9条の理想主義、たどってみれば・・・「日本はなぜ基地と原発を止められないのか」


矢部宏冶著「日本はなぜ、基地と原発をやめられないのか」は、5つのパートに分かれています。
先に取り上げた鳩山元首相と矢部宏冶氏の対談と1月11&12日の「そもそも総研「日本国憲法はすでに死んでいる?」(1&2)は、パート1の「沖縄の謎」と2の「福島の謎」に当たります。
パート3は「安保村の謎≪1≫−昭和天皇日本国憲法」、
パート4は「安保村の謎≪2≫−国連憲章と第2次大戦後の世界」です。
パート5は「最後の謎―自発的隷従とその歴史的起源」。
◎今回タイトルとして書いた内容はパート4に当たります。
ポツダム宣言が、戦後日本の原点であるとすれば、大西洋憲章は、戦後世界の原点であるといえる。
日本国憲法とその九条は、辿って見ると:1941年、「イギリスはヨーロッパ戦線でドイツに連戦連敗している最中で、アメリカに至ってはまだ戦争に参加もしておらず、4か月後にようやく真珠湾攻撃が起こる、そんな時期に、英米両国はその戦いに勝利することを前提とした「戦勝後の世界」についての基本構想」を話し合っていました。ヨーロッパでドイツ対イギリス・フランスで闘われていた戦争をこれから世界大戦に拡大させ、その戦いに勝利して、戦後世界を英米同盟によって運営していくことを合意した「大西洋憲章」。この憲章の理念がのちの国際連合憲章となり、第二次大戦後の国際社会の基礎となる。その大きな流れの中で日本国憲法も成立することに。(p197〜199)
大西洋憲章の理念が九条の源ということです。
●1941年8月14日:大西洋憲章(Atlantic Charter)
        正式には、The Anglo-American Joint Declaration「イギリス・アメリカ共同宣言

*ウインストン・チャーチル英国首相ととフランクリン・ルーズベルト米大統領がイギリスの戦艦プリンス・オブ・ウェールズの艦上で調印した。
*短い八項目の共同宣言の中に「第二次世界大戦後の世界」の基本的枠組みのすべてが書かれている。
(例えば、一:両国は、領土その他の拡大を求めない。 三:両国はすべての民族が、自国の政治体制を選択する権利を尊重する。六:両国は、ナチスによる暴虐な独裁体制が最終的に破壊されたのち、全ての国民がそれぞれの国境内で安全に居住できるような、またすべての国の民族が恐怖と欠乏から解放されてその生命をまっとうできるような平和が確立されることを望む。八:両国は、世界のすべての国民が、現実的又は精神的な理由から、武力の使用を放棄するようにならなければならないことを信じる。もしも陸・海・空の軍事力が、自国の国外への侵略的脅威をあたえるか、または与える可能性のある国によって使われつづけるなら、未来の平和は維持されない。そのため両国は、いっそう広く永久的な一般的安全保障制度[permanent system of general security]が確立されるまでは、そのような国の武装解除は不可欠であると信じる。

●1942年1月1日:連合国共同宣言(Declaration by United Nations)
署名国は米・英・ソ・中、他26ヵ国。
 大西洋憲章の目的と原則に賛成。日独伊三国条約を敵国とする完全勝利を目指す。
 米英同盟+ソ or 中.

●1944年8〜10月:ダンバートンオークス提案ワシントンDCのダンバートンオークスにて)
 *「原案にあった理想主義的な『世界政府構想』が、日本国憲法九条二項を生んだ」
 国連憲章より、より理想主義的:「一般の加盟国に、独自に戦争する権利を認めていなかった。」(=国連軍構想あり)

★この8か月後の国連憲章に入った「個別的自衛権」と「集団的自衛権」という概念は存在しなかった。
☆すなわち、一般加盟国は「安全保障理事会の許可があった時に」「地域の安全保障機構のメンバーとして行う」場合しか軍事力を行使できない。
一方五大国(安保理常任理事国)だけは「国連軍」という形で加盟国から兵力を集め、それを自分たちの判断で軍事行動に使うことが出来る。戦争する法的権利を独占的に持つ。これが国連の本来の安全保障構想だった。

