憲法九条二項をどうすればいいのか?(「日本はなぜ―」最終章2-2)

では、どうするか?
「米軍を撤退させ、機能停止に陥っている日本国憲法の機能を回復させ、そして、日本が再び侵略的な戦争をする国になることを防ぎ、加えて「大地震の活動期を目前にした原発再稼働」という狂気の政策を止めるには?」
★状況を反転させる方法は、憲法に「日本は最低限の防衛力を持つこと」を書き、同時に「今後、国内に外国軍基地を置かない」ことを明記すること。(=「フィリピンモデル」です。)

日本国憲法の九条一項に当たる、フィリピンの戦争放棄条項:
「フィリピンは国家の政策を遂行する手段としての戦争を放棄し、広く認められた国際法の原則を自国の法の一部として取り入れ、すべての国との平和、平等、正義、自由、協力、友好という政策(ポリシー)を堅持する」(1987年フィリピン共和国憲法」第二条二項)
1992年に米軍を完全撤退させた、フィリピンの外国軍基地撤廃条項は次の通りです:
1991年のフィリピン共和国アメリカ合衆国の間の軍事基地に関する協定の満了以後、上院によって正当に合意され、議会の要求がある場合には、それを目的とした国民投票において民衆によって投ぜられた多数票によって批准され、かつ相手方によって条約として承認された条約によらない限り、フィリピン国内においては外国軍基地、軍隊あるいは施設は許可されない」(1987年フィリピン共和国憲法」第18条25項)

☆「フィリピンでは、米軍撤退後も、アメリカとフィリピンの安全保障条約(「米比相互防衛条約」)は、その後も破棄されることなく続いている。日本も腹をくくって、外国軍基地の全廃というごく当たり前の政策を堂々と主張すればよい。」
アメリカの沖縄基地について(277頁):

元々、アメリカは「基地を無くした上での沖縄返還構想」を持っていた。
1)「2−1」で引用した大西洋憲章の第一項にあるように、戦後、米英は「領土不拡大」だったので、アメリカの国務省と国内世論は沖縄は「非軍事化した上で日本に返還すべし」であり、軍部の「戦略的信託統治構想」には反対で、「偽装された領土の併合」「国連におけるアメリカの道徳的地位を損なう」と批判していた。それを覆したのが、天皇の「沖縄メッセージ」と「ダレスへのメッセージ」であり、日本が自発的に沖縄と基地を差し出した。
★また軍部(国防総省)でさえ、1972年の沖縄返還に際しては、財政上の理由から、沖縄に駐留する全海兵隊の本国西海岸への移転が合理的と分析していた。(沖縄国際大学の野添文彬講師の発掘したオーストラリア外務省の公文書による。「沖縄タイムス」2013年11月8日)
 しかし、その時、自国の防衛力への不安から、お金を払ってでも海兵隊に沖縄に居てもらう方向へ話を持って行ったのは、むしろ日本政府の方だった。
 また1995年の海兵隊員による少女暴行事件のときも、沖縄だけでなく、日本全土からの完全撤退さえ想定していたアメリカのモンデール駐日大使に対し、日本側が米軍の駐留継続を希望したことがわかっている。(「琉球新報」2014年9月14日)

■だから、私たちが、はっきりと自分の意思を表明すれば、必ず状況は大きく動き始めます


この改正憲法の施行後、外国の軍事基地、軍隊、施設は、国内のいかなる場所においても許可されない
この条文を一行、憲法に書き込むことが出来れば、それでゲームセットこの長い長い戦後の対米従属の物語と、米軍と日本の支配層が一体化した安保村の歴史も、終りを迎えることになるのです同時にアメリカ国民自身が被害者であるアメリカの基地帝国化も、縮小の方向へ向かうでしょう。だからゴールの姿は見えている。後は逆算して、どうすればそこにたどり着けるか、考えればいいだけです。


