三上智恵監督講演+”戦場ぬ止み”(1)


16日の土曜日、古典文学の平家物語を終えて、Sさんに携帯で電話、駅へ向かいました。駅のコンビニでドーナツ2つと紅茶を買っていると、そこへSさんが。
少し早目に豊中着、会場の五階へ。ここは120人程が入る階段状の椅子席のある舞台があって、そこで映画の上映があります。エスカレーターで上がった5階の広いホールには丸いテーブルが幾つも置いてあって、学生たちが自習しているようです。どこも一杯なので、一つのテーブルの男子学生に声を掛けて、空いている椅子二つにテーブルを背中にして腰掛けることに。Sさんは、なんと、二人分のおにぎり弁当を準備して下さっていました。ビニール袋に2個の三角おにぎりと爪楊枝入りのおかずまで。さすが今もご主人と息子さんにお弁当を作っている現役さんです。海苔がしっとりしていて、中に入っている紫蘇や佃煮?がご飯に染みてとても美味しいおにぎりでした。夫の長野のお土産「りんご乙女」クッキーをお渡し出来てよかったです。
しばらくして入口らしきところへ行くと、大変なことに。前売り券を持っているので大丈夫と思っていましたが、スゴイ人出で、すでに180番台までの整理券が出ているという。並んで192,3番という整理券をもらうことに。映画は立ち見も出ていて、講演は、会場では無理なので、視聴覚室でスクリーンで見ることになるとか。番号を呼ばれて部屋に入ると空いている椅子はなく、後ろで立つか前で座るしかない。二人で前へ出て右端に座ることに。私たちの前にも座る人たちが入って、スクリーンに会場内の様子が映し出されて講演会が始まりました。

とにかく、沖縄の映画がこんなに大入りになるということは、嬉しいことです。主催が「脱原発で生きたい女たち・豊中」と「放射能から豊中の市民・子どもを守る会」、共催が「とよなか『市民力』フェスタ実行委員会」。駅に直結したビルという地の利もありますが、活発な活動をされているのが窺えます。隣町とはいえ、豊中の”市民力”には恐れ入りました。Sさんも、それに比べると箕面は田舎と。(写真は、"市民力”のご挨拶)
映画を観ないで、先に講演を聞いたのですが、耳慣れない言葉がたくさんありました。
後で映画を観て、話しておられる人たちが映し出され、あぁ、この人のエピソードだったのかと繋がったり。
チラシに書かれている加藤登紀子さんと同じで、見るシーン、聞く言葉に、私は涙が抑えきれず、どの場面を見ても涙、涙でした。
反対運動の中で歌われている歌、「We shall overcome.」や「がんばろう」や「沖縄を返せ」を聞いて、懐かしいというより、まだ歌っているんだ…という思いから、まだ終わってないんだ…まだ沖縄、返ってないんだ!という衝撃に変りました。

三上さんが、講演の中で、日本は70年間戦争してこなかったという言い方を本土の人はするけれど、それは違う。沖縄は、ずっと戦争に関わって来た、朝鮮戦争ベトナム戦争イラク、アフガン、ペルージャ、ずっと人殺しに行く米兵を送り出してきた、と仰っていました。アメリカ兵は、肩か胸に「OKINAWA」というネームを付けて戦争に出かけている。爆弾を落とされている人たちは、どこか”OKINAWA”というアメリカの島からやってきて爆弾を落としていくんだと思っているそうです。どうせなら、「OKINAWA」ではなく「JAPAN」と書くべきだとも。
講演の中で話された「先島へのミサイル配備」や「制限戦争」、「強襲揚陸艦」とか「エアーシーバトル」については、入り口で渡されたパンフレットに挟まれていた週刊金曜日の記事のコピーに詳しく書かれている内容でしたので、後で文字起こししてみるつもりです。
先島(宮古八重山)に自衛隊が配備されるという話では、先月25日のブログで、「宮古島自衛隊配備問題について(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20151225/1451008335)」として、箕面にある豊能障害者労働センターの元メンバーで結婚して宮古島に移住し、その後基地反対運動をされている「てぃだぬふぁ」代表の石嶺さんの記事を取り上げていましたので、宮古島自衛隊の派遣300人が800人にもという話はついていけました。事態はもっと進んでいて、ミサイル防衛の司令部が地下に作られるという話にまでなっているそうですが、後程文字起こしで。