国際連合Wikipediaより)

1945年4月25日から6月26日にかけて、日本またはドイツ(なお同国は会議中の5月7日に降伏した)に宣戦している連合国50か国の代表がサンフランシスコに集まり、国際連合設立のためのサンフランシスコ会議を開いた。ダンバートンオークス会議で作成された憲章原案に基づき審議が行われ、6月26日、50か国が国際連合憲章に署名して会議は集結した。ポーランドは会議に代表を送っていなかったが、その後国連憲章に署名し、原加盟国51か国の一つとなった。そして、アメリカ、イギリス、フランス、ソ連中華民国およびその他の署名国の過半数が批准した1945年10月24日に、国際連合が正式に発足した。 10月24日は国連デーとして各国で記念されている。

●1946年2月1日 日本国憲法草案
GHQが草案をを書いたとき、この世界政府構想の核心である国連軍構想はまだ生きていた。)
●1948年:五大国による国連軍創設のための会議(軍事参謀委員会会合)は打ち切り。
 同年、マッカーサー、大統領予備選に敗北。
以後、「集団的自衛権」という例外規定が猛威をふるい、国連の「個別国家の戦争=違法」の理念はその実態を失う
☆ここで、矢部氏は、「その結果、日本国憲法第九条二項は現実の世界における基盤を完全に喪失」、それでも九条二項を支持することは「ユートピア思想」、「その結果起きている現実は、米軍による日本全土への永久駐留であり、民主主義国家アメリカの『基地帝国化』」(210頁)。
☆矢部氏はまた、すでに不戦憲法(1935年)を持つフィリピンに次いで、日本に「戦争と戦力の放棄」の憲法を与えて、代わりに沖縄とフィリピンにアメリカが強力な空軍と核兵器で二つの戦争放棄国家を防衛し、実際の戦闘は国連安保理の決定のもとに行うということを自分が大統領になって実現したいという野望をマッカーサーが持っていたのではないか.と想像しています。


◎昨年、憲法九条にノーベル平和賞をという運動が始まり、人か団体しか受賞資格がないということで日本国民を受賞者に改めてノーベル平和賞候補に認められました。私はこの時、実は、もろ手を挙げて賛成とは言えないと思っていました。条文と現実を見ると、とても胸を張って日本は九条を掲げる平和国家とは言えないと思っているからです。それに、九条を無くしたいという首相が、民主的な話し合いを経ないで憲法を蔑ろにしようとしている時期、本当は国民が意思表示をシッカリしなければならないのに、外圧で何とかならないか・・・というのは一寸・・・と思ったのもありました。
◎「そもそも総研」<1月12日の蛙ブログ(http://d.hatena.ne.jp/cangael/20150112/1421027508)>で矢部氏が指摘していた「GHQが書いた憲法」だが、「当時の日本人が書けないほど良い憲法」だという矛盾に、どこかで決着をつけないといけない、と思います。警察予備隊から自衛隊に、軍隊ではないと言い続けて世界第5位の軍事費を費やす軍隊になっています。交戦権を持たない軍隊は軍隊じゃない、「自衛隊」でいいじゃないか、という考えもありますが、世界に通用するか…考えさせられます。
◎今、安倍政権は強引に無理やりにでも憲法改正(悪)をやってしまおうとしているなか、本来、改憲派と言われる人たちまで反対に回っていますので、民主党の岡田さんのように安倍政権のもとでは憲法問題は持ち出さないのが良いと思いますが、いずれ民主的な議論が保障される時期が来れば、憲法について国民的な議論を通して、大多数が納得できる憲法をあらたに作り直すか、現憲法を選び直すかする必要があると思います。PS:勿論その時こそ真の独立(=日本本土と沖縄の米軍基地は引き取ってもらって)の時です。
◎そうそう、早まってはイケナイ、矢部さんは、そのことでも新しい考え方を提唱しています。読み進みます。