寺崎マリコ「太平洋の両側における右派ナショナリズムの復活」を憂う(「文藝春秋」新年号)

先日、「文藝春秋」の新刊がでた日のこと。長年の愛読者である父はこの日を楽しみにしています。いつもなら近くのコンビニまで買いに行くのですが、このところの寒さで母が散歩に出るという夫に頼んでいました。替りに、父が読み終えた「新年号」が回ってきました。
新年号といっても昨年暮れに店頭に並んでいた分ですが、タイトルが「戦後70年記念特大号」の「完全保存版」と赤文字で表紙に書かれています。

マリコ・テラサキ・ミラー。マリコ寺崎と言えば何年か前に見たNHKのドラマがありました。外交官の娘マリコの名前が暗号として使われ日米開戦の緊迫したやり取りがドラマのテーマになっていました。ネットで調べるうちに1981年のドラマだということが分かりました。そんなに昔だったのか…と感慨深い思いです。

◎もう一度見たいドラマあの番組「マリコ」(http://gamekyu.cocolog-nifty.com/kyogame/2004/04/post_3.html
◎「寺崎マリコ 日米開戦の暗号に名前を使われた少女」(http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Pen/9385/mariko.htm


さて、そのマリコさんの記事です。「文藝文春」の特集「戦後70年(70人の証言)激動の時代に歴史の扉を未来へ押し開けた人々」は、東京裁判日本国憲法から始まって1950年代〜2010年代まで、さまざまな事件や事柄について、これまたさまざまな人が言葉を寄せています。「テレビ事始め」や東京五輪安保闘争力道山刺殺、三島由紀夫自刃、ボウリングブームから江川卓空白の一日」や日米経済摩擦、最後はスカイツリーと東京駅まで。その中の1990年代の「昭和天皇独白録」が寺崎マリコさんの記事です。
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二つの祖国に伝えたいこと  マリコ・テラサキ・ミラー(寺崎英成長女)

 終戦直後、御用掛として昭和天皇の通訳を務めた寺崎英成がまとめた「昭和天皇独白録」は九十年十一月、本誌で公表され、大きな話題を呼んだ。寺崎はアメリカ人女性・グエンさんと結婚しており、一連の文書は二人の娘でアメリカ在住のマリコ・テラサキ・ミラーさんが保管していた。「独白」は『昭和天皇実録』に史料として採用されたことで、その価値が定まった。

 2015年春には、東京、上海、アメリカなどで夫と過ごした日々を綴ったグエンさんの回想録『太陽にかける橋』の改訂版が出版される予定だという。
 現在82歳のマリコさんに、「独白録」の発見者でもある息子コール・ミラーさんを通じて聞いた。
 「独白録」が研究や議論の対象になることについて、私はうれしく思います。政府における情報公開の原則は、例外を作るべきではありません。私たちは、厳正な誠実さを持って、日米両国の歴史を検証すべきでしょう。私たちの共通の利益のためにも。
 私がこのようなことを話すとき、それは政府ではなく、国民に対する問いかけです。私たちは政府に真実や透明性を期待することはできません。しかし、政府に対して説明責任を果たすよう求めることはできます。見識ある民衆による批判的な視線は、健全な統治に欠かせないものです。哲学者、ジョージ・サンタヤーナの言葉を言い換えるならば、「過去の犯罪について学ぶことを許可されていない者は、同じ過ちを犯すように操作されうる」ということになるからです。

 残念なことに日米両国は国家機密を拡大しており、それは民主主義の原則に明らかに反しています。これは私が愛してやまない両国における軍国主義の高まりと歩調を合わせています。私は、この危険で、国家間で互いに競い合うようにして高まる傾向に対して抵抗するよう、全ての人に呼び掛けます。
 私の両親は、日米の友好関係をはぐくむために生涯を捧げました。両国に始まった戦争は、私の父、寺崎英成にとっては本当に手痛い敗北でした。彼は、日本の占領下の中国に、二度出張しています。彼は日本軍兵士の蛮行に心を痛め、そうしたふるまいを巡って軍の将校とよく衝突したといいます。一般の中国人への扱いのひどさには、私自身も恥ずかしく思いました。私のアメリカ人の母、グエン寺崎もそう感じたようで、回想録『太陽にかける橋』の中で綴っています。