映画は2時間10分をかけて、沖縄の2014年の闘いが記録されています。反対する人たちばかりでなく、賛成に回らざるを得ない人たちも記録されています。講演で、三上さんは、沖縄に基地があっても良いと思っている人は一人もいない。あの仲井真元知事だって・・・。お金を掴まされたり、脅されたり、それでも、誇りを持って生きたていたいと、折り合いをつけている人たちがいるだけで、みんな本当は基地は要らないと思っていると仰っていました。
2014年は、反対運動に対する凄まじい弾圧と排除があり、基地建設の準備も進みましたが、一方で沖縄の島ぐるみの反対闘争にも大きな進展があった年でした。沖縄県知事選に賭ける沖縄住民の思い、支援する菅原文太さんの声も記録されていました。「沖縄の風土も、本土の風土も、海も山も、空気も風も、全て国家のものではありません。そこに住んでいる人たちのものです。辺野古もしかり。勝手に他国に売り飛ばさないでくれ。」(これが死の12日前の言葉)。(「辺野古基金」のチラシ左下より)
選挙で圧倒的反対の民意が示されても、強行される工事と反対運動の排除。本当に、どうして…と思います。

三上さんは、本土の人たちで反対運動に理解を示す一方で「沖縄の独立賛成」に疑問を。こういう理不尽なやり方に琉球独立という声が上がるのはやむを得ないが、沖縄や福島で日本人を差別しつつ推し進められる政府の政策をそのままにしておいて、独立賛成は何の解決にもならないのではと。
講演が終わって、出口のところで夫に会えました。人が一杯でまだ当日券を売ってもらえないとか。映画を観終わった人たちがはければ大丈夫、先に席を取って置くからということで私たちは会場へ。この時間にビルの食堂街でお好み焼きでもと思っていましたが、夫もSさん手作りのお握りとドーナツで腹ごしらえをして、映画を観ることが出来ました。私は、映画が始まる前に、三上さんの著作を買って、視聴覚室でサイン会をされている三上さんの処へ。本を差し出して、「映画はこれから見るのですが講演は聞かせていただきました。頑張ってください!…じゃ〜、ダメなんですよね〜」と言い淀んでいたら三上さんはサインしながら「一緒に頑張りましょう!」と「そうですね、頑張りましょう!」と私も。意外に肝っ玉カアサンに見えました。写真を撮らせていただいてもいいですかとお願いして写真を撮りました。琉球朝日放送(QAB)を辞めて、この映画を作られました。また次回作に取り組んでおられるとかで、製作費のカンパ袋が回って5万円以上集まっていたようです。

◎講演の中で、上映時間の長さと映画の題名が読めないと皆に言われると監督さん自ら話しておられましたが、その「戦場ぬ止み(いくさばぬとぅどぅみ)」という映画のタイトルについて、三上智恵さんが「マガジン9」に、2014年、この映画の取材と同時進行のように連載していたものを編集・加筆された著作「戦場ぬ止み 辺野古・高江からの祈り」(大月書店)から:

これは、「島ぐるみ・オール沖縄」の沖縄知事選を控えた辺野古基地ゲート前のテントに張ってありました。あの沖縄戦から今日まで、戦場であり続けたこの島の運命を、今度こそ断ち切りたい。その思いを詠んだ琉歌(八、八、八、六音を基本とした沖縄の伝統的詩歌)。歌を詠んだ有銘(ありめ)政夫さんは、80年余りの人生のうち70年が戦場だった。
  今年(くとぅし)しむ月(しむぢちや)/今年の十一月(霜月)にこそ  戦場(いくさば)ぬとどみ(とぅどぅみ)/戦場にとどめを刺して終わらせよう  沖縄(うちなー)ぬ思(うむ)い/沖縄の思いを  世界(しけ)に語(かた)ら/広く世界に知らせましょう

◎映画と言えば「特別な1日」のブログ主のSPYBOYさんです。去年の8月、この映画もご覧になって詳しく書いておられます。コチラで:http://d.hatena.ne.jp/SPYBOY/20150803/1438603102
◎16日、同じ日に同じ映画を見た豊橋の「よんばばつれづれ」さんはコチラ:http://yonnbaba.hatenablog.com/entry/2016/01/16/170955
よんばばさんは、三上監督の前作「標的の村」も見ておられます。私は第七劇場でチラシとポスターで知り、ぜひ見たいと思いながら叶わずでした。それもあって、今回は是非と思って出かけました。