連休最後の日

昨年8月、父が入院した市立病院のエレベーターの前でパジャマ姿の丁度私の10上の親戚のSさんとバッタリ会ったことがありました。その後、牧落で一人暮らしのSさんはすぐ退院。不思議なことに、私はこの父方の親戚のSさんとは街なかや、スーパーで半年くらいするとバッタリ会うことがよくあります。つい先日も街の銀座通り?でバッタリ。その時、ズボンのポケットから荒削りの木彫りの亀を手に取って、今度できたら父に持って行くとのこと。長寿の父の元気にあやからせてもらいたいとも。連休初めに訪ねてきたSさんから貰ったと翌日の朝のコーヒータイムに父が持ってきてくれたのが、この写真のカメさんです。

昨日6日は前日の雨もすっかり上がって青空の良いお天気になりました。
2日と言うより3日の明け方に我が家に着いた息子と入れ替わるように山に出かけた夫。4日は毎年恒例の服部緑地の野外音楽フェスティバルに出かけ夜は音楽仲間と過ごした息子。結局、3人そろっての夕食は5日(月)の夜だけということに。やおら、その席で息子から、6月から正社員になるという報告がありました。3人揃うのを待って、まぁ、よく今まで黙っていたことです。去年、会社から打診があったとき、沖縄でゼロから立ち上げるのをやってみたいからと手を挙げたと聞かされてから、1年近く。暮の歓送会では居残り組から、「大阪の仕事がなくならないように適当に頑張って…」と言われて返事の仕様が無かったと言っていました。外資の親会社の同じ部署と合併、北陸と沖縄の二箇所でまとめて、大阪は無くす方向だとも。

夫は「良かった良かった!」と大喜びです。夫も私も、親ばかで、給料以上に働いている真面目な息子がどうして報われないのか…と悔しい思いもあって、”今のままでホントに良いのか”と息子を詰(なじ)ったこともありましたので、正社員になれることは、息子の粘りとガンバリがやっと報われたという思いで嬉しいことは嬉しいのですが・・・。
私は頭の中で、グルグルと、ついこの間、SPYBOYさんとブログ(4/29[女性たちの貧困・NHKスペシャル])で交わしたやり取りを思い出していました。会社側は南海トラフ地震津波災害に備えて沖縄に新部署を創設すると言ったそうですが、人件費の安い沖縄で経費節減が目的だろうと思っていました。それも大阪から沖縄へ、なんていうのは日本じゃなくてアメリカの発想です。当然、本土と沖縄の賃金格差が続くということが前提でしょう。また、沖縄と北陸の人材確保が非正規ではままならないという理由で、採用後数か月で正社員にするんだそうです。で、その上に立つ者が契約社員では恰好がつかないからと言うことで正社員にと、沖縄の人たちの後で個別に説明を受けたのがつい一週間前ということです。

『非正規が正規になっても事は片付かない』とは、このことだったのか〜とSPYBOYさんの言葉がストンと分ってきました。大阪の人たちは職を失うことになります。これでは、ダメです。雇用を増やすことを考えなければ根本的な解決にならない。私にはストレートに良かった良かったと言えないわだかまりがありました。
朝のコーヒータイム、両親には夫から息子のことを報告。両親もそれは良かったと喜んでくれました。特に母が、あんなに真面目に働いてる子がどうして…と言い続けていましたので、お昼にお茶に呼んだ時も、良かったね〜こうならないとオカシイと思っていたと。夜、沖縄から、明日の準備を終えた息子から電話があり、夫と話した後私に変わった電話口で、私からも「良かったね〜、良い話を持ってきてくれて嬉しかった。今まで頑張ってきたからね。あなたのことだから頑張りすぎないように身体に気を付けてね」と言いました。夫の話では、空港までの車の中で、いつまで沖縄に居るかはわからないと言ってたそうで、正社員が目的ではないようですが、後は息子の人生です。
東京の長男は4月から会社を作って独立しましたが、今まで通りの職場で働きながら、自分の作品も手掛けているようです。夫は9月、契約を3年から1年ごとに変えて、相手がそれでOKなら、更新するつもりのようです。今年、なんとなくそれぞれが新しいスタートを迎えそうと思っていたのが、現実になりそうです。70代、息子たちの足を引っ張らないよう私も健康に気をつけながら今まで通りを維持できたらと改めて思いました。
(写真の花はゼラニウム、薄紫の姫リラ、北の窓辺のツルバラ、斜めお向かいさんから頂いた花の名前は・・・?)