- 作者: 矢部宏治
- 出版社/メーカー: 集英社インターナショナル
- 発売日: 2014/10/24
- メディア: 単行本
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現在、国連の安全保障理事会常任理事国は、ダンバートン・オークス提案を作成した四ヵ国(Big Four)にフランスを加えた五ヵ国。この五か国だけが、国連の中で「拒否権」という絶大な特権を持っている、主権平等の原則(第二条一項)がありながら。
しかし、日本人が知るべき戦後世界のもう一つの差別は敗戦国を対象とする「敵国条項」(国連憲章第53条、107条)です。
・戦勝国である連合国側(=平和を愛する諸国 peace-loving states)と、日本、ドイツという敗戦国(=敵国 enemy states)の間に明確な法的差別構造が存在していたと、いえる。
・敵国条項が適用される国の名は、国連憲章には書かれていない。定義としては、「第二次世界大戦中にこの憲章の署名国の敵だった国」(第53条2項)
(日本、ドイツ、イタリア、ハンガリー、ルーマニア、フィンランドの七か国を意味する)。しかし、日本とドイツ以外の五カ国は大戦中に枢軸国側から離脱し日本とドイツに宣戦布告を行った。だから、当初から対象国は日本とドイツの二か国。
☆この敵国条項は1995年に「死文化」したとして削除の決議案が賛成155、棄権3(北朝鮮、キューバ、リビア)という圧倒的多数で採択されているが、批准されていません。「すべての安保理常任理事国(五大国)の批准」と「加盟国全体の三分の二の批准」が必要です。ハードルは五大国のどこかかすべてです。
★53条と同じく国連憲章第107条も「敵国条項」です。ここには、戦勝国が「敵国(敗戦国)」に対して行った戦後処理の問題については一切適用されないと書かれています。これが「占領継続」、パート1の「沖縄の謎」の正体ということに。(P217〜)
沖縄の問題が人権問題としては国連で取ら上げられず、人種問題としてしか扱われない理由がここにあります。「敵国に対する戦後処理については、適用除外になる」(=サンフランシスコ講和条約に基づく米軍の本土駐留や沖縄支配については国際法違反に問えない)という107条にあります。
★1951年1月10日/アメリカの「太平洋集団安全保障条約」構想:トルーマン大統領のジョン・フォスター・ダレス(サンフランシスコ講和条約と日米安保条約の米側交渉責任者)に与えた指示:「この取り決めは、外部からの攻撃に対抗するため加盟国が共同行動をとることを保障すると同時に、加盟国の中の一国からの攻撃、例えば日本が仮に再び侵略的となった場合は、日本からの攻撃に対抗するため、加盟国の共同行動を保障するという二重の目的を持つことになるだろう」
☆実際には、加盟予定国の日本に対する不信感が強く、太平洋集団安全保障条約は実現しなかった(オーストラリアとニュージーランド日本と同盟国になるのを拒否)が、代わりにアメリカは三つの安全保障条約をほぼ同時に結ぶことになった。
1951.8.30・フィリピンと「米比相互防衛条約」
1951.9.01・オーストラリア・ニュージーランドと「太平洋安全保障条約(アンザス)」
1951.9.08・日本と「(旧)日米安保条約」
このことでわかることは、<「日米安保条約」とは、「日本という地域」の平和と安全のために結ばれたものであり、その地域内でもっとも「攻撃的な脅威」となる可能性が高いと想定されていたのは、日本だった>。(p228)
◎ということは、日本軍国主義復活への警戒心が、「敵国条項」を活かし続けているのでは…と考えることが出来るのでは…と思います。
☆ところで、ドイツはすでに「敵国」に当たらないという見解があります(p236の「フランスの法学者たちの見解」)。ここから、日本とドイツの戦後の違いについてです。
★ドイツの戦後ー「独立」までの歴史
