よみがえりの冬至の日の『メモ』より

いつも食卓の上で使っているパソコンを片づけるのにテーブルの下の小さな四角い籐の椅子(スツール)の上に置いています。先日2度、その椅子から落としました。高さ20cm位です。一度目の後、写真が取り込めなくなり、二度目の後、インターネットの接続ができなくなりました。今は夫の居ない間に夫のパソコンを使っています。

昨日22日は冬至。普通の冬至ではないということを「shuueiのメモ」(http://d.hatena.ne.jp/shuuei/)さんで知りました。

2014年の冬至は、普段の冬至とはちょっと違い、「朔旦冬至(さくたんとうじ)」と呼ばれる特別な冬至です。
これは、新月冬至が重なる年の冬至のことで、19年に1度しか訪れません。
古来、冬至は極限まで弱まった太陽が復活する日、すなわち「復活の日」とされてきました。太陽と月の復活の日が重なる朔旦冬至は、非常におめでたい日だとされ、古来朝廷では盛大な祝宴を催したといわれています。

なんだかうれしいです! これからは春に向かって日一日と日が長くなります。我が家は加賀市の従兄が作って母に送ってくれたカボチャを煮てお祝いしました。そんな後に、このニュース。おめでたいわけではありませんが、一歩ではあります。

プール燃料取り出し完了 第1原発・4号機作業ヤマ越える



 東京電力福島第1原発廃炉作業の中核の一つとなる燃料取り出しで、東電は20日、4号機の使用済み核燃料プールに残っていた燃料集合体1535体(使用済み1331体、未使用204体)の取り出しを完了した。4号機の廃炉作業は燃料取り出しを終えたことでヤマを越えた。しかし、来年度以降に計画される1〜3号機では、放射線量が極めて高い環境下の作業になるほか、溶け落ちた燃料(溶融燃料)の状態が分からないなど困難が予想され、早急な技術確立が求められる。
 この日の作業では、未使用燃料4体を入れた輸送容器(キャスク)が専用クレーンでプール内から引き上げられ、昨年11月から進めた作業が終了した。東電は年内に燃料を6号機のプールに移送し、全作業を終える。
 4号機は、事故5日目の2011(平成23)年3月15日に水素爆発し、原子炉建屋上部が崩壊。爆発で建屋の耐久性に懸念が生じ、プール内の燃料取り出しが急務だった。高線量の使用済み燃料の取り出しは今年11月に終えていた。
(2014年12月21日 福島民友ニュース)

そして次も同じく「shuueiのメモ」さんの同じ日のブログからですが、NHKニュース。これは、日曜日の「NHKスペシャル」が放送した「メルトダウン File.5 知られざる大量放出」の内容でした。

危機後の大量放出で汚染深刻化
(12月21日18時36分 NHKニュース)



東京電力福島第一原子力発電所の事故で放出された放射性物質は、核燃料のメルトダウンや水素爆発が相次いだ事故発生当初の4日間ではなく、その後に全体の75%が放出され汚染を深刻化させていたことが、日本原子力研究開発機構の分析で分かりました。
政府などの事故調査はこの時期に何が起きていたかを解明しておらず、専門家は「放射性物質の大量放出がなぜ長期化したのか、原因の解明が求められる」と話しています。


福島第一原発事故の規模は、放射性物質の放出量からチェルノブイリ原発事故と同じ「レベル7」とされていますが、放出の詳しい全体像は明らかになっていません。日本原子力研究開発機構の茅野政道所長代理らの研究グループは、原発周辺などで観測された放射線量の新たなデータを集め、大気中への放出状況を詳しく分析しました。
その結果、事故が起きてから放出がおおむね収まった3月末までに放出された放射性物質の量は47万テラベクレルと推定され、このうち、核燃料のメルトダウンや水素爆発が相次いだ3月15日の午前中までの4日間の放出量は全体の25%で、むしろ、その後の2週間余りで全体の75%を占める大量の放出が続いていたことが分かりました。


さらに、当時の気象条件を基に拡散の状況を解析したところ、15日の夕方から深夜にかけて起きた大量放出で、今も帰還困難区域となっている原発周辺の汚染が深刻化していたほか、20日の夜から翌日にかけての放出が関東地方など広範囲に広がり、一部の水道水の汚染などにつながったとみられることが分かりました。
今回の分析結果は、事故の進展を食い止められず危機的状態とされた当初の4日間のあとも放射性物質の大量放出を抑え込めていなかったことを示していますが、政府などによる事故調査は当初の4日間に重点が置かれ、その後の放出の原因については解明されていません。
茅野所長代理は、「今後の原発事故の防止や事故の早期の収束のためにも、なぜこのような放射性物質の大量放出が長く続いたのかを解明していかなければならない」と話しています。

NHKはニュース番組以外のドキュメンタリー番組では頑張っているようです。冬至の日の昨夜7時半からの特別番組「”消えた”子どもたち」も現実に迫る内容でした。夕刊の番組欄には「家に軟禁・学校に行けず、所在不明の子も、相次ぐ実態が初めて明らかに」とタイトルの後に続いています。子供の貧困の話をしたら、市会議員さんに日本は豊かだと言いかえされました。そんな時代はもう過ぎたと言いましたが、まだ自民党議員さんには認知されていないのだと思いました。
昨日の番組、18歳で逃げ出すまで小学校も中学校も行かせてもらえなかった女性が取材に応じていました。彼女の話を聞いても、思います。もう少し自分以外の周りに関心を持たなければ、もう少し人はお節介にならなければ。マザー・テレサが言ったとか、愛の反対は憎しみではなく無関心。あと一歩踏み込んでいれば、一声掛けていれば、もう少し先を想像していれば、救われるのに・・・。子どもは国の宝、親のものではなく日本の子として社会が育てる.でいいんじゃないと思いました。