原池の用水が流れる上に桜が覆いかぶさるように咲いています。
★「それに対抗するのはただ一つ 「忘れない」という事です」小出裕章氏
3/9 さよなら原発3・9関西行動
引用元:「みんな楽しくHappy♡がいい♪」(http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-3644.html)
皆さんご承知のようにこの日本という国は数十年前まで戦争をしていました。
アジアの沢山の人々に大悪を加え、そして日本の国民も沢山の苦難を負いながら戦争を進めました。
結局日本は負けました。
でも「国破れて山河あり」という言葉がある様に
国家などが戦争に負けても、大地はありました。「大地があればそこで人々は生きられる」という事なのですけれども、
3年前に起きた福島第一原子直発電所の事故で、
今現在1000平方kmという地域。
琵琶湖が1.5個も入ってしまう地域が無人になってしまいました。
「土地自身を無くしてしまう」という事が現在進行しています。
その周辺にも、およそ1万4000平方kmにもおよぶ広大な地域が
本来であれば放射線管理区域にしなければいけないほどの汚染を受けています。
「本当であればそこも無人にして、土地を失っても仕方がない」というほどのひどいことが現在起きています。
しかし、先日政権に返り咲いた自民党は、
「今止まっている原子力発電所を再稼働させる」
「新たな原子力発電所も作る」そして
「原子力発電所を海外に輸出する」という様な事まで言っています。
そのために彼等のやっている事は「福島をなかった事にする」ということです。
「忘れさせてしまおう」という事を彼等は作戦を練りながらやってきています。
それに対抗するのはただ一つだと私は思います。
「忘れない」という事です。
私たちは決して忘れない。
福島の事を忘れないという事が
彼等と戦う一つの方策だろうと思います。
今、自民党政権はオリンピックというような事を押しだして、
福島の事故が収束したかのように言っています。
オリンピックに反対すると非国民であるかのような、
そのような論調も生まれているように見えます。
しかし、福島の人達を苦難のどん底に落としながら「なにがオリンピックなんだろう?」と私は思います。
こんな国であるなら、私は喜んで非国民になって戦いたいと思います。
私自身は決して福島の事を忘れないでいきたいと思いますし、
これだけ沢山のみなさんが福島を忘れないでいて下さるという事を力にして、
また生きていきたいと思います。
どうもありがとうございました。