・初代西ドイツ首相アデナウアー(1949年から14年間):対米従属を強いられるも、「新しいドイツ人は、断固たるヨーロッパ人たるべき。そうすることによってのみ、ドイツは世界に平和を保障される」と国家方針を明確に。首都をフランクフルトにして周りを米軍基地で囲むというアメリカの計画を土壇場でひっくり返した。
・1969年ドイツ社会民主党への政権交代で第4代首相ブラント:「東ドイツの事実上の容認」「ハルシュタイン原則の完全撤回」、さらに「ドイツ(東)とポーランドの国境」についても、大きく譲歩し(オーデル・ナイセ線の確認)領土問題に決着。1970年、ポーランドの首都ワルシャワで、ユダヤ人ゲットーの跡地に跪いて献花し、ナチスによるユダヤ人虐殺について心からの謝罪を表明。
・第5代首相シュミット:周辺諸国との融和政策を進める。1977年東京サミットにも来日。日本の外交問題について意見を求められて「日本は周囲に友人がいない。東アジアに仲のいい国がない。それが問題です」と。
☆これらの努力によって1970年代、フランスの法学者たちが書いたように、「敵国」としての位置づけを事実上、脱することに成功。
・1990年9月12日:第6代首相コールは、「ドイツの戦後処理に責任を持つ」戦勝4か国(米英仏ソ)と東西ドイツの間で事実上の「講和条約」(「2プラス4条約」)を結び、敗戦国としての名残をすべて清算。
・1990年翌月10月3日:ドイツ再統一
・1993年11月1日:EU創設
・1994年:「2プラス4条約」に基づき、米英仏ソの駐留軍はすべてドイツから撤退。
「こうして日本と同じく第二次世界大戦の敗戦国だったドイツは、長く苦しい、しかし戦略的な外交努力の末、戦後49年目にして、ついに本当の意味での独立を回復することができたのです」(p241)。
(現在ドイツに残っている米軍は、基本的にNATO軍としての制約のもとに駐留しており、ドイツ国内での行動にはドイツ国内法が適用されている。)
◎その結果、国連憲章の「敵国条項」が適用される国は、日本だけになっている、ということです。(「フランスの法学者たちの見解」p236〜238)
〇「そこまで言って委員会」でも、「国連は、英語では”United Nations”で連合国の事、戦勝国のことだ」とか「”敵国条項”がまだ生きている」とよく言われますが、日本の軍国主義復活に対する周辺国の警戒心や不信感に対して、日本がどう応えてきたのかという事については一切触れないで、日本の扱われ方だけを取り上げるのは片手落ち。そのことが却って不信感や警戒心を抱かせることにもなっていると思います。
〇民主党の代表選があった日の「そこまで言って…」では、九条の憲法もアメリカに与えられ戦争放棄させられたが、九条に違反する軍隊である自衛隊もアメリカによって与えられた。1950年の朝鮮戦争で、冷戦からリアルな(HOT)戦争になり、米軍が手薄になる日本で革命が起こっては困ると考えたアメリカが治安維持を任せる警察予備隊を作り、それが自衛隊に、という話が出ていました。この辺りは事実だと思います。
〇この番組について、司会の辛坊氏が田原総一朗氏と対談していて、最後に田原氏が「偏向番組、頑張ってください」と言って締めくくりのあいさつを。これに対して、辛坊氏が「偏向番組ですか〜!?」と真顔で。”偏向してないと辛坊さん思ってるの?”でした。れっきとした偏向番組で、田嶋さんが頑張っていますが、よくこんなに偏ったメンバーで放送できると思います。第二次安倍政権を誕生させるうえでこの番組が果たした役割は大きかったと思います。この番組が無ければヒョッとすると、安倍さん復活はなかったかもしれないくらいです。関西人の悪乗りが利用されたと思います。安倍さんや安倍さんを支持する方たちの本音を知るには良い偏向番組?だと思いますが・・・。
◎さて、本文のこれらの事実や仕組みやカラクリを知った上で、どうしたらいいか・・・・についても書かれていますので、つづく。