5月3日憲法記念日に・・・「あたらしい憲法のはなし」

憲法記念日の今日、夫は昨日から山。毎日覗いている「生き生き箕面通信」さんに、「午前9時に箕面駅前で「平和の訴え」を行います。その後中央図書館がある芦原公園で集会を持ち、10時にピース・パレードが出発、かやの中央まで歩きながら平和を訴えます」と書いてありましたので、朝のコーヒータイム前にと出かけました。スピーカーをうならせて調整している方たちがいて、あとは、山に登る方たちが待ち合わせているグループが幾つか。黄色いビラを配る人が2,3人。
時間があったので、千鳥屋さんで3人分の柏餅を買って待つことに。元市会議員のM直子さんが見えます。現議員のMさんがマイクを取って、今日の「私たちの憲法キャラバン」の取り組みを説明。大阪府内の女性議員や市民が中心となって1997年、憲法制定50周年を記念に始まったそうです。最終ゴールは3時半、ヨドバシカメラ前で4コースが集合すると黄色いチラシに書いてあります。
チラシを受け取る人が少ないのにガッカリ。黄色いチラシの束を手にした一人の女性からチラシを受け取って顔を見て、お互いビックリ。知り合いで驚きました。憲法が今大変なことになりそう…と思って、居ても立っても居られない思いで、芦原公園までのつもりでしたが、両親が待っているので途中で戻ることに。かやの中央ではもう少し人数も増えていることでしょう。
◎安倍首相を後押しする改憲派の一つの理由が「国民の権利ばかり書いて義務が書いてないから」だそうです。このことについて、山崎行太郎氏が「毒蛇山荘日記」(5月2日)でズバリ、書いていますので、コピーです:


憲法とは何か? 憲法改正を強く主張しているらしい櫻井よしこは、そもそも「憲法とは何か?」を理解していない。日本国憲法には「国民の権利」ばかり書いてある、もっと「国民の義務」を書くべきだ、と繰り返し主張する櫻井よしこは、「近代憲法の原理」も、いわゆる「立憲主義」も、まったく理解していないことが分かる


もちろん、明治憲法日本国憲法も、近代憲法の原理原則にもとずいている。言うならば、櫻井よしこは、日本国憲法だけではなく明治憲法も否定していることになる櫻井よしこに、それが分かっているのか、疑わしい。おそらく、自覚していない。


たとえば、「大日本帝国憲法」を審議している時、伊藤博文は、こう言っているそうだ。

抑(そもそも)憲法を創設するの精神は、第一君権を制限し、第二臣民の権利を保護するにある故に若し憲法に於て臣民の権利を列記せず、只責任のみを記載せば、憲法を設けるの必要なし
(『枢密院会議議事録第1巻』)

櫻井よしこは、憲法改正の理由として、日本国憲法には、「国民の権利」ばかり書いてあり、「国民の義務」が書いてない、というが、明治憲法の精神にさえ反していることが分かる。伊藤博文が理解していたことを、櫻井よしこは理解していない。  
(引用元:http://d.hatena.ne.jp/dokuhebiniki/20150502/1430514243


◎「憲法のありがたさが解らないのは自分たちで憲法を書いていないからだ」…そういう言い方もあるでしょうが、昨日のTBS報道特集でのジョン・ダワー氏のお話を聞いていると、やはり今の憲法は大事にしないといけないと思います。
安倍首相が目指している「普通の国」は、アメリカがお手本。アメリカがやってきたことは、第二次大戦後もずっと変わらず戦争を続けてきて、最近は自国兵の命は極力失わないで敵国の命を奪うドローンとハイテクによる戦争。それを日本がこれからは積極的に引き受けようという。そのために憲法解釈を変えて戦争をする国に、あわよくば憲法そのものも変えてということ。
「Little America」にならないで、というジョン・ダワーさん。戦争のひどさを日本の為政者も、アメリカの為政者も忘れている。ところが、戦後もアメリカの植民地であり続け、返還後も基地を引き受けてきた沖縄では、戦争の悲惨さを身をもって知る方たちの思いは今も生きている。金平キャスターを相手に穏やかに話しておられました。
◆さっそく「みんな楽しくHappyがいい♪」さんが、全文を:<歴史家ジョン・ダワーの警告http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-4234.html