 憲法の正しい書き方が分らなければ、1986年から1992年にかけてフィリピンの人たちが何をやったか調べて真似すればいい。そしてもし本当に敵国条項が障害となり、フィリピンモデルだけで難しい状況があれば、その時は1990年に第二次大戦の戦勝国四ヵ国と「事実上の講和条約」を結んで、その四年後に駐留軍を撤退させ、「占領体制」と完全に決別したドイツの歴史に学べばいいのです。


<あとがき>
⇔「こうした事実上の行政独裁体制は、短期間で大きな国家目標を達成することもできますが、その反面、環境の変化に応じて過去の利権構造を精算し、方向転換することができない。外部要因によってクラッシュするまで、ひたすら同じ方向に進み続けてしまう。それが日本人全員に大きな苦しみをもたらした第二次世界大戦や、地震大国における原発再稼働という狂気の政策を生む原因となっている」
この「天皇制の持つ弊害」を、1946年12月、作家坂口安吾が「堕落論」の中で指摘している。
天皇制というのは日本歴史を貫く一つの制度ではあったけれども、天皇の尊厳というものは常に利用者の道具にすぎず、真に実在した試しはなかった。」「自分自らを神と称し絶対の尊厳を人民に要求することは不可能だ。たが、自分が天皇に額づくことによって天皇を神たらしめ、それを人民に押しつけることは可能なのである。そこで、彼らは天皇の擁立を自分勝手にやりながら、天皇の前に額ずき、自分がぬかずくことによって天皇の尊厳を人民に強要し、その尊厳を利用して号令していた。」「しかもその軍人たるや、かくのごとくに天皇をないがしろにし、根底的に天皇を冒涜しながら、盲目的に天皇を崇拝しているのである。ナンセンス! ああナンセンス極まれり(安倍政権の今と自民党憲法改正(悪)案ににピッタリ当てはまります!!)


矢部氏の天皇制についての考え:
「現在の明仁天皇美智子皇后には、大きな尊敬の念を持っている。しかし、天皇制自体は、もっと政治から切り離して、文化的・精神的省庁の枠内にとどめ、その中で、むしろ皇室の方々の人権(言論、思想信条、婚姻、職業選択の自由など)を保障していかなければならない。」として最後に、明仁天皇が、沖縄の古い歌の形式を学んで詠まれた「琉歌」(⇒)を紹介します。1975年(昭和50年)の夏、初めての沖縄訪問で、ひめゆりの塔を始め沖縄戦跡慰霊の旅での思いをうたわれたものだそうです。(おわり)
  HHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH
◎読み終わると、感動します。本当に、70年間果たせなかった日本の自立・独立が、実現出来る日が来るのだろうか…「安保村」の歴史と構造を知り、1945年の時点に戻ったつもりで、もう一度周辺諸国との関係改善をやり直すこと。そして米軍基地と憲法九条二項、国連憲章敵国条項」の問題を一つの問題として捉え、同時に解決できるような状況をつくりだすこと。それは過去70年の間ドイツが歩んだ道に比べれば、はるかに楽な道となるはずです。(278〜9頁)」
九条を守るのではなくて、憲法九条二項で米軍基地を無くす、外国の軍隊ではなくて、自国の軍隊で専守防衛をするという、この方向転換が難しい。国民の大多数がそう思える日が来るだろうか。今の政治と国民である私たちの現状をみると…。冷戦が終わり、相手のアメリカも変質?しました。今や民主主義国のリーダーとも言えず、戦争なしでは立ち行かない国になっています。確かに、ドイツより楽な状況、分断されてもいないし、隣国と地続きでもない、にもかかわらず、ドイツほど、自覚的な民族自決の理念(日本人としての自尊心)を持った政治指導者を選べていない日本で、出来るのかな〜と心配が先に立ってしまいますが……若い方たちがこの本を読んでどう考えるか、希望は持っていたいと思います。沖縄が今オール沖縄で、これ以上の基地はいらないと言えるようになっているのですから、確かに私たち次第なんですね。