 大人になってからは、私はアメリカ軍がベトナムで犯した残虐行為についても同じように心を痛めました。私たちは、こうした出来事が起きなかったかのように振舞うことはできません。直視しなければなりません。私の父であれば、日本と周辺国の緊張関係をいたずらに刺激する靖国神社参拝をやめるよう安倍首相に忠告したでしょう。
 軍事ナショナリズムという悩みの種は、再び現実味を帯びて来ています。イラクアメリカの侵攻によって破壊され、全域にわたって宗派対立を炎上させるに至りました。修正主義者はアメリカでも勢いを増しています。ベトナム戦争で米軍が犯した「ソンミ村大虐殺」は「ソンミ村事件」として”名称変更”がなされました。核恐怖の時代の到来を告げた広島と長崎の理由なき冷酷な行いについて、誠実に向き合おうとするアメリカ人は極わずかです。日本の都市への爆撃について知っている人はさらに少ないでしょう。しかし、日本人は覚えています。日本の軍事主義的修正主義者はこの事実をよくよく考えるべきでしょう。彼らはNHK幹部による最近の発言と靖国神社参拝がなぜ愚かしいのか、洞察することができるようになるはずです。



 弟は兄に何ができるのか


 七十年前、日本人はこのような惨状を招いた男たちに憤りを感じました。しかし、これらの記憶は薄れつつあります。それは私の心の中ではいまだに鮮明ですが、私ももう八十二歳になりますし、私の同世代は急速に失われつつあります。
 戦後、日本はアメリカとの関係において”弟”を自認してきました。しかし、”兄”が道を踏み外したとき、どうすればいいのでしょうか? これは日本にとって複雑な質問でしょう。しかし、避けるわけにもいきません。私が言いたいことを分かりやすくするために、一つの例を挙げたいと思います。
 ブッシュ政権の副大統領だったチェイニーと彼のアドバイザーたちは、アメリカの拷問政策の設計者でした。彼はウォーターボーディング(水責め)への支持を誇らしげに表明していますが、これは日本軍兵士たちがアメリカ合衆国によって処刑される原因となった(戦争)犯罪行為と同じことです。驚愕すべきことに、オバマ大統領の下では、こうした拷問プログラムの存在を暴露した元CIA職員のジョン・キリアコウが投獄されました。政府は、この”価値ある公共サービス”を提供し続けるために、彼を投獄したのです。しかし、拷問の責任者たちはオバマ政権で説明責任を果たしていません。拷問者を守る一方で真実を語る者を処罰するような政府は、まさに道を誤っていると言うしかありません。

 太平洋の両側における右派ナショナリズムの復活に対しては、良識ある民衆が抵抗しなくてはなりません。私たち人類は、核戦争と環境破壊という二つの、種の存続にかかわる脅威に立ち向かっています。私たちは、紛争解決の手段としての戦争を永久に追放するよう国際的な制度を作り上げる必要がありますし、それを脅かす存在があれば、持ちうる限りの資源と知恵を投じて戦わなくてはいけません。
 「独白録」は日本の公式な歴史の一部となりました。「独白録」文書の意味や作成された背景については、歴史研究の専門家に任せたいと思います。ただ、彼らには、イギリスの数学者であったバートランド・ラッセルが晩年のインタビューで語ったことを強調したいと思います。
 「何かを研究するとき、何がファクトであるか、何がファクトから導き出される事実であるかのみを問いなさい。自分がそうであってほしいと信じていること、あるいはそれが社会的に好ましい効果をもたらすだろうという考えには絶対に身をゆだねてはいけない」
 そして、ラッセルはこう教訓を書き加えています。
 「愛は賢く、憎しみは愚かだ。私たちがともに生き、そしてともに死なないとすれば、私たちは慈愛と融和について学ばなくてはいけないし、それは人類がこの星で存続するためには絶対不可欠なことだ」
 この言葉の意味するところを注意深く考えるべきでしょう。

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