◎「押しつけ憲法」と受け取るのは、戦争を諦めていない人たち(政治家)であって、平和を願う国民には、アジアの戦争被害者が命と引き換えに勝ち取った平和憲法なんだと言えると思いました。古くなったから、そろそろ変えようではなくて、今の時代だからこそ、もう一度、守り抜こうという気持ちになってきました。
◎幻の?教科書「あたらしい憲法のはなし」から一部(端折りながら)コピーです:

あたらしい憲法のはなし

文部省


一 憲法


 みなさん、あたらしい憲法ができました。そうして昭和二十二年五月三日から、私たち日本國民は、この憲法を守ってゆくことになりました。このあたらしい憲法をこしらえるために、たくさんの人々が、たいへん苦心をなさいました。ところでみなさんは、憲法というものはどんなものかごぞんじですか。じぶんの身にかゝわりのないことのようにおもっている人はないでしょうか。もしそうならば、それは大きなまちがいです。


 そこでもういちど、憲法とはどういうものであるかということを申しておきます。憲法とは、國でいちばん大事な規則、すなわち「最高法規」というもので、その中には、だいたい二つのことが記されています。その一つは、國の治めかた、國の仕事のやりかたをきめた規則です。もう一つは、國民のいちばん大事な権利、すなわち「基本的人権」をきめた規則です。このほかにまた憲法は、その必要により、いろ/\のことをきめることがあります。こんどの憲法にも、あとでおはなしするように、これからは戰爭をけっしてしないという、たいせつなことがきめられています



 それなら、この前文の考えというのはなんでしょう。いちばん大事な考えが三つあります。それは、「民主主義」と「國際平和主義」と「主権在民主義」です。「主義」という言葉をつかうと、なんだかむずかしくきこえますけれども、少しもむずかしく考えることはありません。主義というのは、正しいと思う、もののやりかたのことです。それでみなさんは、この三つのことを知らなければなりません。まず「民主主義」からおはなししましょう。



三 國際平和主義


 國の中で、國民ぜんたいで、物事をきめてゆくことを、民主主義といいましたが、國民の意見は、人によってずいぶんちがっています。しかし、おゝぜいのほうの意見に、すなおにしたがってゆき、またそのおゝぜいのほうも、すくないほうの意見をよくきいてじぶんの意見をきめ、みんなが、なかよく國の仕事をやってゆくのでなければ、民主主義のやりかたは、なりたたないのです。



 これは、一つの國について申しましたが、國と國との間のことも同じことです。じぶんの國のことばかりを考え、じぶんの國のためばかりを考えて、ほかの國の立場を考えないでは、世界中の國が、なかよくしてゆくことはできません世界中の國が、いくさをしないで、なかよくやってゆくことを、國際平和主義といいます。だから民主主義ということは、この國際平和主義と、たいへんふかい関係があるのです。こんどの憲法で民主主義のやりかたをきめたからには、またほかの國にたいしても國際平和主義でやってゆくということになるのは、あたりまえであります。この國際平和主義をわすれて、じぶんの國のことばかり考えていたので、とうとう戰爭をはじめてしまったのです。そこであたらしい憲法では、前文の中に、これからは、この國際平和主義でやってゆくということを、力強いことばで書いてあります。またこの考えが、あとでのべる戰爭の放棄、すなわち、これからは、いっさい、いくさはしないということをきめることになってゆくのであります。



六 戰爭の放棄


 みなさんの中には、こんどの戰爭に、おとうさんやにいさんを送りだされた人も多いでしょう。ごぶじにおかえりになったでしょうか。それともとう/\おかえりにならなかったでしょうか。また、くうしゅうで、家やうちの人を、なくされた人も多いでしょう。いまやっと戰爭はおわりました。二度とこんなおそろしい、かなしい思いをしたくないと思いませんか。こんな戰爭をして、日本の國はどんな利益があったでしょうか。何もありません。たゞ、おそろしい、かなしいことが、たくさんおこっただけではありませんか。戰爭は人間をほろぼすことです。世の中のよいものをこわすことです。だから、こんどの戰爭をしかけた國には、大きな責任があるといわなければなりません。このまえの世界戰爭のあとでも、もう戰爭は二度とやるまいと、多くの國々ではいろ/\考えましたが、またこんな大戰爭をおこしてしまったのは、まことに残念なことではありませんか。


 そこでこんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
 もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戰爭によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとおそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戰爭の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。
 みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度とおこらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。

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